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小説『狭い器』 本土決戦の中で私と桜子は二人だけの世界を構築した。  作者: 居木井丈晴
第一章 北日本人民共和国の朝
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(9)敦子、私、そして桜子

その同志の顔に暗い影が差しこんでいる。

「総員集合、整列――ッ!」

集会場に号令がかけられると桜子はあわてて部屋を出た。

 私は桜子に声を掛けられなかった。


私たちは小隊長である町長の指揮引率の下、食料増産へと駆り出された。空き地に作った畑で、大きいだけで甘味に欠けた「沖縄100号」という品種のサツマイモや、簡単にできるとしてニュース映画で栽培を奨励されるカボチャの生産に動員された。


とにかく全員が粗末なスフの衣服を着て、ただ鍬を握っている光景が延々と続く。酷暑の熱が私たちを炙る。


喉がカラカラになっても、手を離すのをためらうような重圧感――「国民ならばお国のためにすべてを投げ出せ」という空気が絶えずまとわりついてくるので、一人だけ手を止めるわけにもいかない。


「暑い」


 暑さに疲弊した私を見かねて、すかさず桜子は助け舟を出してくれた。

「ちょっとだけ手を止めて水筒の水を一緒に飲もう」

「そうね。二人だったら……」

 

私たちは、周囲を見回してみんな地面を耕すのに夢中なことを見てから、そっと鍬を置いて、水筒を口に運んだ。汗だらだらの中で一気に飲み干してしまいたいという誘惑を我慢して、ちょっと口を湿らせるだけにした。もともと容量の小さい水筒なので一気に飲むと後が続かない。

「ふー」

 ほっとした次の瞬間だった。


「手を止めないッ」

 後ろから怒鳴り声が来た。私たちはびくりとした。

振り返ると声の主は、寺沢(てらさわ)敦子(あつこ)だった。私たちと同じ女学校出身で、同じく今年の三月卒業後、国民義勇隊に召集されて同じ小隊に配属された子で、私たちと同じく十七歳。


「ごめんごめん。喉が渇いちゃった」

 敦子は私に対してはしょうがないなーという顔をした。

「しっかりやってよ。友枝。今年は芋が小さいし、肥料は無いし。それにお米も凶作だから、しっかりやんないと決戦時に食料が足りなくなっちゃう」


「うん。わかった、わかった」


一方桜子は「水を飲むときぐら手を止めたっていいいじゃない」と憤慨しているので頭を下げなかった。敦子も桜子の方は見向きもしなかった。


 桜子と敦子の仲の悪さは今に始まったことじゃない。

 

 私は敦子とは幼馴染の関係だった。同じ町内で育ち尋常小学校時代からの同級生で、同じ女学校に入学した。性格は使命感に溢れ生真面目で率先して何事にも取り組む。私はまっすぐすぎるのが玉に瑕だと思っていたけど、嫌いじゃなかった。

 戦争が進むにつれて、敦子はきわめて熱心に千人針、勤労奉仕などをこなし、大人たちからも信頼され、学年の中でも優等生と衆目一致していた。また姉御肌の彼女を慕って、いつも何人もの下級生や同級生が付き従った。


 敦子を嫌いという人間は少なかったと思う。


 しかし桜子はなぜか敦子を嫌った。もちろん真面目に与えられた仕事はこなしている。しかしどこか積極性を感じられない振舞いが目立った。やらされているからやっている、そんな感じが常に態度に出ていた。


 たとえば、千人針の最後の千本目には処女の髪の毛を縫い糸にすると効果があるという巷で流行していた変な縁起担ぎを、敦子は何の躊躇もなく実践してみせた。それから敦子はよく純粋に「お国のためにいい働きができますように」と言った。


 だが桜子はどこかみんなと毛並みが違った。


 桜子も千人針に参加はするのだが、敦子のように自分の髪の毛を捧げるようなことはせず縫目を一つ入れたら、すぐそのまま素っ気なくその場を離れる。


 敦子はその素っ気なさが許せなかったのだと思う。敦子がそれと似たようなことで桜子をなじったのは一度や二度ではなかった。「やらされているだけじゃ誠意が感じられないよね、桜子さん」とか「なぜお国のために、全力を注がないの。本なんか読んでいる場合じゃないでしょう」といった具合だ。


 それでも桜子が態度を変えないのを見てから敦子はさらに容赦なく桜子を責めた。桜子はまともにその注意を聞かなかった。


 ある時、怒りを爆発させた敦子が優等生らしくなく、本を読んでいた桜子の本を取り上げて、床に放り投げたこともあった。

――あっ!

 私は一触即発の事態にどきりとした。

 私の周りにいた生徒の一人が、非国民に天誅が下ったと呟いた。


 桜子は怒鳴りもしなかった。ゆっくりとその本を手に取って表紙についた埃を丁寧に払ってから「本ぐらい読ませる器の広ささえ、貴女には無いのですか?」と冷たく言い放った。


 私はその日、桜子に話しかけることが出来なかった。


 この時から敦子と桜子の間の亀裂は決定的になってしまった。


 私が桜子に、なんでそんなにも敦子を嫌うのかと訊いた時、桜子は「何事もただ生真面目にやればいいというものじゃない」と分かったような、分からないような答えをしただけだった。

 

 とにかく私は途方に暮れてしまった。

 私は敦子と桜子の両方が好きだった。敦子を失うことも、桜子を失うことも避けたかった。

このとき最も私が恐れていたのは敵の北海道上陸という漠然とした、有るのか、無いのかわからない未来の危機ではなく、目の前に大きく口を開けていた人間関係上の破滅が来ること――確執を深める桜子と敦子のどちらか一方から「貴女はどちらに付くのか」と二者択一を突きつけられることだった。

この選べるはずの無い選択を迫られる恐怖はちくちくと私を苛んだ。


 桜子は、敦子や大人たちの束縛を内心嫌がっているようなので、たぶん、私を束縛するようなことは言わないと踏んでいた。(しかし全く恐れていないわけではなかった。桜子に敦子を嫌う理由を深く訊けなかったのは、その話が進むうちに何かの拍子で『貴女は敦子の味方?』という質問が出てくるのを恐れたからだ)。


 だが私にとって問題なのは敦子だった。あの純粋な敦子が「打倒桜子」を掲げて、私に味方につくよう迫ってくる可能性は極めて高い。


 私はもちろん桜子を失うことがどれほど痛手なのかわかっていたが、かと言って私は桜子の方について敦子を見捨てるような真似も出来なかった。


 敦子は傘問屋の四姉妹の末娘だった。戦時中なので、兵隊として使える男子のたくさんいる家ばかりがもてはやされ、女ばかりの家は『役立たず』という冷たい目で見られた。そんな目を少しでも和らげるために敦子の家では二人の姉が従軍看護婦として出征していた。敦子も、そんな冷たい世間を見返そうと積極的に勤労奉仕をやっていた。


 女ばかり二人姉妹で、多産でもなく男の子もいない私の家庭も近所から冷たい目で見られた。私の母が隣組とうまくいかず、日々老けこんでいくようなのはこういう事情も一因だろうと私は思っている。

敦子もこのことを知っていた。なにしろ同じ町内に住んでいる幼馴染だ。なので私に対して「気にすることは無いよ。女の身でもお国に貢献できると分からず屋どもに思い知らせてやればいいのよ」と心の底からの激励を送ってくれたことも多い。


 それは嬉しかった。


 またある時、ふと桜子のところも一人娘だったことを私は思い出した。女ばかりしかいないことで周囲から白眼視される苦しみを少なくとも抱えているはずだ。私は、さりげなく、その共通の悩みを持っている人間同士、敦子も桜子と仲良く出来ないだろうかと淡い期待をこめて敦子に訊いてみた。


「冗談言わないでよ」


 敦子は一笑に付した。私はそれ以上深入りすると例の「あなたはどっちの味方なの」という破滅的質問が飛び出してくると思ったので、それ以上訊くことは出来なかった。

 この期待が外れたときは、結構私は立ち直るのに時間がかかった。


 さらに、私は敦子に助けられることも多かった。


 食料配給さえ滞る中で女性の生理用品も止まり始め、生理にどのように対処するのかが女子学徒の悩みになった。特に勤労奉仕と生理が重なった時はもう大変で、女性の苦しみなど理解しない男性の工事主任などから白い目で見られることも多い。

 

 敦子はそんな時、家に余っていた傘用の防水布をそっと持って来てくれて、生理用品の代わりに使うようにと手を回してくれたこともある。(もちろん、敦子は仲の悪い桜子には回さなかった。だから、私はこっそり防水布を一枚余計に多く貰って桜子にも分けてもいた)。


 女学校の中で人望を一身に集める敦子と、女学生とは思えぬほど知識豊富な桜子――本当にこの二人は大きかった。とにかく女学校を卒業するまでこの二人とどのように付き合っていくか、それこそ大国に挟まれた小国のように私は神経を使った。


 この二人の関係は結局、改善することは無かったが、私は今も何とか二人と上手くやれている。


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