(5)”秋田友世”への手紙
1945年12月23日。
本土決戦は最終局面に入った。最北端の稚内に上陸後、南下してきたソ連軍部隊と根室に上陸後、北海道を西進してきたソ連軍とがついに合流したらしい。「ウラー」という万歳の声が遠くからスタンドのどよめきのように聞こえてくる。
私たちは壕の中でじっとしていた。
「すごいどよめきね」
「大軍だな。この距離からでもこんなにくっきりと聞こえるのだから」
「何を言っているんだろう」
「多分、味方に出会えて歓喜のあまり万歳、万歳と言っているんだと思う」
桜子はここで両手を服の下に入れて、腹に巻いていたノートを取り出した。長い間腹に巻いていたせいでそのノートは曲がり、汚れて、体臭が染みついていた。
「敵は函館方面にも兵を回したと、さっき隣の小隊の山田少尉から教えてもらった。どうやら私たちは完全に包囲されたらしい。北、東、西はソ連軍、南は海」
「逃げ場は無い――か」
桜子はじっとノートへ視線を注いでいたが、そっとそれを私の前に出した。
「友枝、これをあなたにあげる」
「え?」
日頃、腹の下に隠して、時折お腹の中の赤ん坊にするように、そっとなでているほど大切にしているものを――形見分けのようで、不吉だった。
桜子も私の強張った表情を見て、察したらしい。
「形見だよ」
「どうして?」
「時が近づいているから。その前にまるで不完全だけど、友枝には序章の部分だけでも読んでいてほしい」
私はとにかくノートを開いた。題名は『狭い器』だった。そしてその隣には『津島桜子』という名前が書かれていた。
<序章>
私の本名は津島桜子である。私の実の父はマルクス経済学の研究をしているという理由で、対米戦の始まる前の年の冬に特高警察に逮捕された。本当に平和な穏やかな冬の朝に、特高警察は荒々しくやってきて、父を平和な日常と共に奪っていってしまった。
それまでは、私も「お国のために」と、周囲に同化することをよしとしてきた。しかし私はこのとき、自分には見えない水面下で蠢く「化け物」がいることを知った。
周りの人間とおんなじように流されているだけなら、自分がどこにいるのかわからなくなってしまう。だから少しでもその流れから距離を置いて、必死で流れがどこに向かうのかを見極めなければ「化け物」にやられてしまうと私は感じるようになった。
さらに、「化け物」は自分が好む選択肢しか用意しないこともわかった。それ以外の選択肢を取りたいという人間がいれば、すぐに食い殺してしまうのだ。
私たち家族はバラバラにならなければならなかった。私は父の親戚の養女として一人札幌へ出た。本来なら、私は『非国民の娘』として腫物のように扱われるのが普通だったと思うが、幸いなことに私が養女となった家には子供がいなかったことや、義父が非常に親切だったこともあって私は何とか女学校に上がることが出来た。
だがそこも私をおぼれさせる沼だった。
初めて教室に入った時、教室にいる人間すべてが表情のないマネキンのように思えて仕方がなかった。あまりに人間らしい温かみが無いような気がした。自分なりの意見を持っても、言うことは出来ず、大勢に順応するばかりで私や家族を「非国民」呼ばわりした人間と何も選ぶところがない。
そして、私は隠し通してきたが、いつ、自分が「非国民の娘」であることが発覚してしまって、どんないじめを受けるか、それが恐ろしくてたまらなかった。だから私は教室の隅で一人本を読んで過ごすことにした。流れに乗ってしまったらその先に「化け物」が大きな口を開けて待っていても、どうしようもない。教室の人々が国のためだと熱心に千人針をしているときも、極力本の世界に逃げ込んでその中に入らない様に努めた。
しかしそんな私の前に一人の人間が現れた。仮にその人の名前を秋田友世としておく。この人と初めて出会ったきっかけは、彼女が私の読んでいる本を覗き見したことだった。私は友世のその行為を見て、特高の回し者かとさえ最初思ったけれど、友世はとまどいつつも私の読んでいる本を「いい趣味」と褒めた。それに私が警戒を隠さないでいると、覗き見したことを謝りつつ不器用ながら素朴な感じで話した。私の名前も知らないで話しかけてきたことさえ包み隠さずに言ってくれた時、私は友世に人間らしいものを感じた。あるがままをさらけ出す勇気を持っていると思った。
この最初の印象は間違っていなかった。
この小説を書いた理由の一つは、友人である秋田友世への謝罪である。
私は友世の前ではずっと、養子に入った家の高木という苗字で名乗って来た。
だから、私はこの友人に私が「非国民の娘」だったことを告げていない。私は友世を信じているつもりだ。でも、やっぱりどこか裏切られることを恐れている。裏切られなくても、私が「非国民の娘」であることを知って、そのことが重荷に感じられるのも嫌だった。
そのことをずっと恐れていた。友世が私をどう思っているかわからないが、友世を失うのは嫌だった。
しかし、友世に対しての罪悪感は私の中で膨らんでいった。
私がこんな臆病な間、友世は私に、この戦争の中で女学生らしい、まさに青春と言えるようなことを何一つしないまま終わっていいのだろうかという不安や心の渇きを率直に打ち明けてきた。そんなことを大人に告げ口されたら酷い目に遭うぐらい友世も知っているはずなのに、それを率直に打ち明けてきた。
それなのに私はずっと私自身のことを隠し続けてきた。そのことへの罪悪感をどうやって解消すればいいのか、悩んできた。
ただある夏の日に、ちょっとした実験をした後に、私が小説を書き続けていることを打ち明けたとき、何気なく友世は、女流作家・高木桜子女史の誕生ねと、私が成功した時のことを思い描いた冗談を言った。
そのときに私は高木ではない、津島桜子として、あるがままの自分をこの小説の中で曝け出すことを思いついた。そして、この作品が完成したら真っ先に読ませる約束をした友世に、ずっと隠してきたことがあったことを謝りたい。そして、もしこれからも友達でいいというのなら、本当に私は嬉しいと思っている。




