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(11)”恐怖の灰色カエル”

30分の筆記時間が終わった。秘書課職員が立ち上がって用紙の回収にとりかかった。久子や梅子が急いで用紙を集めるために回り始めたが、私は文章を書くのに手間取ったので、だいぶ遅れて合流した。


久子が、こちらを心配そうに見ていた。


用紙を集める途中、答案を提出した人が自分の回答で本当に大丈夫だろうかという不安の視線を、私の手の中に落ちた用紙に向けて送っていた。

 

これでもし万が一にも“しくじった”となれば身の破滅。収容所群島で一生を終えると考えれば仕方のない話だ。

 用紙を抱えて秘書課のみんなが壇上に集まり、抱えてきた用紙の枚数を数える。面倒な作業であまり好きではないが、数を間違えたら左遷は間違いないので、慎重に声を出して何度も数える。


「こちらは82枚です」

「3列目の合計は81です」


 10分以上の時間を割いて、私たちは集計に当たった。


「少佐同志。1358枚を確認。石炭列車の復旧作業視察のため出張中の真鍋石炭供給課長をはじめとする出張中の職員を除いたすべての職員の枚数分を集め終わりました」


 私は報告した。だが三浦少佐は疑念の目をこちらに向けると(秘密警察官は誰でもそうだったが)、部下たちに改めて枚数を数えさせた。

疲れ果てて突っ伏す人、秘密警察官によって数えられる用紙の束に不安げな視線を送る人、早く帰りたいと肘をついている人――大講堂の中にいる私たち1358人の緊張と倦怠は無意味に引き伸ばされる。


 秘密警察が10分以上かけてやっと数え終わる。そして警官たちが上司の三浦少佐に異常なしを報告した後で、三浦少佐がやっと解散の許可を出した。職員はゆっくりと立ち上がって大講堂からぞろぞろと出始める。


「ご協力ありがとうございました」

三浦少佐は津島大臣に一礼してから檀上を降りて行った。その後ろに、提出用紙を入れた木箱を持った部下たちが続いていく。

 最後の一人が姿を消した後、どこからかほっとするような溜息を聞いた。上村久子がそっと私に近寄った。


「大丈夫ですか? 友枝さん」

「大丈夫よ、久子」

 用紙回収の時、出遅れた私を心配そうな目で見ていた上村が、わざわざ声をかけてくれるのが嬉しかった。

「ならよかったです。帰りましょう」

「そうね……丸山課長。戻りましょう」


私は隅に追いやられていた丸山課長に声をかけた。丸山は軽く頷くと大臣に一礼することも無く、緩い上り坂になっている大講堂の通路を上っていった。


 大臣は険しい皺を口元に寄せると「あの、『シベリア組』が」と呟いた。私は最後になって冷や水を浴びせられたように思った。


「大臣、私たちはこれで」

「そうか。ご苦労だった」

大臣もそう言うと大講堂を出て行った。

私たちは連れ立って中庭に面した廊下に出た。窓からは向かいの建物の中を忙しく走り回る職員の姿が見えて、上村が言った。


「映画鑑賞会も大変なものですよね。こんな風に仕事はストップするから終わったあとは仕事が山積みになるし」

「そうね……」


窓辺に寄って、もっと下を見てみると、コンクリートの壁に囲まれた中庭には二台の灰色のワゴンが停まっていた。それに茶色の制服警官たちが乗り込んで走り去って行く。


「どうしましたか?」

「今保衛省の車が出て行った」

「本当ですね。一安心」

森崎がやっと難関を潜り抜けた喜びを顔に出した。


「あの、ワズという車を見かけると不安になりますよ。いつも。国家保衛省が私を捕まえに来たんじゃないのかって」

「ワズというんだ、あの保衛省のよく使っている車は」


「そうです。ソ連製の車で、車高が高くてカエルの目のような大きい円形ヘッドランプが特徴の可愛い感じの車なんですけど、保衛省が使っているせいで、その可愛さみたいなのが、逆に不気味なんですよ。私の友人の中には“恐怖の灰色カエル”と冗談半分で言う人までいるぐらいで」

「確かにそれは言えてる。カエルみたいな顔してるもの」上村も同意した。


 この愛嬌ある“恐怖の灰色カエル”は車のほとんどいない北日本の官庁街を走っているのをよく目撃される。しかし、ただの隊員輸送か、それとも哀れな容疑者を本部へと護送中なのか、その“生態”は謎に包まれている。村野が一人異議を唱える。


「別に逮捕されるようなことしていなければ大丈夫じゃないんですか?」


森崎は甘いわねと言った。


「向こうがそれを判断してくるの。こっちが何もしてなくたって、権力者が気に入らなければ逮捕されるのよ、この国では。権力者の気まぐれなのよ」

 

私は森崎の言葉が危ないと思った。上村もこの思わぬ過激な言葉に口を真一文字に結んでしまった。森崎はここにいる人間が保衛省に密告するはずがないと安心しきっているようだ。万が一を考えて私は話をここで断ち切る。


「ともかく“恐怖のカエル”も帰ったことだし、仕事に戻らなきゃ。石炭供給課の真鍋課長から石炭列車の復旧について何か報告書が上がってきているかもしれないし。急ごう」


「はい」



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