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(10)何もしない自由

 鉛筆が藁半紙を擦る乾いた音が鳴りやまない。私はまるでチックにでもなったかのように、しきりに首筋をまさぐった。


 それでも落ち着かず、持っていた鉛筆の先を何度もトントンと紙に叩きつけた。


 ここは無難に「この映画を見て愛国心に燃えた」とか「西側陣営の暴虐な振る舞いに義憤を覚えた」という定形的な表現を連ねて、逃げ切った方がいいのかもしれない。しかし、そもそも長いことだけが取り柄のプロパガンダ映画に、どうお世辞を言えばいいのか分からなかった。


 さらに、今ある自分のすべてを文章の中に叩き込んで、大博打を打つ――と言っていた桜子のことを思い出したためか、私の中で小さな、それでいて破滅的な博打をしようという誘惑が膨らみ始めた。その誘惑は具体的な手段を私に囁いてくる。


――これは政府にとって都合のよいプロパガンダ映画に過ぎない駄作である。


 たったその一文をこの白紙の一行目に叩き込むだけで、その博打は完了する。これをやれば、国家保衛省に「反動分子」の烙印を押されて北海のどこかにある収容所群島へと送られて二度と帰って来られない身の破滅が待っている。


 だが、自分の思いを率直そのまま書くという快感が、一瞬でも味わえる。

 その誘惑がこたえられない。

 

 いっそのこと、逮捕されて、どん底にまで落ちてしまえば、逮捕や迫害に怯える現実に対して開き直れるじゃない―そんな自棄気味な心の囁きまで聞こえた。


 周りの懸命に鉛筆を走らせる音を聞きながら、何もしないというのは、今は逆に気持ちがよかった。

さっきはあんなに焦りを駆り立てられたのに不思議な話だが、破滅に直結する大博打を私は打とうと思えば、打てる。


――生きるためにでたらめを書く以外の選択肢もその気になれば取れる……


 そう思ったから、気持ちが楽になったのだと思う。

 

 決意を固めた私は強めの筆圧で、最初の一文を刻み込むように書いた。



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