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ウェサマーの休日・下

 ウェサマーは、話した。

 言葉を重ねるに連れ、感情が籠り、知らず、肩に力が入る。

 今まで誰にも打ち明ける事のなかった内心を吐露し、堰き止められていた水が一気に放出されるように、想いが溢れて止まらなかった。


 ハルに会いたくても会えずにいた間のこと。

 彼女を想うと、知らず口から零れ出る、名前。

 当然、返事などない、ハル、という、部屋の空気に吸い込まれていく呟き。

 弱い声が自身の耳にも届いて、重症だ、と頭を抱えた。

 やっと会えた、庭園でのこと。

 ウェサマーの声が届くところに、ハルがいた。 

 ウェサマーがハルを呼ぶと、その明るい笑顔と声が、すぐ傍で返ってくる。

 たった、それだけの事が。

 嬉しくて、たまらなかった。

 間近に見るハルの笑顔は、これほど愛らしいものだっただろうか。

 声は、こんなに澄んでいただろうか。

 呼ぶだけ呼んで、何も言わないウェサマーに、首を傾げるハル。

 さらりと流れる黒髪。そして届く、彼女の甘い香りが、鼻腔をくすぐる。

 手を伸ばせば触れられる程の近い距離で、ハルの唇が、ウェサマーの名を形作っていく。

 触れたくて、仕方なくて、葉っぱがついていると嘘をついて、艶やかな黒髪を撫でた。

 ウェサマーを飲み込む、彼女への、とめどない奔流の名は――愛しさ。

 ウェサマーは、思い知った。


 好きな人には、どうしたって、傍に居たい。


 初めての負の感情に惑い、無理矢理離れたところで、胸の内の猛る獣は、一層暴れ回るだけだった。

 自身を、黒い焔が照らしていると分かっていても。

 ハルの傍に居ると、確かに、幸せが、心を満たしてゆく。

 離れていたからこそ、分かったこと。気付けたことだった。

 この温かくも時に苦く切ない想いは、きっと、心を育ててくれる種のひとつだと思った。

 ならばいっそ素直に、ハルと共に過ごそう。その時間は、きっと、種を育ててくれるだろう、と。

 葛藤を振り切ってハルを誘いに行けた事は、迷子のようになっていたウェサマーにとっては、大きな一歩だった。

 元々発芽していた種は、そんな素直な気持ちの一滴でぐんぐんと一気に育ち、あっという間に蕾をつけた。

 ウェサマーは、知らない。

 恋という名の、その種の育て方を。

 花を咲かせるのも散らすのも、その人次第。

 手にする多くの人が、一度は育て方に迷う程の、難しい種だということを。

 知らずに、只々、育てようとしていた。

 種――心を育てたら。

 いつか、この想いを告げようと、告げまいと。

 ハルに、想い人が現れて。

 彼女の隣に居るのが、自身でも、……そうではなくとも。

 どんな事でも受け止められるだけの、大きな心の器を。手に入れられると、信じていた。


 ――それまでは、どうか。誰のものにもならないで欲しい。


 まだ、そう思ってしまうけれど。

 ウェサマーは、自身の昏く、激しい独占欲を、良い方へ考えようとしていた。

 今は、ハルの傍にいるだけで感じる、温かい昂揚感を、想いを、大切にしよう、と。


「なあヴェルグ。そう思うのは、間違いではないだろう? ……ん? どうしたんだ?」

「……どうしたもクソもねえ! ったく、てめえは、ここに何しにきやがった。惚気聞かせにきやがったのか? なんで、俺が、てめえの恋愛相談なんかしなきゃいけねえんだ! じじいだぞ俺あ!」

「ん? ここへは純粋に、お前とマーサに会いに来たぞ。今のは、話の流れだな。お前がハルの事を聞いてくれたんだぞ、ヴェルグ。お前の事は信頼しているから、話せるんだ。……ありがとう」

「ああ、そうかよ! ったく……」


 ヴェルグは、はじめ黙ってウェサマーの話を聞いていたが、だんだんと顏を顰め、最後には、甘すぎる酒を飲んで酔っ払い、吐く寸前のような、青ざめた顏をしていた。

 嫌な予感ほど当たるってもんだ、と思いながらも、本当に嬉しそうな笑顔を浮かべるウェサマーを見て、ヴェルグは、ふーっ、と長い溜息を吐いた。


「なあ、坊。お前、そこまでハルに惚れてんなら、何でそう、どっか引いてんだ。今の話じゃ、ハルが、例えりゃ俺の孫にでも惚れたら、何も言わずに祝うってのか?」


 ヴェルグの言葉に、ウェサマーの背中から、ゆらり、黒い焔が立ち上る。

 しかしそれは、ウェサマーが言葉を発した瞬間に霧散した為、ヴェルグが気づく事はなかった。


「……一歩踏み出せた今でさえ、ハルの隣に立つ男の姿を想像しただけで……、負の感情に、押し潰されそうになる……。こんな、黒い想いが湧き出る未熟さを、まずは克服しなくては」

「……生真面目な性格が、悪い方に出やがったか」


 ヴェルグが独り言のように小さく呟くと、それに、とウェサマーは続けた。 


「……それが彼女の幸せなら、それで良いと思うのは間違いか? 私はただ、ハルの幸せを一番に願っているだけだ。誰に好意を寄せようと、それはハルの自由だ。もし、ハルが……、くっ、愛する者が出来たら、私は」


 苦しそうに胸を掴むウェサマーに、ヴェルグは頭を振って、もう一度深いため息を吐いた。

 そして、息を吸い込むと。

 だん、と卓を叩きつけ、正面のウェサマーに向かって、思い切り怒鳴りつけた。


「この、ド阿呆! 本気で惚れてんならなあ、うだうだ言ってねえで、こっちに惚れさせるくらいしやがれ! それで、目一杯幸せにしてやりゃあいいだろうが。いちいち女々しいんだよ、てめえは。ああくそ、面倒くせえ」


 面と向かって貶されたウェサマーは、目をぱちくりと丸くした。

 そのまま暫く静止していたが、やがて、ぷっ、と吹き出すと。吹き出した勢いのまま笑いが止まらなくなってしまい、目に大粒の涙を貯めた。


「おいおい、何泣いてんだ。普段から仕事だのなんだの頭酷使してっとこに、入れたことねえ情報だらけで、とうとう限界超えてイカれたか?」


 ヴェルグは、ウェサマーがハルを一目見た時から、彼女に惹かれていることを知っていた。

 あれ程早く恋に落ちるとは思わなかったが。

 孫のエリックが城館に訪れたあの日、ウェサマーに感じた違和感。

 ハルを見つめるウェサマーの昏い瞳に映っていたのは、やはり負の感情だったのだと確信した。

 過去の自分とマーサとの経験を思い出して、こそばゆい。

 嫉妬や独占欲、それまで知る由もなかった、昏い感情を知った時、自分も、戸惑い、苦しい思いをしたものだった。

 ヴェルグは、内心、柄じゃねえ、と盛大に照れながらも、当時の自分が欲しかった言葉を、今のウェサマーにかけてやれる言葉はないかと、考えを巡らせた。


「く、ふはっ。ははは! め、女々しいか。確かに、そうだな。くくっ。私も、今の私はあまり好かん。そうはっきり言ってくれると、いっそ清々しいな」

「ふん。賊どもぶっ倒して、ダメ役人追っ払って、先代の跡立派に継いでしゃんと立ってる、いつものてめえはどうした!」

「ははっ。お前が素直に褒めてくれるなんて、明日は嵐になるな」


 ひとしきり笑ったウェサマーは、目尻にたまった涙を拭うと、姿勢を正した。

 口は悪いが、ヴェルグが精いっぱい、初恋に臆病になっているウェサマーを励ましてくれているのが伝わってくる。

 ディストと同じ、温かな思いやりを感じて、今度は別の涙が溢れてきそうになった。


「ああ、拙いな。最近の感情の乱れもあって、なんだか目がおかしい」

「ちっ。まあな。離れて見守る愛し方、ってのは、否定はしねえ。俺とマーサだって、何年も離れて暮らしたが、一日だって、あいつを想わない日はなかった。相手が受け入れるたあ限らねえし、惚れたら、誰かのもんだったってヤツもいるだろうしな」


 ヴェルグは、わしわしと頭を掻くと。


「だが、ハルはまだ、誰のもんでもねえだろう」


 そう言って、じっと耳を傾けるウェサマーを見返した。

 いつも他人の為に働くウェサマーには、人間嫌いの自分が得た持論は、合わないかもしれない。

 それでも、マーサは、愛をくれた。 


「負の感情の何が悪い。人間なんざ、結局、自分が一番可愛い生き物なんだ。まず、自分を守る。だから、負の感情が生まれる。当然だ。真に自分を大事にできねえヤツが、誰かを大事にはできねえし、欲がねえなら、生きる必要もねえ」

「そう、いうものか?」

「ああ。得る幸福と、表裏一体だ。要は、捉われなきゃいい。だからな。誰かを幸せにしてえなら、自分が幸せになる事考えんのが先なんだよ。特に、人の事ばっか考え過ぎるような、お人好しはな」


 そう言って、ヴェルグは、ぐい、とお茶を飲み干した。


「それは……、しかし、一方的な感情を押し付けては……」

「一応言っとくが、過剰な執着だの、狂気じみた、常軌を逸した感情は論外だぞ。矛盾して聞こえるだろうが、越えちゃいけねえ一線もある。それを越えたら、もうそいつは人間じゃねえ」

「……相手に求めるばかりで自身を見てやれない者は、それこそ負の感情に捉われ、今ある幸せにも気付かない。それでは、いつまでも満たされる事はない、か」

「そうだ。見守る愛を否定しねえっつったのはそういうのもある。俺が言ってんのはな。自分が満たされてねえヤツといて、女が幸せを感じられるか? って事だ」

「難しいな。自分を満たす……?」


 考えるように、ウェサマーは顎に指をそえて、すぐに「ああ」と頷き、「愛情か」と呟いた。


「さあな。安寧、希望、欣快。人によるだろ。満たされてりゃあ、自然に笑ってるもんだ。ひとりでも、誰かと一緒でもな。それが、真っ当な幸せってもんじゃねえか? そういうヤツなら、大抵相手も受け入れる」

「そうか……。だから、まっすぐに想いが伝わるように自身を磨いたり、相手の喜ぶ事を考えたり……。自身を正面から見つめた者の顏は、想いを遂げようと遂げられなくとも、明るいのだな」


 ウェサマーは深く頷いたが、難しい顏をして、だが、と続けた。


「少なくとも、お前や、マーサや、ディスト……、私の周りの者たちは、まず、相手のことを考えてやれる人間だろう? ハルも、そうだ。みんな、誰かの為に、一生懸命だ」


 ヴェルグの言葉に、ウェサマーは首を傾げる。

 まさに今、自分を励ましてくれているヴェルグの姿は、なんだというのだろう。


「阿呆。それは、てめえがアタマで、そうやって毎日背中見せてっからだ。幸せそうにな。てめえの幸せが、相手に幸せを与える。それが、てめえに返って来てるってだけだ。他のヤツらもな」

「私が……?」

「そうだ。伝承にもあんだろ。剣には剣、酒には酒。花には花ってな」

「ガロン王国建国史の一節、憎しみの鏡の章だな。人は、互いが互いの鏡……。ああ、建国史は、今日子供たちに聞かせてきたばかりだ」


 ヴェルグは、何度目かは分からないため息を深くついて、物凄く気合を入れて、言ってやった。

 照れ臭くて、背中がむずむずと痒くなった。


「大丈夫だ! お前は、お前のままでいい。皆慕ってんだから、自信持ってハルに当たれ!」


 激励を受けたウェサマーは、ふっと肩の力が抜けていくのを感じた。

 孤児院を出る際、院長からも、そっと、「頑張ってくださいね」と応援を貰った。

 馴染みの者たちの言葉が、心地良く胸に染み入ってくる。

 ヴェルグに礼を言おうとした、その時。


「やれやれ。お優しい事だな」


 ウェサマーとヴェルグの目の前で、突然、一陣の風が舞った。

 なんだ、こりゃ! と驚くヴェルグを横目に。すぐに声の正体が分かったウェサマーは、冷静に、卓の上の物が落ちないように支えた。

 風が収まった時、そこには。


「カイル……」 


 両肩に白と黒の毛玉を乗せた魔術師が、腕を組んで、立っていた。



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