第33話 異空間のお風呂騒動と、魔石の山
異空間の調査を始めて三日目の朝。黒瀬恒一は、宿のベッドに腰掛け、昨夜の実験を思い返していた。
昨夜、岩角獣から回収した魔石を固有異空間に持ち込み、意識を集中させたところ、壁の光が一瞬だけ揺らいだ。表示には《領域拡張:可能性を確認》とあったものの、部屋が広がることも、新しい設備が現れることもなかった。
「……やっぱり、簡単にはいかないか」
恒一が小さく息を吐く。
今の異空間は、簡素なベッドと淡い光に照らされた床があるだけの小さな部屋だ。入退室はできるようになったが、維持には集中力が必要で、長時間使い続けると頭痛や疲労が出る。仲間を招いたり、外界との時間差を利用したりすることもできない。
それでも、魔石との間に何らかの反応があったのは確かだった。
「魔石の種類によって反応が違う。まずはそこから調べるしかないな」
恒一は昨夜の記録を手帳に書き留め、宿の部屋を出た。
◇
朝食後、恒一たちはギルドへ向かった。北東の中規模ダンジョンで魔石を回収する依頼について、詳しい情報を確認するためだ。
受付のミリアが依頼書を広げた。
「このダンジョンでは、最近、灰色の甲殻を持つ魔物や岩角獣の目撃数が増えています。採掘できる魔石の品質は比較的高いのですが、奥へ進むほど危険度が上がるそうです」
「魔石を調べるにはよさそうだけど、無理はできないな」
恒一が地図を確認する。
「ええ。今回は討伐と魔石の回収、それから異常の有無を報告することが目的です。奥の未調査区域へ入る必要はありません」
ミリアの説明に、リゼリアも頷いた。
「目的を忘れないことね。魔石が欲しいからといって、危険な場所へ深入りするのは本末転倒よ」
「分かってる。種類と状態を記録して、危険を感じたら戻ろう」
エレナが弓の状態を確かめ、コハクは短剣を腰に固定した。セレスは回復用の道具を確認し、フィリアは魔石の測定器と記録用紙を用意する。
セレスは今回も聖堂側の調査協力者として同行する。フィリアも魔石の調査を手伝うが、戦闘では無理をせず、観察と記録を中心に動く予定だった。
準備を終えた一行は、北東のダンジョンへ向かった。
◇
ダンジョンの入口を抜け、しばらく進んだところで、岩肌の隙間から灰色の甲殻を持つ魔物が現れた。
「来ます!」
エレナの矢が先頭の魔物の脚を射抜く。体勢を崩したところへ、コハクが横から飛び込み、短剣で関節の隙間を狙った。
「そこっ!」
魔物が吠え、残る個体が一斉に動き出す。
「恒一、動きを止めて!」
リゼリアの声に、恒一は一頭の進路へ意識を集中させた。
《空間固定》
ほんの一瞬、魔物の動きが鈍る。その隙にリゼリアが甲殻の継ぎ目へ攻撃を叩き込み、フィリアの火球が別の個体を吹き飛ばした。最後の一体はセレスの防護障壁に突進して体勢を崩し、エレナの矢を受けて倒れた。
「よし、終わり!」
コハクが尻尾を揺らす。
戦闘後、フィリアは回収した魔石を測定器にかけた。
「これは……。通常の魔石より純度が高いですね」
セレスも魔石を慎重に観察する。
「確かに、反応に大きな濁りはありません。でも、それだけで恒一さんの異空間と相性がいいとは限りませんね」
「うん。実際に反応を確かめるまでは、何とも言えない」
恒一は魔石を種類ごとに分け、記録を残した。
《魔力結晶:甲殻種》
《魔力状態:比較的安定》
《固有異空間との適合:未確定》
《解析:継続中》
「適合は未確定、か。やっぱり、地道に調べるしかないな」
フィリアは記録用紙に結果を書き込みながら頷いた。
「そのとおりよ。純度が高いことと、空間反応との相性がいいことは別の問題だから」
一行は周囲を警戒しながら、さらに先へ進んだ。
◇
数度の戦闘を経て、恒一たちはダンジョンの中層へ到達した。魔物の数は多く、魔石も少しずつ集まっていたが、コハクの呼吸は荒くなり、エレナの矢も減っていた。
「一度、入口近くまで戻ろう。装備を確認して休憩だ」
恒一が提案すると、リゼリアはすぐに賛同した。
「いい判断ね。疲労がたまってからでは、判断も鈍るわ」
「でも、まだ進めそうだよ?」
コハクが名残惜しそうに振り返る。
「進めることと、進むべきことは違うよ。今日は魔石の調査も目的なんだから」
恒一の言葉に、コハクは少し考えてから頷いた。
「……分かった。ちゃんと休んでからにする」
一行は来た道を戻り、ダンジョンの入口近くにある比較的安全な場所で休憩を取った。
エレナは矢を確認し、コハクは短剣についた汚れを落とす。セレスは恒一の腕にできた浅い擦り傷を見つけ、回復魔法で手当てした。
「これくらいなら大丈夫だと思ったんだけどな」
「小さな傷でも、放置しないでくださいね」
セレスは穏やかな口調ながら、きっぱりと言った。
一方、フィリアは机代わりの平らな岩に魔石を並べ、記録を整理していた。
「甲殻種の魔石は比較的安定しているわ。ただ、種類による差もありそうね。別の魔物から回収した石と比較すれば、何か傾向が見つかるかもしれない」
「それなら、今日の探索は十分に意味があったな」
恒一は水を飲み、深呼吸した。空間固定を使ったときの精神的な負担も、休息を取れば少しずつ和らいでいく。
リゼリアが隣に腰を下ろした。
「あなたも、きちんと休みなさい。異空間のことを調べるのは大切だけれど、今のあなたには、そこへ入るだけでも集中力が必要なのでしょう?」
「ああ。まだ長く使うのは難しいよ」
「なら、無理に使わないこと。仲間を休ませる前に、あなたが倒れてしまったら困るわ」
「分かってる。異空間がもっと安定するまでは、普通の休憩場所も必要だな」
「そういうことよ」
リゼリアは満足そうに微笑み、恒一の肩へ軽く寄りかかった。
◇
休憩を終えた一行は、探索を再開した。岩場に差しかかったところで、今度は岩角獣が三頭現れた。硬い外殻を持つ大型の魔物で、正面からの攻撃は通りにくい。
「足元に注意して。あの体格で突進されたら危険よ」
リゼリアの言葉に、コハクが頷く。
「あたしが横へ誘導するね。恒一、無理に止めようとしないで!」
「分かってる。隙ができたときだけ使うよ」
コハクが岩角獣の注意を引き、エレナが矢で進路を制限する。リゼリアは外殻の隙間を狙い、セレスは仲間が突進を受けたときに備えて防護を準備した。
一頭が恒一へ向かって突進してくる。
恒一は横へ避けながら、岩角獣の進行方向に意識を向けた。
《空間固定》
動きがわずかに鈍る。完全に止めることはできないが、進路が一瞬乱れたことで、岩角獣は岩壁に肩をぶつけた。
「今よ!」
エレナの矢が外殻の隙間へ飛び、リゼリアの攻撃が続く。コハクも背後から足元を狙い、岩角獣は大きな音を立てて倒れた。
残る二頭も、連携して一頭ずつ仕留めることができた。
戦闘後、フィリアは回収した魔石を調べた。先ほどの甲殻種とは異なる反応が記録される。
《魔力結晶:岩角獣種》
《魔力状態:安定》
《固有異空間との適合:未確定》
《外部反応:微弱》
「この魔石は、反応そのものは安定しているわね。ただ、異空間との相性はまだ分からない」
フィリアは二つの記録を見比べた。
「同じ魔物でも個体差があるかもしれないし、採取した場所の影響も考えられるわ。比較するなら、もっと多くの資料が必要ね」
「焦らず調べていこう」
恒一は魔石を丁寧に包み、収納へしまった。
そのとき、コハクが岩場の端を指さした。
「あそこ、何かあるよ!」
半ば土に埋もれた古い石柱が、岩陰から突き出していた。表面には、円の中に六つの光点を配置したような紋様が刻まれている。
「この紋様……石橋の地下施設にもあったものと似ているわね」
リゼリアが警戒しながら近づいた。
恒一が石柱の周囲を観察すると、手元の魔石がかすかに反応した。
《外部空間反応を検知》
《接続点との関連:不明》
《位置情報の記録を開始》
「反応はある。でも、接続点と関係があるかは分からないな」
「今は触らないほうがいいでしょう」
セレスが慎重に言った。
「仕組みが分からないものを動かすのは危険です。位置と紋様を記録して、ギルドに報告しましょう」
一行は石柱の位置を記録し、それ以上触れずにその場を離れた。指定された区域の確認を終えると、彼らはダンジョンを出ることにした。
◇
夕方、ギルドへ戻った恒一たちは、討伐結果と石柱の発見をガルドに報告した。
ガルドは魔石の記録を確認し、眉を寄せた。
「石橋の地下施設で見つかった紋様と似ている、か。北東の遺跡だけでなく、このダンジョンの近くにも関連する場所がある可能性はあるな」
「ただ、今回の石柱が接続点そのものなのか、それとも別の装置なのかは分かりません」
恒一が説明すると、ガルドは頷いた。
「そうだな。今は場所と反応を記録しておく。調査の許可が出るまでは、勝手に動かすなよ」
「分かりました」
依頼の報酬を受け取った一行は、宿へ戻る前に食事を取ることにした。
テーブルには肉料理とスープ、焼きたてのパンが並んだ。コハクは空腹を満たすように食べ、エレナは今日の戦闘で気づいた点を話し、セレスは回復魔法の使いどころを振り返った。フィリアは魔石の記録を整理しながらも、食事の手を止めないよう努力していた。
「今日は収穫が多かったね」
恒一が言うと、エレナが微笑んだ。
「はい。魔石の違いも分かりましたし、古い石柱も見つかりました。無理をせずに帰ってこられたのもよかったです」
「次はもっと魔石を集めたいな!」
コハクが目を輝かせる。
「でも、危ない場所には行かないこと。約束よ」
リゼリアが釘を刺すと、コハクは元気よく頷いた。
「分かってるよ。ちゃんとみんなと相談する!」
その様子に、恒一は笑みを浮かべた。
いつか異空間が広がれば、仲間たちが一緒に休める場所になるかもしれない。けれど、今はまだ小さな部屋ひとつだ。そこへたどり着くためにも、目の前の冒険を一つずつ積み重ねる必要がある。
◇
その夜、恒一は宿の部屋で、回収した岩角獣の魔石を机に置いた。
異空間へ持ち込む前に、まずは外側から反応を確かめる。魔石に意識を向けると、青白い光がかすかに揺れた。
「今日の反応が、もう少し分かればいいんだけどな」
恒一は固有異空間へ入った。小さな部屋の床に魔石を置き、少し離れたところで意識を集中させる。
魔石が淡く光った。
壁の光も一瞬だけ揺らいだが、それ以上の変化は起こらない。部屋が広がることも、新しい扉が開くこともなかった。
それでも、以前より反応の違いを意識しやすくなっている。恒一はその感覚を忘れないよう、慎重に集中を解いた。
《固有異空間:初期領域》
《領域規模:極小》
《入退室:確認》
《外部物体との共鳴:微弱》
《領域維持:不安定》
《制御状態:反応を記録》
《接続候補:検出》
《接続先:未確定》
《現在の接続:不可能》
「接続候補……か」
表示の意味は分からない。外部の施設や石柱と何らかの関係があるのかもしれないが、まだ確かなことは言えなかった。
恒一は魔石を回収し、異空間から退出した。額には軽い疲労が残っていたため、それ以上の実験はやめておく。
「少しずつだ。急いで失敗したら、元も子もない」
小さな異空間は、まだ秘密基地と呼ぶにはあまりに狭い。それでも、仲間たちと安心して過ごせる場所にしたいという目標は、少しも揺らいでいなかった。
そのために必要なことを、一つずつ調べていこう。
◇
翌日、恒一はギルドの掲示板で、次の依頼候補を探していた。
目に留まったのは、町の北東にある中規模ダンジョンの追加調査依頼だった。近頃、内部の魔物が増えている一方で、採掘できる魔石の品質が高いという。ただし、奥には強力な魔物が出現し、通常のパーティーでは長時間の探索が難しいらしい。
「……魔石を調べるには、よさそうな場所かもしれない」
恒一が依頼書を手に取ると、背後からリゼリアの声がした。
「次の冒険は、もう決めたの?」
「候補のひとつだよ。魔石の種類を調べるのにも役立ちそうだから」
「いいわね。ただし、無茶は禁物よ」
リゼリアはそう言って、恒一の腕にそっと手を添えた。
「私たちが強くなるためにも、異空間のことを調べるためにも、まずは無事に帰ること。忘れないで」
「分かってる」
恒一は依頼書を受付へ持っていき、詳細を確認することにした。
新しい拠点を夢見る恒一たちの冒険は、ここからさらに広がっていく。けれど、そのために必要なのは、ただ魔石を集めることだけではない。異空間の仕組みを知り、仲間たちと力を合わせ、危険を見極めながら一歩ずつ進むことだ。
北東のダンジョンの最深部には、円の中に六つの光点を配置した紋章が刻まれた、古い扉が眠っている。その扉が何につながっているのか、恒一たちはまだ知らない。そして、扉の向こうから、かすかな反応が返ってきていることにも――。




