浮き上がる異変②
リリアンヌ視点
「リリアンヌ殿下、ありがとうございました…わ、いい匂いですね!」
浴室の扉から、マコが出てきた。
「うん。たった今、兵士の方が持ってきてくれたの」
中央のテーブルには、できたての料理が置かれていた。
湯気の出るシチューに、大ぶりの肉。
パンが、こんもりと丸皿に盛られている。
なかなかに豪勢な夕食だ。
「マコの分も頼んだのだけれど、食堂にいらしてくださいって言われたの」
「それは、そうですよ。部屋に運ばれるのは、王族の方だけです」
マコが、くすっと苦笑した。
「キリも、ちゃんと食堂で食べているといいけど」
キリはまだ、戻ってこない。
「リリアンヌ…入ってもいいか?」
コンコン、と小さく扉が叩かれた。
「はい、大丈夫です」
リリアンヌはすぐに扉へ向かい、ぱっと開けた。
「ああ…マコ殿も一緒だったか」
「ブライアン様、どうされたのですか?」
「君と一緒に食べようと思ってな」
ブライアンは、料理を載せた盆を持ってきていた。
まだ、軍服のままだ。
「それじゃあ、私はこれで失礼しますね」
「マコ、いろいろとありがとう。もう、そのまま自室で休んでね」
「ええ、そうさせていただきます。ブライアン殿下、失礼します」
マコは二人にお辞儀すると、部屋から出ていった。
「…君は、霊拝師とも随分仲が良いな?」
「マコは、大聖堂で特に仲良くなった霊拝師なのです」
「そういえば…君は確か、少し前まで週に一度大聖堂に通っていたな」
「その話まで、ご存じなのですか?」
リリアンヌはテーブルまで戻り、ブライアンの正面に腰掛けた。
「そうだな。勝手に、噂は耳にする」
ブライアンは置かれていた水差しを手に取ると、コップに水を注いでいった。
「ありがとうございます…あの、噂って?」
コップを受け取りながら、おずおずと尋ねた。
先ほどレオも、似たような話をしていた。
そんなに、私の噂は出回っているのだろうか。
「聞いてもいないのに、余計な話を勝手にしてくる奴は多い」
「…は、はい」
少し、ブライアンの声が鋭くなった。
「たとえば…君が、本当は白の使い手ではないか、とかな」
「…!」
びくりと肩が強張った。
「単なる噂だ。そうではないことは、分かっている」
ブライアンは、ふっと苦笑をこぼした。
「特に社交場では、真偽が定かでない話も飛び交っている。先ほどの、レオ砦長のようにな」
「…会ったこともない人なのに」
噂をしているのは、きっと、私の知らない人たちだ。
どうして、憶測だけで話をできるのだろう。
それが当たってしまっているのが…不気味だ。
「…すまない。こんな話をしに来たわけではなかったんだ」
「何か、話があったのですか?」
「ああ。先ほどの件だが…」
ブライアンの目が、ふいに扉の方へ向いた。
「…あれは、キリ殿の荷物か?」
「え?…あ、はい。そうです」
扉の脇には、キリの少ない荷物が置かれたままだった。
「同じ部屋で寝泊まりする気か?」
ブライアンの顔が、一気に険しくなった。
「いいえっ…キリは、いつも朝まで戻ってこないです」
「いつも…?まさか、エラドリオール邸でも同じ部屋で生活しているのか?」
「まさか…!」
リリアンヌは、ぶんぶんと首を振った。
「屋敷では別室です。階も、違います」
「当たり前だ。…さすがに、ロデオ総長が許さないか」
「はい…それに、キリから見たら、私は赤子のようなものです」
四百年以上生きている人から見たら、たった十歳の私は赤子同様だろう。
「…君は、もう少し警戒心を持った方がいい」
ブライアンは険しい顔のまま、くいっと水を飲んだ。
「世の中には、いろいろな男がいることを忘れるな」
「……」
それは…チャンの時に学んだ。
年齢は、関係ない。
…だけど。
「…まあ、それを言ったら僕もだな」
気まずそうな声が、ふいに落ちた。
「…?何がですか?」
「いくら従兄妹でも、二人きりで個室はまずかったなと、いまさらながら気付いた」
「そんなの…何も心配していないです」
リリアンヌは、すぐに首を振った。
「それに、ブライアン様もキリも、信用しています」
「…信用してもらえているのなら、光栄だな」
ブライアンは小さく微笑むと、ようやく匙を手に取った。
「早く食べよう。冷める」
「あ…はい」
何か、話があったと言っていたけれど。
確かに、せっかくの温かいご飯だ。
リリアンヌはシチューの皿を手に取り、匙ですくった。
口へ運ぶ前に――
「へっ…」
ぱっと、視線の先に桃色の光が現れた。
「…どうしたの、ポポ?」
指を掴み、じっと見上げている。
「お腹すいたの?」
ポポが、ふるりと首を振った。
「ええと…遊び足りない?」
また、小さく首を振った。
「…なんだ?」
ブライアンが、食べる手を止めた。
「分からないんです…こんなこと、初めてで」
ポポはただ、こちらをじっと見つめている。
何かを、訴えようとしている。
「どうしたの?具合悪いの?」
リリアンヌは匙を置き、精霊を両手の上に乗せた。
「違う?じゃあ、何か気になるの?」
ポポが、こくんっと勢いよく頷いた。
「何が、気になるの?」
「ホ~」
両手の上に、さらにスノウがやって来た。
「スノウまで、どうしたの?」
ナナもルルも、盆の上を飛んで、こちらを見つめている。
まるで、料理を隠しているかのようだ。
「あ…!料理を食べちゃ駄目なの?」
その言葉に、四匹が一斉に頷いた。
「…!」
リリアンヌは、はっと顔を上げた。
ブライアンが、口の中に何かを放り込むところだった。
「ブライアン様…!」
「…恐らく、睡眠薬だ。一瞬、強い睡魔が襲った」
「今は…!?大丈夫なのですか?」
「ああ…これを持たされていたからな」
ブライアンが、空になった包みを振ってみせた。
「睡眠薬の拮抗薬だ」
「…!」
まさか――本当に、拮抗薬を使う時が来るなんて。
「ほ、他に症状は…!?」
「今のところない。だが、解毒繋薬も持っている。大丈夫だ」
それもまた、アイラと作ったことがある。
「精霊たちのおかげで、眠りきる前に対処できた…助かった」
「…ど、どうして?さっきの、兵士が…?」
睡眠薬だなんて、どうして。
眠らせて、一体何を…
「すぐに皆と合流しよう」
ブライアンが、素早く立ち上がった。
「キリ殿は?今は近くにいないのか?」
「あっ…キリ…!」
リリアンヌは、はっとキリの名を呼んだ。
「キリ…!戻ってきて…!」
これくらいの声で、本当に届くのだろうか。
微かに小窓が揺れるばかりで、何も聞こえない。
「…とにかく急ごう。行くぞ、リリアンヌ」
「ま、待って…」
よたりと立ち上がり、急いで背嚢の脇まで駆けた。
立てかけたままの剣を、腰のベルトに差した。
マントは…着ている暇はなさそうだ。
荷物も、持っていけないだろう。
「…お待たせし――むぐ…っ」
振り向きざまに、思いきり口を塞がれた。
「しっ…!」
ブライアンの緊迫した表情が、すぐ目の前にあった。
「…!」
扉の向こう側から、ガンッ…と何かを蹴るような音が聞こえた。
「…おい、いないぞ」
「料理もない」
「隣か」
カチャカチャと剣の鞘がすれる音が、いくつも近づいてくる。
「……」
ブライアンは口から手を離すと、静かに扉の方へ体を向けた。
外で、何人も動いている気配がする。
兵たちが、この扉の前に集まっている。
「…あ…」
リリアンヌは、ふらりと後ずさった。
…また、
また――襲われる。
体中が震え、歯が、かちかちと鳴った。




