第7回 伊弦さん、女友達が出来る。
本日は完璧である。
髪は梳かしたし、顔も洗ったし、歯も磨いて、トイレにも行った。
無茶を言って昨夜スポーツブラを購入して貰ったし、ハンカチとティッシュもポケットに入れた。
胸は走ると痛いし、重いって、昨日身を持って知ったからね。ブラしないと、乳首が痛いのとはまた別の話だ。そろそろ生理もいつ始まるか判らないからと、ナプキンも2枚程持たされた。
唯一の欠点は朝食を食べていない。
先に歯を磨いてしまったので、再度磨くのが面倒に思えて、空腹ながらも、まだイケる、まだ耐えられると判断した。
え、メイクやブロー?なんの話?
昨日の朝は、歩いて55分程かかった。夕方の電車では失敗したけど、それでも30分程だと思う。
という事は、間違えなかったらもっと早く着くかも知れない。
今朝は電車に乗る予定だ。
北条の送迎車は勿論断った。
何でもかんでも、負んぶに抱っこでは、やはり良くないと感じたからだ。
食券カードや、交通カードは、有り難く使わせて頂くが。
昨夜、“ トーク ” で、お礼のメールがてら、雑談も交え、藤堂さんに明日も電車に乗って行ってみると伝えてある。
今度こそ、ICカードで、電車の乗り降りを成功させるんだ。
そうして、意気込んで数本早い電車に乗り込む。
間違えても、歩いて行けるように。
昨日は本当は始業式があり朝礼がある筈だったが、理事長やら学園長の都合か何かで、初等部と中等部のみ、始業式を行ったようだ。高等部は今日に変更となっていた。
学園近くに止まる私鉄の電車なのだが、昨日より少し空いてはいたものの、隣の車両が小窓から見えないくらい混んでいた。当然座れない。
ふと、見渡すと、灰色の上品な制服の女子生徒が俯いていた。
伊弦はそれの黒バージョンの制服を身に纏っているが、同じ学校の制服だ。
あまり顔色が良くない。
よく見ると、その側には顔が見えないものの男性が妙に近くに立っており、女子生徒のスカートのお尻の辺りに鞄を持った手の甲がずっと当たっている。
(こ、これは!痴漢!?)
何とか、近くに寄ると、勇気を振り絞って、話しかける。
「失礼、さっきから、手が当たっているようなんですけど。位置をずらして立って貰えますか?」
『痴漢です!』とは言わない。
『鞄を持っていただけだ!冤罪だ!』と男に騒がれるのも困るし、女の子も警察沙汰などになって、時間を取られたり目立ちたくはないだろう。
「あ、済みません」
男はそそくさと、違う位置に移動する。
恐らく、次の駅で違う車両に乗るか、別の電車に乗り込むだろう。
「……」
「……ありがとう」
小声である。
「いえいえ」
どうやら、正解だったようだ。
女子生徒はあからさまにホッとしていた。
「北条さんの?」
「……まぁ、彼等と知り合い」
「中等部?」
「高等部一年です」
「あっ、ごめんなさい」
「いえいえ、よく間違われるので。お姉さんは何年生なんですか?」
「お姉さんじゃないわ。同じ学年よ。1年1組の御園麻理、宜しくね」
「御園さんかぁ。クラス違うけど、良かったら、仲良くしてね。私、クラスで浮いちゃってるから。特に仲良く話せるような女子の知り合い居ないし」
「ありがとう」
「ありがとうはコッチだよ。あっ、でも、喋り過ぎた?しつこかったらゴメン」
ガッツクと嫌われそうだ。
救ってやったんだから、友達になれと強制しているかのようでもある。
「そんな事ないわよ。携帯持ってます?」
そう言って御園はスマホを取り出すと、伊弦も釣られるようにスマホをポケットから取り出す。連絡先を交換する。
伊弦はまたしても、まだ使い方がよく分からずに、御園の主導で交換だ。
すると、自動的に “ トーク ” まで登録されたようだった。
「ありがとう御園さん。女の子の連絡先始めて入れた〜。あっ、杠伊弦って、読むの。宜しくね」
素直に喜んでいると、御園が可笑しそうに笑った。
ふんわりとした微笑みは、まるで天使のようだった。
毛先内巻きのロングヘアで、お嬢様らしい、美人さんだ。
「麻理でいいのよ?伊弦ちゃん」
声までお上品だった。
「えへへ、わかった。麻理ちゃんだね。電車通学は長いの?車のイメージがあるけど」
何となくだが、彼女に電車通学は合わない感じがした。
「西条先生って、新しく入った生物の先生なんだけど。昨日の授業中の雑談で、電車やバスに乗るのも社会勉強だとか、仰ってたのよ。それで早速ね。まさか、あんな事が起きるとは思わなかったけど」
「あはは。私は昨日、行きは歩きで、帰りは電車で。乗ってみたけど、スマホの調べで時刻は合ってたのに、遅延か何かで、別の路線乗ったみたいで、違う所へ行っちゃったよ。色々あるね」
「これも勉強ね」
麻理が苦笑すると、伊弦は少し嬉しくなった。
同性だけど、何か照れるというか、そんな感じだ。
そしてそんな空気を盛大にぶち壊す、腹の虫―――
ぎゅるるるるる!
一瞬何の音かと、真顔になる麻理ちゃん。
「ご、ごめん。朝食、後でいいや。と、食べなかったんだよね」
くすくすと麻理が一頻り笑う。
「駅近くのコンビニがあるから、寄りましょう」
友達と二人でコンビニ “ 7 - 11 ” に入る、それは初めての事だった。
北条兄弟?
男はとりあえず除外する。
コンビニでおにぎりを買い早速パクつく。
「麻理ちゃんもいる?」
別のおにぎりを出して、にんまりと笑ってみせた。
「さ、流石に立ち食いはちょっと…」
育ちの良いお嬢様には流石に無理だったようだ。
「もしかして、横に並んで立ち食いされても、恥ずかしかったりする?」
お嬢様は、きっと繊細なのだ。
意図せず不愉快にさせていたら、申し訳ない。
「それは大丈夫ですけど、ほら、頬っぺたにご飯粒が」
そう言って、ティッシュを出すと、ご飯粒を指で摘んでティッシュに包んだ。
世話を焼かせてしまっているようで、申し訳ない。
「学校に入ったら、歯磨きしましょう?」
「持ってない」
「ちょっとだけ、待ってて」
すると、踵を返してコンビニに引き返して行く。
疑問に思いつつも、食べながら待っていると、そのビニール袋には、携帯用の歯磨きセットが入っていた。
「さっ、これで大丈夫ね」
「えー!?、わざわざ買ってくれたの?お金払うよ」
「ふふふ、お気になさらないで」
「でも、……」
「では、痴漢に助けて貰ったお礼ということで。細やか過ぎて、申し訳ないけど」
「痴漢撃退は当然の事をしたまでだよ?お礼を貰う程の事ではな……」
すると麻理ちゃんの雰囲気が一変する。
「友達の細やかなプレゼントを受け取れないとでも?」
口調が変わった?
一瞬、百合の不機嫌な時に似た感覚が襲う。
背筋がひやりとして、何気に若干、体感が下がった気がした。
「いえ、有り難く使わせて頂きます」
「良かった。無駄にならなくて済みましたわ」
麻理がコロッと笑顔になる。
「えへへ、女友達との初ショッピングに、初プレゼントだ〜」
伊弦がそう言うと、麻理の顔が曇る。
「なんてこと!?」
「?」
どうしたのだろう?
「もっと早く言ってくだされば、もっと良い場所で、もっと素敵な物をプレゼント差し上げましたものを」
「ええ?、気にしないでよ。それは、麻理ちゃんが、今、私に必要で、私の為に買ってくれたんでしょ?凄く嬉しんだけど」
麻理がそれを聞いて、伊弦をぎゅっと抱き締めた。
「可愛いことを言いますのね」
ぎゅっと抱き締められて、伊弦は困惑していた。
うん、いい匂いがする。
それでもって、さっぱり距離感が掴めない。
高校初の女子友は、ちょっとだけ変わっている気がする。
これも環境の違いだろう。
海外ドラマのようなオーバーアクションだ。
麻理が不意に抱き締めるのをやめる。
「あら、意外とお胸が大きいかしら?」
「そう?かな?胸より身長が欲しいよ」
胸は確かに順調には育っているとは思う。
百合も、スポーツブラを購入する際に、その年齢にしては大きめとは、言っていた。でもまぁ、普通の範囲内かと思っている。
まだ生理が来ていない方が問題だろう。
多くの女性は、面倒だと、思っているようだが。
というか、女性としての成長よりも、いま最も重要なのは、背の高さだ。
このまま、育たなかったら本当に困る。
「着痩せするタイプなのね。ふふふ、それにしても胸より身長なのね」
「今着ている、私服は、笑えない事に150サイズの子供服なんだ……N松屋やMピアノとかS村の子供服コーナーで、母が適当に買ってくるんだ。身長は、切実な願いだよ。麻理ちゃんも私より、背が高いじゃん、160近いよね?」
「159センチよ。成長は個人差だから、伊弦ちゃんも、その内伸びるわよ」
子供っぽいとか、思われてるんだろうな〜、しかし、実際、身長があると無しでは、エライ違いなのだ。
棚上の物が踏み台無しで取れる、電灯交換の時に、肩や腕が痛くならない、そして掃除も出来る、何よりも重要なのは、小学生に、見られない!
身長が有る無しで人生変わると思う。
程無く学校に着いた。
昨日より、若干早いし、足の裏も痛くない。
1年4組の前で、麻理と別れる。
1年1組は、もっと西に進んだ奥にあるからだ。
「名残惜しいけど、またね。歯磨き忘れないでね」
「ありがとう。あっ、忘れ物というと…、もし何か忘れ物あったら、クラス違うから、授業被らないよね。言ってくれれば貸すからね。言ってよ」
「ふふふ、では、伊弦ちゃんも、忘れ物した際には、遠慮しないで言って下さいね」
そう言って、麻理が手を横に軽く振って見せた。
伊弦は、嬉しくなって、手をぶんぶんと振った。
勿論、言われた通りに、その後歯磨きをした。
その日、一日気分が良くなるような朝だった。