第29回 伊弦さん、お試しのお付き合いを始める。
杠 伊弦が北条や西条とは関係ない誰かと、お試しで付き合う、という情報は、何故だか直ぐに広まっていった。
女性陣は、北条兄弟や、西条明治を狙う伏兵ではなかったのだと安堵し、男性陣は、様子見をしていた矢先に、お試しという形での気軽さの付き合いで、先を越され、悔しがる者達が続出していたのだが、当の伊弦は、自分の事で一喜一憂されているとは思っておらず、雰囲気が変わったなとは認識しつつも、推察は出来なかった。
伊弦の友人は納得していなかった。
其々に対して、事実を報告する。
「伊弦ちゃん。好きじゃないのに、付き合うって、あまり良いことじゃないと思いますわ」
と眉間に皺を寄せ、否定的な御園麻里。
それに同調するかのように、東条桂季が頷いて言う。
「……。下らない者に時間をさくのか。時間をもっと大切にした方がいい」
何故か怒りが混ざり気味の北条泰雅。
「恋愛は本人の自由ですが、伊弦の事を外見でしか知らない輩。いざ、力尽くでこられた場合、伊弦に対処なんて、出来ないですよね? 伊弦に、男女交際なんて、まだ早いですよ」
完全に反対している。自分では兄的な気分で、妹に彼氏が出来るのは反対というところなのだろうか。
実の兄、結弦に話すのにハードルが高くなった気がする。
「お試しで付き合う?何の冗談だ? まぁ、 手を繋ぐ程度なら、……しかし、まだ伊弦は、生理が来ないくらい背が小さいのに……いや、……大きくは育っているが……」
そう言って想像の限界に来てたのは、西条明治。
混乱をしているのか、それ以上は口を閉ざして何か考え込んでしまった。
きっと研究対象が失われるかもしれない事に恐れ慄いて、思考がフリーズしたのかもしれないと、伊弦は推察する。
特にその話題に触れてこない北条泰時は、言いたい事があるのだろうけど、飲み込んだまま、苦い顔で、何も言わなかった。
皆其々、恋人がいた時期があり、恋愛経験豊富な彼等が、揃って苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。
そんなに不味い判断だったのだろうかと、付き合うのを止めるべきかと、伊弦は内心焦り始めた。
周りに言わない方が良かったのかもしれない。
いつだったか、泰時が彼女が出来た、何人に告白されただの、そんな事を自慢するように言っていたが、自分で言うのと、他人から聞かされるのは違うのかもしれない。
よくあるリア充は氏ね!爆発しろ!という感じの事なのか、しかし、そんな雰囲気でもないような。
何しろ、初めての経験なのだ。
そもそも、恋人と友達の違いが、よくわかっていなかった。ろくに考えた事もなかった。
明確な違いは、恋愛感情があるか、無いか。
キスをするなどの過剰なスキンシップを取れるかどうかだろう。
伊弦は今まで一目惚れを経験した事がなかった。
マスコットや、動物に対してもそうだし、所謂、顔の良い人達を、家族である結弦を初めとして、まぁ、兄である結弦に恋愛感情を持つなんて、以ての外だが、明治や泰時など、ネットなどを通しても沢山の人物を見ているのにだ。
恋愛感情が人の顔の良し悪しで決定付けられるものならば、これからも一目惚れは起こらないだろう。
おそらく、自分の中の恋愛感情は、外見にあまり左右されず、人間関係で接していくうちに芽生える可能性があると思えた。
お試しなのだから、間違えても良いのだ。
恋人ごっこ、真似事なのだから。
だいたい、小中学生でも、彼氏彼女がいる人はいるのだ。
アラサー、アラフォーをかるく過ぎての安定の喪女で、更には隠し事のある身で、普通の人のようには結婚出来ずに、生涯独り身を予想していた人生の中で、ほんの数日くらい、彼氏がいた事があったという事実があれば、それだけで、今後の慰めと少しはなるものだろう。
何も知らない高校からの友人はともかく、北条兄弟や西条明治には、少しは理解して欲しいものであった。
絶対に彼氏が欲しいというわけではないが、普通の女の子のように、過ごした日々が、良い思い出として残るように。
伊弦は、お試しの付き合いという事で数日から数週間くらいを目安に考えていた。
なので、貴重な経験をくれた兵衛の願いには、この短期間、出来るだけ、応じるようにしようとも思っていた。
彼、兵衛の行動は、予想外の展開が多かった。
何が気に入らないのか、放課後デートをする予定になったのだが、無理矢理、髪や眉を切られた。
あっ、一応美容師、ヘアスタイリストの手でそうなった。
「俺が杠ちゃんを素敵に変身させるから」
との事で、伊弦がカット代が高いし、嫌だと主張したにも関わらず、兵衛が強引にスタジオとやらに連れて行ったのだ。
お金は兵衛が払ってくれるというのだが、髪や眉を切ったところで、何が変わるのか、伊弦は、伊弦のままである。
最初こそ、伊弦の嫌がりようもあり、乗り気でなかった美容師も、鋏が進むに連れて、機嫌良さげとなっていく。
少々重たかった長い髪が肩先辺りで軽やかになり、長かった前髪も切られて、常に顔が見れる状態となった。
こっそりと美容師がカットモデルにならないかと打診してきたが、今しがた髪の毛を切ったばかりである。
何を言っているのか、真意が読めず意味不明だった為に伊弦は首を傾げた。
家業を暗殺としていたが為に、あまり顔を覚えて欲しくない伊弦にとっては、勝手に髪を切られるのは最悪としか言いようが無かった。
もっとも、その家業は廃業となり、未成年で、毒薬担当の伊弦が、暗殺を実行する事はこの先も無いだろうが。
何の感動も抱かない伊弦に反して、兵衛は何が嬉しいのか、何か期待をするような眼差しで、見つめてている。
他人の髪が切られた所で、何の得があるのか。
爪にプロらしき人が細工を施していく。
手入れをするつもりがなく、後で剥げるのも見苦しいので、断りを入れたのに、高校生のお嬢様らしく、目立たないようにするからと押し切られた。
メイクが入ろうとした所で、伊弦は再度ストップをかけた。
これからどこかのパーティーに出る訳でもなく、高校生の放課後デートとして、ちょっとだけ寄り道をする程度で、メイクまでする必要性がどこにあるんだと。
メイク担当者は、悔しがっていたし、兵衛も伊弦を宥めようとしていたが、理由が分からなかった。
その後も、服や靴なども用意されて、今日の記念にと、カメラマンがいたのには、引いた。
お試しの伊弦に対して、写真など撮ってどうするというのだと兵衛を睨みつけたが、暖簾に腕押し感が半端ない。
これが普通のデートでする事なのか、違和感だらけであった。
何でこんな事をと、ぼやいたら、兵衛が言うには、そのままでは余りにも勿体ない から、だそうだが、価値観の違いだろう。
時間やお金を掛けて外見を取り繕うよりも、もっと他に大切な事があると思うのだ。
人は見た目が9割と聞かされてきたが、身嗜み程度にしか、認識出来なかった。
ただ、兵衛のその点に関しては、嘘はなかったようで、見た目が変わったその後から、周囲の様子に変化が起きた。
自分の花粉症、杉だけかと、おもいきや、ヒノキもあった模様。




