病院脱出。山小屋への帰還。
権蔵が剣ナタを抜き放つ。
鈍く光る刃を構え、軽トラックの方へ駆け出した。
健一も薪割り斧を握り直し、その後へ続く。
唯と夏帆は少し後ろを走り、二人の背中を必死に追いかけた。
軽トラックの周囲には三体の感染者が残っていた。
のろのろと権蔵の方に向かって歩いて来る。
『まず一体じゃ!』
権蔵は一気に間合いを詰めた。
感染者が噛みつくより早く、剣ナタを胸へ深く突き立てる。
ぐしゃり、と鈍い音が響く。
そのまま力任せに押し込み、感染者を軽トラックから引き離した。
身体から力を失った感染者は、その場へ崩れ落ちる。
『健一!』
『はい!』
健一は二体目へ向かって駆ける。
感染者が腕を伸ばしてくる。
健一は一歩踏み込み、薪割り斧を大きく振り下ろした。
鈍い衝撃。
刃が頭へ食い込み、感染者は前のめりに倒れ込む。
健一は斧を引き抜き、荒い息をついた。
残る一体。
感染者は唸り声を上げながら、ゆっくりと健一へ近づいてくる。
『足を狙え!』
権蔵の声が飛ぶ。
健一はうなずくと、斧を低く構えた。
感染者が一歩踏み出した瞬間――。
『はあっ!』
斧を横薙ぎに振る。
刃が感染者の脚へ食い込み、その身体は大きく体勢を崩した。
感染者はそのまま地面へ倒れ込む。
起き上がろうともがく感染者へ、権蔵が迷いなく歩み寄った。
『終わりじゃ。』
剣ナタが鋭く突き出される。
刃は首へ深々と突き刺さり、感染者はぴくりと身体を震わせると、そのまま動かなくなった。
周囲に静寂が戻る。
だが、それも束の間だった。
先ほどの散弾銃の発砲音に引き寄せられたのか、遠くの道路から感染者たちが一体、また一体とのろのろと集まり始める。
『権蔵さん!』
健一が叫ぶ。
権蔵は素早く周囲を見回し、短く命じた。
『乗れ! 集まる前に出るぞ!』
『はい!』
健一は荷台へ飛び乗り、夏帆も続いて乗り込む。
唯は助手席へ駆け寄り、権蔵が運転席へ乗り込んだ。
エンジンが唸りを上げる。
軽トラックは土煙を巻き上げながら発進し、病院を後にした。
後方では、発砲音に集まってきた感染者たちが、取り残されるようにゆっくりと病院の前へ集まり続けていた。
◇8月6日 14:00
軽トラックは山道を抜け、山小屋の前でゆっくりと止まった。
『着いたぞ。』
権蔵がエンジンを切る。
四人は車を降り、久しぶりに張り詰めていた緊張を少しだけ緩めた。
唯は山小屋を見上げ、小さく息をつく。
『助かった……。』
健一はそんな妹の肩を軽く叩いた。
『まだ安心はできない。でも、ここなら少しは落ち着いて話ができる。』
全員が山小屋へ入り、テーブルを囲んで腰を下ろす。
権蔵は湯を沸かし、それぞれの前へ湯飲みを置いた。
誰もすぐには口を開かなかった。
静かな時間だけが流れる。
やがて権蔵が口火を切った。腕を組み、静かに言う。
『海外で起きとったことが、そのまま日本でも始まったいうことじゃな。』
部屋の空気が重くなる。
健一はうつむいたまま、ずっと心に引っ掛かっていた違和感について話し始めた。
『何か、おかしくありませんか?』
『おかしいって、何が?』
夏帆が聞き返した。
『海外のニュースでは、感染しても少なくとも一週間から二週間は人を襲わなかったと思います』
健一は全員の顔を見回した。
『それなのに、まだ三日しか経っていないのに……街の人たちは人を襲っていた』
夏帆も静かにうなずく。
『確かに、私も同じことを思ったわ』
『地震のあと、病院へ急患が次々と運ばれてきたの。その中に感染者と思われる人が混じっていたわ』
『そこから二日後には、感染者になって歩き回る人たちが現れ始めたの』
健一はふと顔を上げた。
『みんな、それぞれ何があったのか話しませんか』
『情報は多い方がええ』
権蔵も同意した。
最初に話し始めたのは健一だった。
地震のあと、唯を迎えに病院へ向かおうとしたこと。
山小屋へ避難し、翌日あらためて病院へ向かったことを順を追って説明した。
続いて唯と夏帆が、病院での出来事を語る。
患者や職員が次々と感染し、院内が混乱したこと。
非常用倉庫へ逃げ込み、入口を棚で塞いで救助を待ち続けていたこと。
『もう駄目かもしれないって、何度も思いました。』
唯が小さく言うと、健一は静かにうなずいた。
『でも、お兄ちゃんは来てくれた。』
その言葉に、健一は照れくさそうに笑った。
最後に権蔵が、自分が山で害獣駆除をしている最中に地震に遭い、山小屋へ戻ってからの行動を話した。
全員の話を聞き終えると、権蔵は夏帆へ視線を向ける。
『そういや夏帆さん。山菜や薬草に詳しい言うとったな。』
『はい。趣味でよく山へ入っていました。薬草やハーブも少し勉強しています。』
権蔵は『そうか』とうなずくと、立ち上がって倉庫へ向かった。
しばらくして一本の剣ナタを手に戻ってくる。
『これは昔、山で採取するときに使っとったもんじゃ。』
権蔵は剣ナタを夏帆へ差し出した。
『これから山菜や薬草を採る機会もあるじゃろう。持っときんさい。』
夏帆は驚いたように目を見開いた。
『……いいんですか?』
『道具は使う者が持つんが一番じゃ。』
夏帆は両手で剣ナタを受け取り、深く頭を下げた。
『ありがとうございます。大切に使います。』
権蔵は静かに笑う。
山小屋には、束の間ではあるが穏やかな時間が戻っていた。
しかし、その穏やかな時間は長くは続かない。
外の世界では、FMウイルスによるパンデミックが、今も確実に広がり続けていた。




