第2話①生き残るための整理
◇08月06日 14時台/山小屋前/健一、権蔵、唯、夏帆
軽トラックが山小屋の前で止まった。
エンジンが切れる。
それまで絶えず聞こえていた振動音が消えると、代わりに風で木々の葉が擦れる音が辺りを満たした。
健一が荷台から降りる。
続いて夏帆も地面へ降り立った。
病院を出てから二時間。
ようやく感染者のいる街から離れ、山まで戻ってくることができた。
助手席から降りた唯が、山小屋を見上げる。
『ここが……権蔵さんの山小屋?』
『そうじゃ』
権蔵が答えた。
夏帆は周囲を見回し、山小屋の前にある手動ポンプに気づいた。
『これ、井戸ですか?』
『ああ』
夏帆が近づく。
『この水って飲めるんですか?』
『飲んでも大丈夫じゃ』
『本当ですか?』
夏帆はポンプの取っ手を上下に動かした。
ギィ、ギィ、と金属の擦れる音がする。
やがて吐出口から水が流れ出した。
手で受ける。
山の地下から汲み上げられた水は驚くほど冷たかった。
夏帆は両手ですくい、そのまま口へ運ぶ。
『冷たくて美味しい!』
思わず声が弾んだ。
唯も横から覗き込む。
『私も飲みたい』
『ちょっと待ってね』
夏帆が再びポンプを動かす。
唯も手に受けた水を口にした。
ひんやりした感触に、少しだけ表情が緩む。
健一はその様子を見てから、山小屋へ目を向けた。
街で見た感染者や崩れた建物、病院の惨状に加え、斧を振り下ろした時の感触まで、まだ頭から離れていなかった。
それに比べれば、ここはあまりにも静かだった。
『とりあえず、中に入ろう』
権蔵が扉を開ける。
四人は山小屋へ入った。
室内には地震の跡がまだ残っている。
権蔵が最低限の片付けだけしていたため、倒れた家具こそ起こされているが、棚から落ちた物や荷物は床のあちこちに散らばったままだった。
四人はそれぞれ荷物を下ろした。
健一は壁際へ腰を下ろす。
唯も近くに座った。
夏帆は疲れたように息を吐き、権蔵も椅子へ腰掛けた。
誰もすぐには話さなかった。
静かな時間が流れる。
やがて権蔵が、何かを思い出したように顔を上げた。
『そういえば……自己紹介がまだじゃったなぁ。こんな状況じゃ、名前を聞く暇もなかったからの』
夏帆が少しだけ笑う。
確かに病院では、そんな余裕はなかった。
権蔵は改めて三人を見る。
『わしは佐藤権蔵じゃ。ここから少し離れたところに住んどる。猟師をやっとってな、この山小屋は狩猟で使うために購入した物じゃ。山のことなら多少は分かる』
健一が続いた。
『俺は健一です。キャンプとサバイバルが趣味で、よく動画を見てました。前はリフォーム作業員をしてたので、建築物のことなら詳しいです』
『今はマンション管理の仕事に転職したので、マンションの設備のことは多少分かります。あとバイクの免許と、電気工事士の資格があります。んで、こっちは妹の唯』
急に話を振られ、唯が少し姿勢を正した。
『唯です。よろしくお願いします』
そう言って、少し俯く。
『うむ。よろしく頼むぞ』
自然と三人の視線が夏帆へ向いた。
『私は桜井夏帆。看護師をしてたわ。ハーバリストの資格もあるから、多少は野草のことも分かります』
『看護師でハーバリストか。それは心強いのう』
権蔵の言葉に、夏帆は曖昧に笑った。
『どこまで役に立てるか分からないけどね。病院も……もう、あんな状態だし』
最後の言葉とともに、夏帆の表情が沈んだ。
ついこの間まで、自分が働いていた場所。
患者を治療するための病院が、人が人を襲う場所へ変わってしまった。
唯が夏帆を見る。
『夏帆さんには病院からずっと助けてもらってたの』
『地震が起こってからは唯ちゃんとずっと一緒だったの。唯ちゃんの薬も持って来てるけど、そんなに量はないわ』
健一の顔がすぐに変わった。
『……薬か』
『ええ。しばらくは大丈夫。でも、この状況が長引くなら考えないといけない』
一瞬、全員が黙った。
外から聞こえるのは、風に揺れる木々の音だけだった。
この山小屋にいる四人が、これからどう生きていくのか。
その答えは、まだ誰にも分からなかった。
◇08月06日 15時台/山小屋/健一、権蔵、唯、夏帆
しばらく休んだあと、権蔵が口を開いた。
『名前も聞いたところで、分かっとることを一度整理した方がええじゃろ』
『そうね。海外の情報や、今までニュースで見聞きしたことをまず私から話すわね』
夏帆はこれまでに得た情報を思い返しながら、話し始めた。
『感染したばかりの頃は、見た目だけじゃほとんど分からないみたい。普通の人と変わらないの。でも、少しずつ知性や理性が失われていって、攻撃的になっていくって聞いたわ』
健一は病院で見た感染者を思い出していた。
斧を振り下ろそうとすれば、腕で防いだ。
武器を掴みもした。
完全に何も考えていないわけではない。
『発症してから2週間くらいは、高熱や嘔吐、痙攣なんかの症状が続くらしいの。身体もかなり怠くなるみたいで、歩くのも遅くなる。映画に出てくるゾンビみたいに、ゆっくり歩くようになるって』
唯が不安そうに聞いている。
夏帆は続けた。
『ただ……ずっと遅いわけじゃないの。短い距離なら突然速く動くこともあるみたい。長くは続かないらしいけど、遅いからって油断しちゃ駄目だって』
『急に速くなるのか……』
健一が呟く。
病院では、相手が遅いことに何度も助けられた。
その感覚のまま接近すれば危険だった。
『でも、発症から2週間くらいを過ぎると、少しずつ筋肉の再構築が進んで、動きも速くなっていくみたい。中には短い時間なら走れるようになる人もいるって』
『走る……』
唯の声が小さくなる。
『体力も普通の人間より高くなっていく。それなのに前頭葉の萎縮はどんどん進んで、人間としての理性はほとんど失われる……。その頃には、攻撃性もかなり強くなるそうよ』
夏帆はそこで言葉を切った。
何かが引っかかっているように眉を寄せる。
『ただ、今回病院で発生したウイルスは少し違うかもしれない』
『違う?』
『なんていうか……症状の進行が明らかに早いと思うわ』
人を襲い、噛みつき、肉を食べていた感染者。
海外で報道されていた経過と比べても、異常だった。
『だから、今まで海外の映像で見てきた感染者と、これから私たちが相手にする感染者は同じじゃないかもしれない……』
山小屋の中が静かになる。
健一は膝の上で手を組んだ。
『感染者が走り出す前に……攻撃性が高くなる前に、やれることはやっておかないと』
『そうね。自分たちは空気感染には耐性があるようだけど、噛まれたらどうなるか分からない。必要な物は早めに手に入れたほうがいいわね』
『噛まれないようにするなら……』
健一は自分の腕を見る。
『暑くても、肌を出さない方がいいな』
夏だった。
厚着をすれば暑い。
動けばさらに体力を奪われる。
それでも、感染者に直接噛まれる危険を考えれば、薄着のまま街へ出る気にはなれなかった。
『出来るだけ肌を隠す方がええじゃろう』
健一は少し考え、別の疑問を口にした。
『生存者は他にいるのかな?』
夏帆が答える。
『特殊赤血球保有者の人口比が、2000人から4000人に1人だったと思うわ。それなら街にはまだ感染してない人がいるはずよ』
『この街なら?』
『人口40万人以上だから……130人くらいは感染してない人がいるはずね』
健一はその人数を頭の中で考える。
『それなら、協力して生きていける人を探すのはどうだろうか?』
『地震のあと、周辺の道を見て回ったが、この辺りに来れる道はかなり限られておる。自然の要塞のようになっておるが……』
横転したダンプカーに塞がれた道。
崩落して途切れた林道。
土砂に埋まり、通れなくなった道。
外から簡単に入り込めないという意味では、安全性は高い。
『人を連れてくるとなると、この山小屋ではちと狭いのう』
『近くのキャンプ地などを使うのはどうでしょう?』
『人が増えたら後々考えていこうかの』
健一は、もう一つ避けて通れない問題を口にした。
『それと……食料はどれくらいありますか?』
権蔵が腕を組んだ。
『正直、たいしてないのぅ。今の4人だけでも、そう長くは持たんじゃろう』
唯が不安そうに聞く。
『じゃあ、また街に取りに行かないといけないの?』
『当面はそうするしかないじゃろうな。じゃが、いつまでも街から拾ってくるわけにもいかん』
『感染者もいるし、残ってる食料だってそのうち無くなりますよね』
『うむ。山なら狩猟もできる。畑を作って野菜を育てることもできるが、作物は植えたところですぐ食えるようにはならん』
夏帆が考えながら言った。
『じゃあ、しばらくは街で食料を集めながら、狩猟と農業の準備も始めた方がいいわね』
『街に頼らなくても生きていけるようにするってことか』
『そういうことじゃ。いつまでこんな状況が続くか分からんからのぅ』
健一はそこで、唯へ目を向けた。
『あと、唯の薬は? 今ある分でどれくらい持つ?』
唯は自分のバッグを見る。
『そんなにないよ……。病院から持ってこられた分だけだから』
『薬が切れる前に、どこかで手に入れないとな』
夏帆も表情を引き締めた。
『唯ちゃんの薬は普通の食料と違って、何でも代わりになるわけじゃない。薬局や病院を探す必要があるわね』
『なら、優先して探した方がええじゃろう。食い物は山でも何とかできるが、薬はそうはいかんからのぅ』
『分かりました』
健一は唯を見る。
まだ薬はある。
だからこそ、今のうちに動かなければならない。
『まだ残ってるうちに探しましょう。なくなってからじゃ遅いですから』
唯は黙って頷いた。
山小屋の外では、変わらず風が木々を揺らしていた。




