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最終話 新しい人生(恋の始まり)

王都での騒動が収束したのは、それから数日後のことだった。


ミレイナの処置によって、原因不明とされていた毒は完全に解明され、対処法も確立された。

患者たちは次々と回復し、医療区画の空気もようやく落ち着きを取り戻していた。


「……一段落、ですね」


窓の外を見ながら、ミレイナは小さく息を吐く。


王都の空は変わらず広く、そしてどこか遠かった。


「疲れたか」


背後から声がする。


振り向くと、アルトが立っていた。


「少しだけ」


正直に答えると、アルトはわずかにうなずいた。


「当然だ」


それ以上は何も言わない。

だがその一言には、気遣いが込められていた。


しばらくの沈黙。


心地よい静けさだった。


かつて王都にいた頃は、沈黙は居心地の悪いものだった。

何か話さなければならない、期待に応えなければならない。


だが今は違う。


何も言わなくてもいい。


ただそこにいるだけで、十分だった。


「……戻りましょうか」


ミレイナが言う。


「辺境へ」


アルトは少しだけ驚いたように目を細めた。


「いいのか」


その問いの意味は分かっていた。


王都に残る選択肢もある。

宮廷薬師として迎えられる可能性も、十分にある。


名誉も、地位も、すべて手に入るだろう。


だが――


「ええ」


ミレイナは迷いなくうなずく。


「私の居場所は、あちらですから」


その言葉は自然に出た。


考えたわけではない。

ただ、そう感じたのだ。


辺境の小さな村。

薬屋。

訪れる人々。


そして――


「アルト様の領地ですし」


何気なく付け加えたその言葉に、アルトがわずかに動いた。


「……そうか」


短い返事。


だが、その声はほんの少しだけ柔らかかった。


王都を出る日。


門の前には、数人の宮廷関係者が見送りに来ていた。


以前とは違う視線。


軽視でも、疑念でもない。


明確な敬意だった。


「本当に、戻られるのですね」


一人の薬師が言う。


「ええ」


「……残念です」


その言葉に、ミレイナは少しだけ笑った。


「また必要になれば、呼んでください」


それは社交辞令ではなかった。


本当にそう思っている。


「その時は、ぜひ」


薬師は深く頭を下げた。


馬車に乗り込み、王都を離れる。


石畳の音が遠ざかっていく。


もう振り返らなかった。


振り返る理由がないからだ。


過去は、もう終わっている。


これからは――


前だけを見ればいい。


数日後。


辺境の村に戻ると、いつもの景色が迎えてくれた。


小さな家々。

広い空。

冷たい風。


そして――


「おかえりなさい!」


村人たちの声。


それを聞いた瞬間、胸の奥がじんわりと温かくなる。


「ああ……戻ってきたのね」


自然と、そう思えた。


ミレイナの家――薬屋には、すでに数人が待っていた。


「咳がひどくてね」


「こっちは傷を見てほしくて」


日常が、そこにある。


ミレイナは外套を脱ぎながら、いつものように答える。


「順番に診ますね」


それだけでいい。


それが、今の自分の役割だ。


その日の夕方。


一通りの診療を終え、ミレイナは外へ出た。


空は淡く染まり、静かな時間が流れている。


ふと気配を感じて振り向くと、アルトが立っていた。


「お疲れ様です」


「あなたもな」


短いやり取り。


だが、それだけで十分だった。


しばらく並んで、夕焼けを眺める。


言葉はない。


けれど、不思議と気まずくはなかった。


「……忙しくなりそうですね」


ミレイナが言う。


「そうだな」


「騎士団も、村も、やることが増えそうです」


「だが」


アルトは少しだけ間を置いて言った。


「一人ではない」


その言葉に、ミレイナはわずかに目を見開く。


アルトは視線を空へ向けたまま続ける。


「必要なら、支える」


簡潔な言葉。


だが、それ以上の意味が込められていた。


ミレイナはゆっくりと息を吐く。


「……ありがとうございます」


それだけで、十分だった。


すぐに答えを出す必要はない。


急ぐ必要もない。


ただ、少しずつ。


関係は変わっていけばいい。


風が、静かに吹く。


ミレイナは空を見上げる。


広く、どこまでも続く空。


王都では見られなかった景色。


「……悪くないですね」


ぽつりと呟く。


アルトが横でわずかに笑った気がした。


それを確かめることはしなかったが――


その距離が、心地よかった。


離婚から始まった新しい人生。


失ったものは確かにあった。


けれど、それ以上に――


手に入れたものがある。


居場所。

役割。

そして、これから育っていく関係。


ミレイナは静かに目を閉じる。


そして、ゆっくりと開いた。


「明日も、忙しくなりそうですね」


「ああ」


短い返事。


それだけでいい。


二人は並んで歩き出す。


小さな薬屋へと続く道を。


その先にあるのは――


まだ始まったばかりの、新しい人生。


そして、静かに芽生えた恋の予感だった。

――だがその平穏は、長くは続かないことを、まだ誰も知らなかった。



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