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十三話 : そげなもんたい


【第一章:三鹿大学の「深窓の令嬢」という名の幻想】


 九州三鹿きゅうしゅうさんだい大学、法学部2号館の大教室。講義開始のチャイムが鳴り響く直前、後ろのドアが静かに開いた。逆光の中に現れたその姿に、教室内の一百人近い学生の視線が一瞬で釘付けになった。

羡望せんぼうと畏敬を一身に集めるその美少女は、大学内では「深窓の令嬢」か「皇族」かと思わせるほどの気品に満ち、あまりにも近寄り難いオーラを放っとった。容姿端麗、学問優秀。成績は常にトップクラス。白く透き通るような肌に、漆黒の長い髪。彼女の名前は――小鹿恵菜(こじかえな)――

 

 だが、その気品は、彼女が意図して「被っている皮」ではなか。周りが勝手にそう勘違いし、崇めているのを、彼女はただ黙って受け入れているだけやった。

 なぜなら、喋れば強い「博多弁の訛り」が飛び出してしまうからやった。

 それで、言葉数は極端に少なく、声も小さくしとった。

以前、同学年の女生徒に香水を尋ねられた際も、ただ静かに首を振っただけやった。

 本当は「何も使っとらんよ」と博多弁で言い返したかったが、そげなことを言えば、博多弁が出てしまうったい。

(香水に関しては、午前中の「十路人ほびと」のバイトで染み付いた、珈琲豆の焙煎の香りと店主秘蔵のスパイスココアの匂いやった。そげなこつ言っても、誰も信用せんやろうし、想像もできんやったろうね)

 

 彼女は、後ろから三番目の席に静かに着いた。すると、教室内の女子学生たちが、まるで潮が引くように移動を始めた。彼女を中心として、彼女を守るように、次々と席が埋まっていきよった。

 彼女は、ちょっとだけ首を傾げ、困ったような表情を見せた。実際には「エアコンの風が直撃して寒か」と思っていただけやが、その表情すら気品があると、周囲の学生たちは再び、深く虜になるのやった。


 

【第二章:令嬢の正体と、灼熱の避難所】


(しょんなかね……。大学におる間のオイラは、この『深窓の令嬢』の幻想(皮)ば被っとるごたる。言い訳すれば訛りが出るし、誰も信じちゃくれんし)

ノートを開きながら、彼女――コジは心の中で呟いた。

 

 期末試験の期間、コジの生活は分刻みの「サバイバル」と化しとった。

午前中は「十路人」で珈琲豆と格闘。昼間は大学で講義を受け、空き時間は図書館に籠もる。夕方からは居酒屋「にわか」でまたバイトしとった。賄いとエアコンが目的やった。

事務所に帰るのは深夜、ただ眠るためだけや。

なぜなら、家賃18,000円の事務所にはエアコンがなかからたい。

「あちぃ。エアコンのない部屋で勉強ち、死ねち言うとるとおんなじたいね」

 図書館の天井近くに設置されたエアコンの吹き出し口を、コジはうっとりと見つめた。吹き出し口からは、冷たい風が静かに、けれど確実に届いている。

(憲法判例集……民法総則……テストが終わるまで今は、この涼しか部屋で、教科書の文字ば追うだけで精一杯たい。へへっ)

 


【第三章:伊頭の静寂と、小百合の勘違い雷】


 事務所では、汗だくの伊頭いとうが一人、ちゃぶ台を片付け、猫たちに餌をやり、コジの帰りを待っとった。

「しょんなかね、こげなエアコンのない部屋じゃ、勉強もクソもなかろうもんね。まあ、あいつなりに涼しか場所ば見つけとるなら、それでよか」

 伊頭は、瓦煎餅を一枚口に放り込んだ。コジが大学の図書館でエアコンの風を受けていることも、十路人やにわかでバイトをしとることも、全て察し、ただ静かに、彼女のサバイバルを見守り、気遣っとった。

 

 だが、その事情を全く知らん人物が、事務所の古びた引き戸をひっぺがすように開けた。様子を見に来た小百合さゆりたい。

「……伊頭さん! あんた、なんばしよっとね、なさけんなか!」

ミニパトから降りてきた小百合は、眉間に深い皺を寄せて絶叫した。

「コジちゃんの様子を見に来てみれば、あんたが一人で瓦煎餅ば食っとるし……コジちゃんはどこね? 最近、全然姿ば見んち、近所の住民からも心配の声の上がっとるとよ!」

「ああ、あいつなら……『避難』たい。エアコンのある場所ば、求めとるとたい」

「避難!? エアコン!? ……あんた、またへっぽく(屁理屈)ば言うて! むりやり、コジちゃんをこき使いようとやろ?」

小百合の怒りは、見当違いの方向へ暴走し始めとたい。

「あたしはあんたを監視しとけいわれとるんよ! コジちゃんは……あんな、健気で、朝から晩までバイトして、あんたのために生活費ば稼ぎよるごたる子が、なんでこんな……家賃18,000円の場所で、こげな扱いば……!」

 小百合は、コジが「十路人」や「にわか」でバイトをしていることは知っていた。だが、それが大学の期末テストの勉強場所エアコンと、賄い(タダ飯)を確保するためであること、そして彼女が大学に通っていることなど、露ほども知らん。

ただ、「健気なコジちゃんが、ヒモの伊頭に利用されている」と思い込み、その不憫さに怒りを爆発させとった。

「伊頭さん、あんたヒモたい! コジちゃんに生活費稼がせて、自分は一日中、猫と寝とるだけやなかと!? なさけんなか!」

小百合は伊頭を詰め寄り、怒鳴り続けた。


だが、伊頭はただ、窓の外の、コジが帰ってくるはずの那珂川の土手を眺め、頭を低くして、薄く笑っただけやった。

 小百合の怒号はいつまでも続く……

 

那珂川の風は、エアコンのない事務所を、さらに熱く、そして温かく揺らしとった。


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