第十九章 鎮魂の風
1 眠りの庭にて
その夜は、かつてないほど静かだった。
災厄の竜が倒れ、ミュルクヴィズ城の尖塔が崩れてから三日――。
グズルーンの亡骸は城の裏手にある古い聖域へと運ばれた。
祭司たちが浄衣を纏い、風の神に祈りを捧げる。
けれど、ブリュンヒルドは列席せず、たった一人で墓前に立っていた。
――墓標にはグズルーンの名も爵位も刻まれていない。
ただ「永遠の愛に生きた者」とだけ、ブリュンヒルドの手で記した。
(あなたの愛は誰にも理解されなかった。けれど私は……忘れない)
そっと彼女は花を置く。
白銀の小さな草花――それはグズルーンが幼い頃に好んでいたという風の谷の花だった。
背後から足音がする。
シグルドだった。彼もまた、何も言わず花を手向ける。
「この世で、彼女の孤独を終わらせてやれたのか……いまだにわからない」
「彼女が微笑んだのなら、それでいい。私たちが赦されるかは、また別の話だけれど」
ふたりの影が墓前に並ぶ。
炎に焼かれた心の奥に、まだ癒えぬ痛みを抱えながら。
2 女王の命令
数日後、王城に戻ったブリュンヒルドは静かに政務の席についた。
竜の災厄の後始末、各地への連絡、民への安否確認――やるべきことは山積みだった。
だがそのすべてを前にして、彼女の姿は揺るがない。
まるで、何かを乗り越えた者のように。
「この戦の混乱を利用し、北部では再び反乱の気配があるようです」
老臣が告げると、彼女は頷いた。
「ならば、私が行きます。自ら説き治めましょう。剣は使わずとも心は示せる」
周囲がどよめいた。
だが誰一人として反論はできなかった。ブリュンヒルドはもはやただの女騎士ではない――女王だった。
3 風の中の影
反乱を抑え終えた夜。
王城の中庭にシグルドが立っていた。手には一本の剣。
「……戦いは終わったはずだけど?」
声をかけたのはブリュンヒルド。
「剣を振るうのは自分を戒めるためだ。何も守れなかった男が、せめて心を鍛えるしかないと思ってな」
彼女は少しだけ微笑んだ。
「その道はあなた自身が決めればいい。でも……一つだけ覚えておいて。私はあなたを罰しない。
あなたを赦すのはあなただけの役目よ」
その言葉にシグルドは目を伏せる。
けれど、その目には少しだけ、光が戻っていた。
4 暁の誓い
東の空が淡く朱に染まり始める。
ふたりは並んで立っていた。
ただ今は女王と騎士でも、裏切り者と被害者でもない。
ただ――ひとりの女と男として。
「夜が明けるわ」
「……長い夜だった」
「ええ。でも、もう終わり。新しい朝が来る」
ふたりの影が朝の光に伸びてひとつに重なる。
そこに言葉は要らなかった。
過去を悔い、痛みを知った者たちだけが持つ、静かな確信があった。
そして、そっと。
ブリュンヒルドがその肩に額を預ける。
シグルドは何も言わず、そっとその肩に触れた。
それは口づけよりも深く、誓いよりも静かな、ふたりの愛のかたちだった。
終




