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澄彦さんの母屋から離れを通り、自分たちの母屋へと帰るとき。
玉彦はいつも私の手を引く。
今朝もそのルーティンワークは守られていた。
そうして部屋に戻ると玉彦は紺の着流しの帯を無言で解きだす。
「な、何してんのよ」
「着替えろ、比和子。家を出る」
「は?」
思いがけない言葉に固まる私をよそに、玉彦は自分の衣裳部屋からライトグレーでストライプのスーツを持ち出し着替え始めた。
家を出るって、家出ってことなんだろうか。
え、玉彦が家出するの!?
「何をしている。早くしろ。着物は面倒だから洋服にしろ。肌の露出は控えろ。俺は金を取ってくる」
「え? あ、ちょっと!」
着替え終わった玉彦は私を残して部屋を大股で出って行ってしまった。
残された私は意味も解らぬまま、取り合えず水色のワンピースに袖を通した。
家を出るって、お金を取ってくるってどういうことなんだろう。
着替えるってことはお屋敷を出てどこかに行くんだろうけど、帰って来るよね?
まさか正武家を捨てて、新しい生活を始めるって訳ではないよね?
ワンピースとお揃いのハンドバッグを握り締めて不安になっていると、足音をさせて玉彦が帰って来る。
右手に帯が付いたままの札束三つ、左手には車のキーを持っている。
「行くぞ」
「ちょっと待ってよ。どこに行くのよ」
歩き出した玉彦を追い掛けて声を掛けると、振り返った玉彦は澄彦さん譲りの底意地の悪い笑顔を浮かべた。
「思いがけず七日の休暇を貰ったのだ。ゆるりと遊山に行こうじゃないか。六日間、一人で役目を務める当主の気概には頭が下がる」
「いやいや、あんた、謹慎でしょうよ!」
「自宅謹慎とは言われなかった。顔を出すなとだけだろう」
「でもだったら惣領の間でお役目があるんじゃないの?」
「それは確認済みだ。六日間は当主の間での役目のみ。そう客数も多くはないので、惣領の間は使わぬ」
「そうなんだ……。でも、私は別って澄彦さん言ってたよ……」
玉彦にお役目が無くても、私にはあるのだ。
神守として最近は参加させてもらっている。
私の言葉に玉彦がそうだったと目を見開く。
彼らしくもない、そのことが頭に無いくらい血が上っていたのだろう。
「くそっ。何故比和子は神守なのだ!」
「逆切れしてんじゃないわよ! それに車だってお祖父ちゃんのとこでしょう!」
再び目を見開いた玉彦に呆れかえった私は、彼を通り過ぎて玄関に向かう。
取り合えずお祖父ちゃんの家に置いて来てしまった車を取りに行かなくてはならなかった。
表門を抜け、石段を下り。
私と玉彦は夏の日差しの中、日傘を差して手を繋ぎ田舎道を歩く。
着物ではないので歩きやすい道のりに、今朝あんなことがなければ最高に気分が良かったのにな、と思う。
隣の玉彦を見上げると私の視線を感じて微笑みを落とす。
そして日傘を傾けて畑仕事をしている人たちから見えないように、軽くキスをする。
照れくさいけどちょっと幸せな気分になって、ふふふと笑ってしまった。
正武家からお祖父ちゃんの家は一直線の道路なので迷うことはない。
その道を歩き、もうすぐお祖父ちゃんの家が見えてくる頃、道路に見慣れぬシルバーの乗用車が停められているのが見えた。
まさかと思いつつ徐々に近づくと県外ナンバーで、車の中を覗くと助手席にA4サイズの茶封筒が無造作に置かれていた。
その茶封筒に印刷されていた会社名に玉彦は眉を顰める。
私も同じだった。
昨日の今日で、こんな流れになるなんて私ってやっぱり『ある』のかもしれない。
青く茂る垣根から玄関を覗きこめば、玄関先で困り顔の夏子さんと紺色のスーツ姿の男性二人の背中が目に入った。
彼らの背中越しに私たちを見つけた夏子さんは大きく手を振る。
そして何事かと振り返った彼らの右側の人物に私の胸が一瞬ドキッとする。
少し長めの栗色の髪を後ろへとつんつん流して、相変わらずのパッチリ二重だった。
少しだけ日焼けしていて、痩せたのか大人びた顔つきに変わってはいたけれど。
私は無意識に玉彦の腕を取った。
玉彦はそのまま傘を畳んで前に進み、私もついて行く。
しっかりと前を見据えた玉彦は二人の前に立つと、彼らは無意識に道を開ける。
そしてその後ろにいた私に目を向けた高田くんがあれっ?という表情をする。
強張っていた表情がゆっくりと満面の笑みに変わるのに時間は掛からなかった。




