6
部屋に彼はいない。
台所へ行ってみても南天さんと多門がプリンを作っているだけで、そこに彼はいない。
一応離れの惣領の間を確認したけれど、閑散としていた。
万が一と思って当主の間へ顔を出したけど、豹馬くんが畳を拭いていた。
本殿にも本殿の離れにも彼の姿はない。
裏門から駐車場を見ても車はあるので、外に出てしまった訳ではなさそうだった。
あとは澄彦さん側の母屋だけど、そこに彼がいるとは思えなかった。
青紐の鈴を取り出して四回振ってみる。
少し時間を空けてから返事があって、一応反応があったので安心する。
一体どこへ行ってしまったんだ。
もしかすると表門から外へ出たのかもしれないと思って石段を見下ろすと、丁度中間あたりに玉彦はぼんやりと座っていた。
五歳のとき。私が帰ったあと、玉彦はずっと石段から村を見下ろしていたと豹馬くんが言っていた。
十三歳のとき。私に一方的に別れを切り出したくせに、通山へと帰ったであろう私を想って、雨が降るまで石段に座り込んでいた。
それから、それから。
私たちは何かある度に石段に座ってぼんやり話し込む。
この石段は玉彦が何かを見つめるときに訪れる場所だった。
ようやく見つけた玉彦の隣に大人しく座って、その肩に頭を預けた。
玉彦も私に頭を寄せて目を閉じる。
「比和子、すまない」
「私こそ、ごめん。暴走しなきゃこんなことにならなかったのにさ」
「比和子のせいではない」
「違うよ。二人のせいだよ」
「……そうだな。子には申し訳ないことをした」
「……うん。こんな未熟な二人のとこにはまだ来たくないって思ったんだと思う」
「まだ来たくない、か」
「うん。だからさ、もうちょっとコウノトリのところで遊んでてもらおうよ。私たちが親になれるときまで」
「コウノトリ……。そのようなこと……」
「信じてるよ!」
「そうか……」
「とりあえずは枯れてしまった気を戻す為に手っ取り早いのは、禁欲だよね」
「そっ、それは」
「とりあえず揺らぎが起こるまで禁欲生活」
「比和子……。睦み合うというのはそういう意味合いだけではないだろう。愛おしいと想う感情をお互いに確認し求め合うものであって」
「そんなの感情論でしょ。実際問題枯れないようにお力を消費しないのが一番なんだから、禁欲だよ」
「消費しない様にするのではなく、満たす様に湧き立たせるのが大事だと思うぞ」
「どうするのよ。また眠るの?」
「……暫し考える。禁欲は却下だ。ますますやる気が無くなり気が枯れて爺になる」
「よほど建設的な考えじゃないとこっちも却下するからね」
「……相分かった」
身体を離して玉彦を見ると、眉間に皺を寄せて考え込んでいる。
きっと私の斜め上を行く考えを出してくれることだろう。
「ねぇ、玉彦」
「……長考中」
「ここに座ると思い出すよね」
「蔵人か」
まぁ確かに蔵人に華隠を踝に残されたのはこの石段だけど、そうじゃなくってさ。
「再会して初めてのチュー」
「あの邪魔が入ったときか……」
「ねぇねぇ」
玉彦の袖を引っ張って目を閉じる。
いつまで経ってもその時が来ないので薄目を開けると、固まっていた。
なので強引に頬を両手で押さえて唇を奪う。
充分私が満足してから解放して、立ち上がって伸びをする。
「禁欲だと言ったお前が火に油を注いでどうするのだ」
非難がましい玉彦の声を後ろに聞いて私は石段を上がる。
「何を言ってんのよ。これはコミュニケーションよ。そもそも私が言う禁欲は精を吐き出さないことよ」
「なるほど。では吐き出さなければ何をしても良いのだな?」
「え?」
「要するに俺が出さなければ今まで通りで良いのだな?」
「え、どうなんだろ。物理的に出さなければオッケーなの? でもお力って物理的なものではないよね?」
「と、言うことはだ。出しても出さなくても同じということだ。気を満たすのは心であって身体ではない」
玉彦の言い分は理解できるけど、無理矢理言い包められているような気がしなくもない。
表門の門扉に寄りかかり考え込む私に玉彦が詰め寄る。
「気を満たすということは、日々俺が充実し満足して過ごすことだ。よって揺らぎが起こるまで比和子には俺の願いを全て叶えてもらうこととする」
「何馬鹿なこと言ってんのよ」
「とりあえず比和子はしばらく部屋で大人しくしていろ。役目にも出るな。あとは、そうだな。稀人との接触も出来るだけ控えて俺だけと過ごす様にして。御倉神との接触はもっての外だぞ」
「……玉彦。もしそれを本気で言ってんなら、怒るわよ」
「何故だ!」
「なぜって当たり前でしょ! 私にだって人権はあるわ! あんまり我儘言ってたら離縁するわよ!」
「ぐっ……」
一応我儘だと認識しているらしい玉彦は言葉を詰まらせる。
普通の夫婦よりも一緒に過ごす時間が長くて、それでも私を独占したがる玉彦の気持ちが理解できない。
そんなに私が離れてしまうかもしれないと不安なんだろうか。
「お役目のお仕事を充実させて、私が玉彦と一緒にいて満足すればいいんでしょう? でもそれって身体を重ねるだけが満足ではないでしょう?」
「うむ」
「じゃあさ、お役目終わったら毎日二人で外に出よう? この前の旅行で思ったんだけど、私まだ五村で行ったことないところ一杯ある。二人きりで回って夜に戻れば次の日のお役目に支障はないでしょう?」
「そうだが」
「そうすれば私が他の人と接触する機会も減るし、玉彦は満足。私もこの五村を知ることが出来て満足」
「一理ある」
「じゃあそれで行こう」
まだ何か言いたげな玉彦の手を引いてお屋敷に戻る。
気枯れを治す方法がはっきりとしない現状で、一番良いのは揺らぎがあった頃と同じように過ごすことなんだろう。
それに玉彦が目覚めて通常のお役目に支障が無いくらいにはお力の総量は回復しているのだ。
だから半分は満たされている。
残りの半分の量はそれと同じくらいと考えても良いだろう。
眠り続けて三か月でおよそ半分が回復したのなら、眠らずに徐々に回復しているとしたら九か月ほどで満たされるはずだ。
あれから半年経ったからあと三か月、日々のお役目で消費している分を差し引いて考えてもあと半年ほどで揺らぎは起こるのではないだろうか。
今までの過ごし方でそうだったら、これから玉彦の言う通りにして気が満たされるならもっと早まるかもしれない。
正直禁欲もすればもっと早くなると思うんだけど、玉彦が却下するのでそこのところは譲歩することにする。
玄関で脱いだ履物を揃えて、再び玉彦の手を引く。
「そういえばさっき、南天さんと多門がプリン作ってたからあとで食べに行こうね」
「……比和子のプリンが食べたい」
「誰が作っても一緒でしょうよ」
「比和子のが良い」
「そう? じゃあこれから一緒に作ろう」
ようやく玉彦の胃袋が私に握られ始めたとほくそ笑む。
南天さんが澄彦さん付きになって四か月。
この言葉をどんなに待っていたことか!
でも結局台所に用意されていた南天さん作のプリンを口にした玉彦は満足したと言い放ったのだった。




