第32話 金色の来訪者
あの老人が去ってから、また数日が経った。
ヴァルスの日常は変わらない。朝、オーブンに火を入れ、生地を捏ね、パンを焼く。リラがカウンターに座り、ブロガーが新しい道具を運び込み、セレナが「たまたま」スイートパンを買う。
でも、ヴァルスの心の中には、あの老人の言葉が残っていた。
「お前さんのパンには、迷いがある」
迷い。確かに、そうかもしれない。自分は何のためにここにいるのか。なぜパンを焼いているのか。
「また考え込んでる」
リラの声で、ヴァルスは我に返った。
「何かあったら言え」
「…うん」
その時、扉が開いた。
金色の瞳。あの男だ。
「いらっしゃいませ」
ヴァルスが声をかけると、男は無言でカウンターに座り、銀貨を置いた。
「いつもの」
「かしこまりました」
ヴァルスが焼き立てのパンを差し出す。男はそれを受け取り、しばらく黙って見つめていた。
「…さっき、誰か来てたな」
「え?」
「いや、なんでもない」
男はパンをかじり、ゆっくりと口を開いた。
「お前は、自分の過去を知りたいか?」
ヴァルスは息を呑んだ。
「…知りたいと思う時もある。でも、わからない」
「そうか」
男はそれ以上聞かず、パンを食べ終えた。
「また来る」
「…はい」
彼は立ち上がり、出口に向かおうとしたが、途中で立ち止まった。
「お前のパンは、迷っている。だが、それが悪いことではない」
「どういう意味ですか?」
「迷うからこそ、進める。迷わない者は、変わらない」
それだけ言って、彼は店を出ていった。
その夜、ヴァルスはリラと二人、カウンターを挟んで向かい合っていた。
「何だったんだ、今の」
「わからない」
「でも、あの人は何かを知っている。お前のこと。この店のこと」
ヴァルスはうなずいた。
「怖いか?」
「…少し」
「無理するな。お前はお前のままでいい。何があっても、ここは変わらない」
ヴァルスは顔を上げた。リラは真剣な目で彼を見ている。
「ありがとう」
「礼を言うな。さあ、明日の仕込みをしよう」
ヴァルスはうなずき、立ち上がった。
翌朝。いつも通りオーブンに火を入れる。リラがカウンターに座る。ブロガーが新しい道具を運び込む。セレナが「たまたま」スイートパンを買う。レンが黙って銀貨を置く。
変わらない日常。それが、一番ありがたい。
ヴァルスは、新しいパンのレシピを考え始めた。もっとふわふわのパン。もっと甘いパン。もっと変わったパン。
迷ってもいい。考え込んでもいい。それでも、ここでパンを焼き続ける。それが、今の自分の答えだった。
<システム通知>
新規実績解除:迷いとの対話
あなたは迷いを認め、それでも前に進むことを選びました。
報酬:+100 EXP、称号「迷い歩く者」
解説:「迷いながら進む。それもまた、一つの道だ。」




