第14話 騎士の試験
朝の五時。まだ外は暗い。
ヴァルスは、リラに起こされて飛び起きた。一瞬、自分がどこにいるのかわからなかった。狭い部屋、固いベッド、窓の外から聞こえる見慣れない街の音。そうだ、ここは王都だ。
「早く支度しろ。時間がない」
リラはもう完全に準備を終えていた。剣を腰に、革の防具を身につけ、眠そうな様子は微塵もない。
ヴァルスは慌てて服を整え、持参したパンを一つかじった。味はするが、緊張でよくわからない。
外に出ると、王都はまだ眠っていた。街灯の明かりが石畳に長い影を落とし、遠くで犬の遠吠えが聞こえる。リラに導かれ、ヴァルスは暗い路地を抜け、広い通りに出る。やがて、大きな石造りの建物の前に着いた。昨日、受付をした騎士団本部だ。
「ここから先は、一人で行け」
リラが立ち止まる。その声は、今までになく真剣だった。
「俺はここで待ってる。何かあれば、いつでも呼べ」
「…ああ」
ヴァルスはうなずき、重い扉を押し開けた。
中には、十数人の男たちが集まっていた。年齢は様々だ。若い者もいれば、四十を超えていそうな者もいる。皆、鎧や剣を身につけ、鋭い目つきで互いを品定めしている。
ヴァルスが入ってきた瞬間、数人の視線が彼に集中した。角。見慣れない姿。誰かが小声で何かを言い、別の誰かがくすっと笑った。
「魔王様が、騎士の試験だと?」
低い声が響いた。振り返ると、大柄な男が腕を組んで立っている。彼の周りには、同じように屈強な男たちが数人。
「おいおい、冗談だろ? ここは騎士の試験場だぞ。魔物の入る場所じゃない」
男たちが笑う。ヴァルスは何も言わず、ただ壁際に立った。視線を感じる。敵意か、好奇か。どちらにせよ、慣れないものだった。
「静かに」
鋭い声が場を制した。奥の扉が開き、数人の騎士が入ってくる。先頭の男は、銀の鎧をまとい、厳しい顔つきをしている。副団長のカイゼルだ。
「これより、騎士叙勲試験を始める。試験は三つの段階からなる。第一は基礎体力、第二は実技、第三は面接。各試験の合格者だけが次の段階に進める。途中で脱落しても構わないが、一度辞めれば、次はない」
彼の目が、部屋の中をゆっくりと見渡す。
「異論はないな?」
沈黙。誰も何も言わない。
「では、第一試験。場所を移動する」
連れてこられたのは、本部の裏手にある広場だった。石畳の上に、幾つかの重りが並べられている。
「第一試験は、基礎体力だ。各自、この重りを持ち上げろ。重さは、体格に応じて調整する。持ち上げられなければ、そこで終わりだ」
ヴァルスは、自分の前に置かれた重りを見た。他の者たちのものより、明らかに小さい。横で、先ほどの大柄な男が笑った。
「やっぱりな。魔王様には、これがお似合いだ」
周りが笑う。ヴァルスは何も言わず、重りに手をかけた。
重い。
思ったより、ずっと重い。ダンジョンでの肉体労働には慣れているつもりだったが、これは別の種類の重さだ。息を整え、力を込める。足が震える。歯を食いしばる。
「ほらほら、無理すんなよ」
誰かの声がする。笑い声。
ヴァルスは、重りを地面から持ち上げた。
静かになる。
彼はそのまま、ゆっくりと重りを頭上まで掲げた。腕が震える。息が切れる。でも、落とさない。
「…十分だ」
カイゼルの声で、重りを下ろした。腕が重い。呼吸が荒い。でも、立っている。
「次」
カイゼルは何も言わず、次の者を促した。先ほどの男が、不満そうな顔で重りを軽々と持ち上げる。周りが拍手する。ヴァルスは壁に寄りかかり、息を整えた。
第二試験は、模擬戦だった。
広場の中央に円が描かれ、そこに二人ずつ入る。武器は木剣。防具はなし。相手を円の外に出した方が勝ち、だ。
「お前、次だ」
係の者に呼ばれ、ヴァルスは中央に進む。相手は、先ほどの大柄な男だった。
「やっぱりな」男が木剣を構える。「魔王様、手加減はしないぜ?」
ヴァルスは、自分の木剣を見つめた。重い。使い方がわからない。
「構えは?」
誰かが叫ぶ。笑い声。
男が飛びかかってきた。ヴァルスは体をひねって避ける。剣が空を切る音。二撃目。間一髪でかわす。三撃目。肩をかすめ、鋭い痛みが走る。
「避けてばかりかよ!」
男の声が苛立っている。ヴァルスは後退する。円の縁が近い。
あと一歩で、終わる。
その時、男の足がもつれた。石畳の隙間か、自分の足か。彼の体が一瞬、前傾する。
ヴァルスの体が、勝手に動いた。
木剣を握り直し、低い姿勢から、相手の体を押し返す。完璧な捏ね上げ技術で培われた、無駄のない動き。男の体がバランスを崩し、そのまま円の外に倒れ込んだ。
静寂。
誰もが、何が起こったのか理解できずにいる。男は床に倒れたまま、呆然とヴァルスを見上げている。
「…一本。勝者、ヴァルス」
カイゼルの声が響く。ヴァルスは、自分の手を見つめた。木剣を握った手が、まだ震えている。
試験が終わり、本部の廊下を歩いていると、後ろから声がかかった。
「おい、魔王」
振り返ると、先ほどの大柄な男が立っていた。腕を組み、顔をしかめている。
「なんだ、さっきのは。剣の腕があるのか?」
「いいえ。ただの…パン作りの技術です」
「は?」
男はしばらく呆けた顔をしていたが、やがて大きなため息をついた。
「わけわかんねえな。まあいい。とりあえず、お前、次の試験も受かる気か?」
「受かるつもりです」
男はしばらくヴァルスを見つめ、それから不器用に手を差し出した。
「俺はガルド。今日の借りは、返させてもらうからな」
ヴァルスはその手を握り返した。大きくて、硬い手。
「ヴァルスです。よろしく」
ガルドは何か言いかけたが、やめて、背を向けて歩き出した。
「明日は、負けねえからな」
その背中を見送りながら、ヴァルスは思った。この世界には、思っていたよりずっと、いろんな人がいる。
<システム通知>
クエスト進行:騎士叙勲試験
第一、第二試験を突破しました。
追加報酬:+50 EXP、称号「騎士候補」
解説:「勝ち負けだけが全てじゃない。自分のやり方で、ここまで来た。」
その夜、リラはヴァルスの話を聞いて、声を出して笑った。
「パン作りの技術で、騎士試験を突破した魔王がいるか?」
「笑うなよ」
「笑わせろ。いい話じゃないか」
彼女はしばらく笑い続け、それから真面目な顔で言った。
「でも、よかった。お前のやり方で、ちゃんと勝ったんだな」
「まぐれだ」
「まぐれでも、勝ちは勝ちだ」
ヴァルスは、自分の手を見た。まだ少し震えている。怖かった。逃げ出したかった。でも、立っていた。
明日もある。それでいい。




