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第12話 旅立ちの朝

旅立ちの日は、あっという間にやってきた。


前日の夜、ヴァルスはいつも通りにパンを焼いた。いつも通りに客が来て、いつも通りに店を閉めた。特別なことは何もない。ただ、いつもの一日。でも、どこか胸の奥がソワソワしていた。


「眠れないのか?」


リラが声をかけた。彼女は店の隅で、剣を磨いている。旅支度はもう整っているようだ。


「少しな」


「あんたが緊張するなんて珍しいな」


「緊張してるわけじゃ…」


言いかけて、ヴァルスは言葉を止めた。緊張してる。本当だ。今までにないくらいに。


「明日、初めてここを離れる」彼はぽつりと言った。「それだけの話だ」


リラは何も言わず、ただ剣を磨き続けた。その手は、いつもより優しく、いつもより丁寧だった。


朝。


いつもより早く目が覚めた。外はまだ暗い。オーブンに火を入れ、生地を捏ねる。今日は特別なパンを焼こう。旅に出るなら、何か持っていきたい。それだけの理由だった。


焼き上がったパンは、いつもより少しだけ大きかった。理由はわからない。ただ、今日はそうなった。


店の外で、リラが待っていた。旅装束に剣、小さな革袋。彼女にしては珍しく、荷物が少ない。


「準備はいいか?」


「ああ」


振り返ると、店の入り口にはもう何人か集まっていた。ブロガー、セレナ、レン。それに、常連の冒険者たち。


「気をつけろよ、パン屋の魔王さん」ブロガーがからかうように言う。「お前のパンが食べられなくなるのは困るからな」


「別に食べたいわけじゃないけど…無事に帰ってきなさい」セレナは相変わらず素っ気ない。


レンは黙って、小さな革袋を差し出した。中には干し肉と、携帯用の保存食が入っていた。無口な男が、どこでそれを見繕ったのかはわからない。


「ありがとう」


ヴァルスは一つ一つ、顔を見ていった。彼らは皆、彼が魔王だって知っている。それでも、ここに立っている。


「行ってくる」


彼はそう言って、歩き出した。背中に、小さな笑い声と「頑張れよ」の声を受けて。


王都までは、馬で三日の道のりだ。


リラが手配してくれた馬は、おとなしくて足が丈夫そうだった。ヴァルスは正直、馬に乗るのは初めてだったが、何とかなりそうだ。


「初めてか?」


「バレたか」


「あんたの乗り方を見れば、誰でもわかる」


リラは笑った。彼女は慣れた手つきで馬を操り、軽やかに道を進んでいく。


街道は、思ったより賑わっていた。行き交う荷馬車、旅商人、時折鎧を着た兵士たち。彼らはヴァルスを見て、一瞬だけ目を留める。角のある姿は、やはり珍しいらしい。


「緊張するか?」


「少しな」


「気にするな。王都には、いろんな種族がいる。角の生えた奴なんて、珍しくもない」


本当かどうかはわからないが、リラの言葉に少しだけ気が楽になった。


昼すぎ、小さな村で休憩を取った。道端の茶屋で、簡単な食事を済ませる。リラは地元の酒を一杯、ヴァルスは持参したパンを齧る。


「そのパン、店で売ってるやつか?」


茶屋の親父が、興味深そうに覗き込む。


「ああ。うちの店で焼いてるんです」


「へえ…変わった形だな。一つ、売ってくれないか?」


ヴァルスは少し迷ったが、リラが「値段はそこそこにしとけよ」と囁く。結局、銀貨一枚で売ることにした。親父は一口かじって、目を見開いた。


「これは…うまい! どこで買えるんだ?」


「あの…この先の街の、ちょっと変わった場所に…」


ヴァルスはどもりながら答えた。まさか、旅先で自分のパンが売れるとは思わなかった。


「その店の名前は?」


「魔王の…いや、『地下のパン屋』って言います」


リラが吹き出した。親父は「変わった名前だな」と言いながら、二つ目のパンを買い求めていった。


道は続く。


日が傾き始めた頃、今夜の宿を探して小さな宿場町に入った。リラが交渉して、二部屋を確保する。安い宿だが、清潔で悪くなかった。


「今日はよく寝とけよ。明日は、もっと歩くからな」


「ああ」


夕食は、宿の料理だった。素朴なシチューと固いパン。悪くはないが、自分で焼いたパンには及ばない。そう思うと、少しだけ可笑しくなった。


「何笑ってるんだ?」


「いや…自分のパンが食べたくなった」


リラは呆れたように笑い、それから真面目な顔で言った。


「王都に着いたら、まずは試験会場だ。受付があるから、そこで手続きをする。その後は…多分、実技試験と面接がある。剣の腕だけじゃないって話だが、それでも準備は必要だ」


「剣は、あまり得意じゃない」


「知ってる。だから、お前はお前のやり方でやればいい」


ヴァルスは、リラの言葉に少しだけ勇気をもらった。


夜。


宿の窓から、星が見えた。ダンジョンでは決して見ることのできない、広い空。


明日には王都に着く。知らない街、知らない人、知らない試験。不安もある。でも、それ以上に、何かが胸の奥でざわついている。


「行ってみたい」という気持ち。自分でも驚くほど、それははっきりとしていた。


ヴァルスは目を閉じた。明日に備えて、早く寝なければ。でも、なかなか眠れない。


そんな彼の耳に、遠くで馬のいななき声が聞こえた。王都へ向かう誰かの旅路の音。


自分も、その一人になったのだ。


<システム通知>


クエスト進行:王都への道

旅立ちの朝を迎え、第一歩を踏み出しました。

追加報酬:+30 EXP、称号「旅人」

解説:「一歩を踏み出せば、それはもう旅だ。どんなに小さくても。」



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