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第11話 騎士への手紙

それから一週間が過ぎた。


商人との契約は順調に進んでいた。週に二度、焼きたてのパンが街の店に運ばれ、あっという間に売り切れると、老商人は満足そうに笑う。リラは「もうすぐ支店を出せるな」とからかい、ブロガーは新しい棚を追加で三つも作り、セレナは相変わらず「たまたま通りかかった」と言いながら毎日のように顔を出す。


パン屋は、確かに大きくなっていた。


「なあ、そろそろ看板を出さないか?」


ある日、リラが唐突に言い出した。


「看板?」


「そう。『魔王のパン屋』って、でかでかと書いたやつ。もう十分、名は知れてるんだから、ちゃんと看板を出した方がいい」


「恥ずかしいな、それは」


「何が恥ずかしいんだよ。魔王なんだから、堂々としてろ」


ヴァルスは苦笑いしたが、反論はしなかった。実際、確かにそういう時期なのかもしれない。


その日は、朝からいつも通りに客が来て、いつも通りにパンが売れていく。昼過ぎにはいつもの常連客が帰り、少しだけ静かな時間が流れた。


ヴァルスは新しいレシピを考えながら、生地を捏ねていた。干物の代わりに、燻製肉を使ったパンはどうか。それとも、チーズを練り込んだリッチな生地も試してみたい。頭の中は、次々と浮かぶアイデアでいっぱいだった。


その時だった。


「おや、これはこれは」


見知らぬ声が、入り口から響いた。


ヴァルスが顔を上げると、そこには一人の男が立っていた。装飾の少ない簡素な鎧。腰には細身の剣。背筋はピンと伸び、立ち姿だけでも、ただ者ではないとわかる。


「こちらが、噂のパン屋ですか」


男は穏やかな笑みを浮かべながら、店内に足を踏み入れた。その目は、棚のパンを一瞥し、次にヴァルスをじっくりと観察する。


「そうですけど…何かご用ですか?」


「ええ。少し、お話ししたくて」


男はカウンターの前に立ち、軽く頭を下げた。その仕草には、武人らしい硬さと、どこか気さくな温かみが混ざっていた。


「私は、この街の騎士団で副団長を務めている者です。名はカイゼル。よろしく」


「ヴァルスです。ここの店主で――魔王です」


「ああ、それは知っています」カイゼルは笑った。「魔王のパン屋。この街では、知らない者の方が少ないですから」


彼は懐から一通の封筒を取り出し、カウンターに置いた。封蝋には、見慣れない紋章が押されている。


「これ、どういう…」


「招待状です。三日後、王都で騎士の叙勲試験があります。それへの招待状です」


店内の空気が、一瞬で張り詰めた。


「騎士の…試験?」


ヴァルスの声には、明らかな困惑が混じっていた。


「はい。正確には“騎士資格認証試験”と言います。この国で正式に騎士として認められるための試験です。合格すれば、騎士の称号と、それに伴う様々な権利が与えられます」


「でも、俺は魔王ですよ?」


「知っています」カイゼルはうなずく。「ですが、あなたがこの街で営む商いについて、ギルドから正式な報告が上がっています。それに――」


彼は少し間を置いて、言葉を選ぶように続けた。


「ここ数年、騎士団の方針も変わってきています。実力と功績があれば、出自は問わない。そんな風潮が、少しずつ広がっているんです。あなたのパンは、多くの人に喜ばれています。冒険者も、商人も、一般の市民も。それだけで十分、騎士の資格はあると、私は思います」


ヴァルスは、カウンターに置かれた封筒を見つめた。封蝋の紋章は、確かに王都のものだと聞かされていたものだった。


「どうして、俺なんかに?」


「あなたに、資格があるからです」


カイゼルは真っすぐに答えた。


「この国で、誰かを喜ばせ、誰かを助け、誰かに必要とされること。それが、騎士の最も大切な役目です。剣の腕だけが、騎士の全てじゃない」


彼は軽く頭を下げた。


「お返事は、明日までにお願いします。どちらにされても、あなたの意思を尊重します」


そう言って、彼は静かに店を出ていった。


その夜、ヴァルスはリラと二人、封筒を挟んで向かい合っていた。


「どうするんだ?」リラが尋ねる。珍しく、真剣な表情だった。


「わからない」


ヴァルスは正直に答えた。封筒を手に取っては置き、また手に取っては置く。


「今まで、自分のことを“魔王”だと思ってた。悪いことをしなくちゃいけない存在だって。でも、ここでパンを焼いて、客が来て、美味いって言ってくれる。それでいいんだって、思えるようになった」


「それが、急に覆されるのか?」


「いや…そうじゃない」


ヴァルスは封筒を指でなぞった。


「騎士になるってことは、多分、今までとは違う責任が生まれるってことだ。俺が魔王だって知ってる奴もいる。それでも俺を認めるってことは、俺に何かを期待してるってことだ」


「それって、悪いことか?」


リラの問いに、ヴァルスは少し考えてから答えた。


「悪くはない。でも、怖い」


「怖い?」


「期待に応えられなかったら、どうしようって。今みたいに、ただパンを焼いてればいいだけの立場じゃなくなる。誰かの期待を背負って、それを裏切るのが怖い」


リラはしばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。


「あんた、本当に変わってるな」


「何が?」


「普通の魔王なら、権力とか名誉とか、そういうのを喜ぶもんだろ。なのにあんたは、“期待”が怖いだって。魔王なのに、誰かに認められるのが怖いなんて、本当にどうかしてる」


彼女は立ち上がり、ヴァルスの肩をポンと叩いた。


「でも、それがあんたのいいところだよ。誰かの期待に応えたいって思える奴が、一番信用できる。少なくとも、俺はそう思う」


「リラ…」


「決めるのはあんただ。でも、もし受けるって言うなら、俺はついて行く。試験会場まで、護衛してやるよ」


ヴァルスは、もう一度封筒を見つめた。


封蝋の紋章が、かすかに灯りに照らされて輝いている。


翌朝、ヴァルスはカイゼルに返事を書いた。


「承諾します」


たったそれだけの短い文だった。


彼はその手紙を、ブロガーに頼んで街の騎士団の詰所まで届けてもらった。戻ってきたブロガーは、なぜか満足そうな顔をしていた。


「あの副団長さんよ、すげえ喜んでたぞ。『待ってました』って、大声で言ってた」


「そうか」


ヴァルスは少し照れくさそうに、生地を捏ね始めた。


今日も、いつも通りパンを焼く。それが、彼のやり方だった。


<システム通知>


新規クエスト解放:騎士叙勲試験

王都からの招待状を受け取りました。

目的:試験に参加し、騎士の資格を証明せよ。

報酬:称号「騎士」、新たな権限、未知の可能性。

解説:「道は開かれた。進むも戻るも、君の選択次第だ。」



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