第18話【嵐の前の静けさ】1
目を開けると見慣れない天井。
いつの間に泣いていたのか涙がひとつ頬を伝う。
(懐かしくて、優しい夢を見ていた気がする……)
ぼんやりしつつ起き上がろうとしたら、頭がくらっとなり身体が非常に怠かった。知らない内に眠らされたのか薬を盛られたのか……。とにかくここが自分の屋敷ではないことは分かった。
腕を動かすとジャラ、という音がして両手それぞれに長い鎖で繋がっている枷が付いていることに気付く。確か最後の記憶はクリストファーと話していた時だったはず。つまり――――。
「クリストファー様の仕業……かしら」
エヴァはこの怠い感じもひょっとして血を吸われたからかもしれないと思い当たりすぐに首元に手をやると、案の定牙の痕があり青ざめた。
「危害を加えないって言っていたのに……嘘をつかれたわ」
元々心から信じていたわけではなかったものの、こうもあっさり裏切られるとショックを受ける。
首に下げている母の形見のネックレスの無事を確かめてからゆっくり辺りを見回すと、捕虜というより貴賓扱いといったような豪華な客室で驚いた。分厚いカーテンの隙間からは陽の光が零れ落ち、夜が明けていることがうかがえる。
すると奥の扉からコンコン、とノックする音がしたのでエヴァに緊張が走った。
「失礼するよ……おや、もう起きられるのですね」
「…………クリストファー様……」
予想どおり金髪のダンピールがにこやかな笑顔で入って来ると、引いていたティートロリーをベッドサイドのテーブル横に置いた。自分の屋敷だからか彼はフリルのついた白いシャツに黒いスラックスというラフな格好をしていて、当たり前のようにベッドに腰かける。
「食事を摂ったほうがいい。水とミルクとフルーツと野菜スープを持ってきましたが、食べられますか?」
距離を詰めエヴァの世話をしようとするので嫌悪感を露わにする。
「クリストファー様のせいで私はこうなっているのではないですか? それに毒入りかもしれないものを口には出来ません」
「くくく……どうやら私は信用をなくしたようだ」
「……元からありません」
責められているのになぜか楽しそうなクリストファーが気味悪い。
彼はトレーに乗った小皿にスープを移し、それを目の前で食べて見せた。続けてミルクと水も飲み毒がないことをアピールする。
エヴァも正直喉が渇いてお腹も空かせていたので、ぐぬぬと悔しそうにそれを見つめた。
「見てのとおり毒は入っていません。そもそも最初からあなたを殺すつもりはないので無駄なことはしませんよ。…………血はいただきましたが」
「! やっぱり。なんのためにそんなことを? 私になにかしたのですか? ひょっとして吸血鬼に……!?」
「いいえ、あなたの血の価値は人間であるからこそなので、今のところは吸血鬼にするつもりはありません。ただ魔法を使いあなたを操り、クライム君を遠ざけただけですよ」
「クライムを……? あのあとクライムが帰って来ていたの?」
あまりにショックな事実に気を失ったところまでは覚えているが、血を吸われてからの記憶が一切ない。遠ざけたっていうのは一体?
(っていうか私、操られていたの!? そんなことまで出来るなんて……)
「エヴァ嬢の口からクライム君に出て行けと命じました。あなただって彼を恨んでいるでしょう? 血脈の仇なのだから」
「……っなんてことを……!」
クライムが……仇――――。
確かに、気を失う前はあまりにも信じがたい悲しみに打ちひしがれた。
今まで吸血鬼たちに殺されていったブラックフォードの女性たち。エヴァを守るために亡くなった母。自由のない未来。
そのどれもが、実はクライムが原因だったと知った時はかなりショックだった。
クリストファーは真っ青になるエヴァにくす、と微笑む。
「彼は認めましたよ。ルイーザの名を口にしたら部分的に記憶が蘇ったようで……その上で認めました。あなたに呪いをかけたのは自分だとね。私が近くにいたことにも気が付かないほど動揺しておりました」
「そんな…………」
やはり事実だった――――けれど……エヴァにとってはもっと許せないことがある。
「私の口からクライムに出て行けと命じたなんて……どうしてそんなことを」
「あなたが必要だったからですよエヴァ嬢。そのためにはクライム君が邪魔でした」
「じゃあ私に吸血鬼になればいいと言ったのは最初から嘘だったのですか?」
「それはあなたの血を吸うための方便ですよ。それに嘘だった訳ではありません。あなたが吸血鬼になったら呪いの力がどうなるか、なってみなければ分からないことですので」
飄々と言ってのけるクリストファーに思わず顔をしかめた。
「酷い…………」
「否定はしませんよ。しかしエヴァ嬢、あなただって結果的に良かったではありませんか? 憎き仇がいなくなったのですから。私があなたをいつか本当に吸血鬼にすればその呪いも解けるかもしれませんよ? まぁ賭けになりますがね」
あはははは、と楽しそうに笑う彼をキッと睨みつける。やはり彼は人間の感覚や感情など理解出来ないのだろう。あまりにも人の人生や気持ちを軽んじている。
「私は――――クライムを恨んでいないわ」
笑っていたクリストファーがピタっと止まり興味深そうにこちらを振り向いた。
「……やせ我慢はよくありません。素直に認めていいのです、彼を恨んでいると」
「そんなことない」
「私は過去ブラックフォード家のご令嬢が殺されていくのを目の当たりにしたことがありますが……それは無残なものでした。数多の吸血鬼に囲まれ全身に牙をたてられ血を吸い尽くされるのです。一度その血が噴き出せば甘美な血の香りがまた一人また一人と吸血鬼を惹き寄せ、あとにはミイラと化した死体だけが残る。そしてその原因を作ったのはクライム君であり、あなたの母君を殺したのも実質彼なのですよ? それでも尚、あなたは恨んでいないと言えるのですか?」
クリストファーの言葉は脅すための嘘かどうかは分からないが、自分に降りかかった経験からもおおよそ真実であると検討はついた。
ブラックフォードの女子に訪れる運命のひとつ。そうならないため束縛された不自由な生活。
(私はそれが嫌だった。それは今も昔も変わらない。けれど……――)
『あなたのヒーローで……愛する人なのでしょう?』
夢の中の母の言葉を思い出す。
母はクライムのせいではないと言った。誰のせいでもない。
彼はずっと罪を背負って償いを果たそうとしていた。
(私は……たくさんそれに救われたから――――)
母の形見のネックレスをぎゅっと握りしめ、顔を上げ真っ直ぐな眼差しで再びクリストファーを睨みつける。
「私は恨んでいない。例えクライムが罰を欲していても、私が赦すと決めたから」
「…………なるほど、凄い決意ですね」
関心したようにエヴァを見つめるクリストファーは実に興味深そうだった。
「しかしあなたに何ができますか? あなたの元から去ったクライム君とはもう二度と会えることはないでしょうし、ここでしばらくの間私に血液を採取され続けることになります」
「……っ私の血を何に使うつもり? あなたの目的はなんなのですか?」
すると目の前のダンピールは鋭い犬歯を隠しもせずニヤッと口元を歪め、瞳を赤く光らせた。
「吸血鬼の王として――人間を再び支配することです」




