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第8話:大魔術師の弟子(3)

「ヒルダ、今日はジュリアスはお休みだそうだよ」


 朝食の席で、ヴォルフガングがヒルデガルトに告げた。


「あら、どうして? なにかあったのかしら」


「根を詰めすぎて、体調を崩したらしい。あの子は元々体力がある方ではなかったからね。少々焚きつけ過ぎたかもしれないな」


 さすがのヴォルフガングも、苦笑いを隠しきれていなかった。


 そこまでジュリアスが気張るとは計算外だったのだ。


 ヒルデガルトが良い刺激になったのだろうが、娘は少々発奮剤として強すぎたらしい、と少し後悔しているようだった。


「まぁ……ジュリアス様ったら。しょうがない方ですわね。それじゃあ、今日の講義はお父様とマンツーマンに?」


「いや、今日は残りの弟子が来る。キルステン伯爵子息と、フランツ第一王子だよ」


 ヴォルフガングの口から、今日の来客予定者の名が告げられた。


(二人一緒かー。打ち解けられるかしら……って、ん? 王子?)


「お父様?」


「なんだい?」


「王子様、ですの?」


「ああ、王子だ。将来の国王だね」


 二人が真顔になる。


 しばしの沈黙。


 二人の笑みが交錯した。


「何故、そのような方がわざわざこちらへ? 警備は問題ありませんの?」


「私はすでに宮廷魔術士を引退した身だからね。そして私は王宮が嫌いなんだ。『どうしても講義を受けたければ、そちらから来てくれ』と伝えたら、本当に王子自ら通うようになってね」


 はははは! と、とても楽しそうにヴォルフガングは笑った。


 その笑いに反抗するようにヒルデガルトが吼えた。


「笑い事じゃありませんわお父様! 国の世継ぎに一大事があったらどういたしますの?!」


 だがヴォルフガングは気にする様子はない。


 王族の警備をする責務を負う者が、その務めを果たすだけの話だからだ。彼はそう考える男だった。


 仮に王族に一大事があれば、それは警備の責務を負う者の過失だ。


「その責任を取るのは私じゃないからね。ああ、もちろん、敷地内では私が責任をもってお守りするとも!」


 ヒルデガルトの剣幕は、ヴォルフガングの面の皮の上を滑り落ちた。


 彼の変わらぬ楽しそうな笑みを、彼女は崩すことができなかった。


 ヒルデガルトは、はぁ、とため息を吐いて額を手で押さえた。


「護衛の方々の心労が心配ですわ……」


 ヴォルフガングはニヤリと余裕の笑みで返した。


「なに、前にも言っただろう? 今の我が国は、そんな逼迫した状況ではないと。差し障りがあるようなら、講義を中止にするだけさ」


(だめだこりゃ)


 暖簾に腕押し、糠に釘である。


 護衛の責務を負う者の心労など、ヴォルフガングが気にするところではないのだ。


(いや、そんなことより王子様よ王子様。今回は事前告知だから心の準備ができるけど、またしても抜き打ち所作テストじゃないのーっ! お父様のばかーっ!)


 公爵令嬢相手に通用したと言われた所作だが、王族相手は更に格が上だ。


 機嫌を損ねたらどんな面倒事になるか。実に気が重い一日になりそうだとヒルデガルトは思っていた。





****


 邸の庭に現れたのは、まばゆい金髪の美青年と、一際背が高い、既に精悍な顔つきになりつつあるマリンブルーの髪の青年だった。


 第一王位継承者が来訪しようが、ヴォルフガングは出迎えることはない。侍従に案内させ、庭に通していた。


(お父様……王子相手でも出迎えたりはしないのね……)


 ヒルデガルトが内心、頭痛を抱えていると、金髪の青年が口火を切った。


「久しいなヴォルフガング。そちらが例のご息女か?」


(この尊大な口調、こちらが王子様か)


 ヴォルフガングに促され、王子とみられる青年に挨拶をする。


「殿下、お初にお目にかかります。ヴォルフガングが息女、ヒルデガルトと申します」


 うむ、と頷いた王子も名乗りを上げる。


「フランツ・ヨアヒム・フォン・レブナントだ。今後は同門同士、仲良くしてくれ。それと――」


 フランツ王子が振り返り、横の青年を親指で示した。


「俺の友人のノルベルトだ。騎士団長の息子で、将来は俺の側近だな」


 紹介を受けて、ノルベルトが前に出てきた。


「キルステン伯爵家、ノルベルト・フォン・キルステンだ。ベルトでいい」


 そう言って右手をヒルデガルトに差し出した。


(これは……握手、でいいのかな)


「ヒルデガルトと申します。では私の事も、ヒルダ、とお呼びください」


 二人は握手と笑みを交わす。まだ少しあどけなさの残る青年なのに、重低音の、だがよく耳に響く声だった。


(瞳の色は……浅葱色なのね。これは学院でもおモテになるんじゃないかしら……)


 二人はしばらくの間、手を握り合ったまま見つめあっていた。



 フランツ王子が空気に耐え切れず突っ込んだ。


「……おまえら、いつまで握手をしてるつもりだ?」


((あ。))



 二人で示し合わせたように、弾けるように手を離した。


「……失礼いたしました」


「いや、こちらこそ」


(やらかしたー!! うっかり見とれちゃった! 恥ずかしい……)


 ヒルデガルトが羞恥で真っ赤に顔を染めた。


 顔を見られたくなくて、俯いて誤魔化していた。


 それを横目で見ていたヴォルフガングが、ヒルデガルトを揶揄からかった。


「おやおや、我が娘が、娘らしい反応をしたのを見るのは初めてだな?」


 年頃の娘らしい振る舞いなど、ヒルデガルトがこれまで一度も見せたことがないものだ。珍しくて揶揄わずにはいられなかったのだろう。


 はははは! と楽しそうに笑っているヴォルフガングの脇腹に、ヒルデガルトの肘鉄が鋭く突き入れられた。


(これ以上、恥をかかせないでください!)


 ノルベルトも、そっぽを向いて耳を赤くしていた。


(うちのお父様が本当に申し訳ありません……)



 ひとしきり笑い終えたヴォルフガングは、ヒルデガルトに指示を出した。


「ヒルダ、今日はお前もこちらに参加しなさい」


(おや? そんな話は聞いてなかったけれど)


 聞いてはいないが、指示には従わねばならない。


「はい、わかりましたお父様」


 ヒルデガルトは砂時計をしまい、ヴォルフガングの横に並んだ。





 ヴォルフガングはフランツ王子とノルベルトを交互に見比べ「では、課題の成果を見せていただきましょう」と言った。


 二人は頷きあうと、丸机を挟んで右肘を落とし、右手を組みあい――つまり、腕相撲の体勢を取った。


(え゛……これってまさか)


「用意! はじめ!」


 パン! とヴォルフガングが手を叩くと、二人の腕相撲が始まった。



(お父様……これのどこが魔術の講義なんですか……)



 どこからどう見ても腕相撲である。


 しかしヒルデガルトがよく見てみると、二人とも魔力を腕に集中しているようだった――最近のヒルデガルトは、うっすらと他人の魔力も見えるようになってきていた。精霊眼が馴染み始めたのだろう。


 全力で相手を倒しに行こうとするフランツ王子と、それを受け流しているノルベルト――ヒルデガルトにはそう見えた。


 フランツ王子が魔力を強くこめると、同じ程度の力でノルベルトは押し返す。


 フランツ王子の魔力がある程度弱まると、ノルベルトはここぞとばかりに魔力を込めて押し込めて行く。


 負けじとフランツ王子が魔力を込めなおして押し返す。ノルベルトは中央まで押し返されたあたりでまた拮抗するように、魔力を調整していた。


 シーソーゲームの様だが、明らかにフランツ王子の方が分が悪い。


 魔力の効率が悪いのだ。


 攻めれば対等の力で受け流され、気を抜けば押し込まれ、押し込まれた分を巻き返すために余計な力を入れている。


 体格差があるとはいえ、力の無駄遣いが甚だしい。これでは勝てる勝負も勝てないだろう。



「……お父様、殿下はまだまだでいらっしゃいますね」


「お前もそう思うかい? ……お前でも勝てるんじゃないかな?」



 ヒルデガルトは二人の様子を伺いながら、頭の中でシミュレートを組み立て始めた。




「……勝てそうですわね」


 ヒルデガルトが結論を言い終わるのと同時に、ノルベルトがフランツ王子の手首を押し倒していた。ノルベルトが呟く。


「これで、六十八戦六十八勝ですね」


 一方的なフランツ王子のぼろ負けである。一日二、三戦して全敗していた計算になるだろう。


「くっそ……なんで勝てないんだ!」


 フランツ王子は悔しそうに、丸机に拳を叩きつけた。


「殿下は失格、ノルベルトは合格だ」


 ヴォルフガングの言葉に、ノルベルトは胸に手を当てお辞儀をした。


 未だ悔しそうに顔を歪めているフランツ王子に対し、ヴォルフガングが爆弾発言をした。




「殿下。我が娘も『今の殿下なら片手で捻れますわ』と申しておりますよ。いかがいたします?」


「お父様?!」


(言ってない! 言ってないよそこまでは!!)


 もちろん、わざと煽っているのである。



 ギロリ、とフランツ王子がヒルデガルトを睨んでいる。刺すような視線が突き刺さっている。ヒルデガルトは乾いた笑いを浮かべるので精一杯だ。


「殿下はお疲れでしょうが、そこは男女格差のハンデ、ということにして、娘とも勝負してみては?」


 客観的に見て、鍛え上げられているフランツ王子の腕と、まったく鍛えていないヒルデガルトの細腕では勝負は見えている。


 けれどこれは魔術の講義。ヒルデガルトが先ほど「勝てそう」と言った根拠は当然あった。


(やったことはないけど、理屈は見ていて理解したし、多分勝てると思うんだ)。


 フランツ王子の目が闘志に燃えた。


「……いいだろう。ヒルデガルト! 勝負だ!」





****


 丸机を挟んでフランツ王子とヒルデガルトが手を握りあう。


(普通、男女が手を握りあうっていうのはもっとロマンスの香り漂うシチュエーションじゃないのかしら……)


 近くで見比べると、フランツ王子の腕の太さは、ヒルデガルトの倍以上ある。


 鍛えた青年の腕と、鍛えていない淑女の腕だ。


 これでヒルデガルトが勝てるなど、誰が思うだろうか。



「では用意! はじめ!」


 再びヴォルフガングの手が鳴った。だが、フランツ王子が腕を倒す気配がない。



「……お前、その腕で本当に俺に勝つ気か?」


「……勝てる、と申し上げたらどうなるんですの?」



 突如、フランツ王子の腕に力が入り、みるみるヒルデガルトの腕が倒されていく――手の甲が机に着くまで、あと僅かだ。


 ――フランツ王子の腕の力が緩んだ。


「どうした? 口ほどにもないな!」


 ニヤリとフランツ王子の口角が上がる。


「まだ負けておりませんよ? 殿下の力はその程度ですか?」


 ヒルデガルトが冷静に指摘をすると、再びフランツ王子の腕に力が入る。


(殿下ったら……これが魔術の講義だってことをすっかり忘れてらっしゃる)


 フランツ王子の腕は腕力のみで、魔力が込められていない。これではただの腕相撲である。


 フランツ王子はどんどん腕力を込めていく。だが、どんなに力を込めても、ヒルデガルトの手の甲はそれ以上ビクともしなかった。


 その光景を信じられないもののように見た後、再びフランツ王子が力を込めていく。


「……っ! ぬぁあ!」


 ようやく、フランツ王子の腕に魔力がこもり始めた。



「ふぁ……あ、失礼。つい退屈で欠伸が」



 もちろん煽っている。「へいへーい! その程度かー!」である。ヒルデガルトも、良い性格をしていた。



 ついに全身の力を使い、魔力も全力で込めているフランツ王子を、ヒルデガルトは負ける瀬戸際から一歩も引かずに凌いでいた。


 体格はほぼ互角。筋力はフランツ王子に分があるが、魔力は圧倒的にヒルデガルトが上だ。差し引きすれば互角と言えた。その状況でフランツ王子は押し切れなかった。


 そしてフランツ王子の気が緩んだ次の瞬間――ヒルデガルトの腕は、フランツ王子の手首を机に叩きつけていた。




「お粗末さまでした」


 机から離れた後、ヒルデガルトはゆっくりとした淑女の礼でフランツ王子に頭を下げた。



 フランツ王子はまだ何が起こったのか理解できず、倒された姿勢のまま動かないでいる。


 ヴォルフガングがフランツ王子に語りかける。


「殿下。どうして負けたのか、理解していますか?」


 呆然としたフランツ王子は、負けたときの体勢のまま動かない。その目はヒルデガルトを捕らえたままだ。


「……何故、いや、いつ負けたのだ私は。ずっと力を込めていたはずだ。押し倒す寸前だったはずだ。なぜ今、私はひっくり返っている?」


 口調が王族モードになったフランツ王子が疑問を口にしていた。


 心底、何が起こったのか理解できず困惑しているようだった。


(うーん、これはお助けした方がよいのかしら?)


 仕方なく、ヒルデガルトがフランツ王子に助言を述べる。


「殿下、これは魔術の講義である、というのはご理解していますよね?」


 ヒルデガルトの言葉に、やや躊躇(ためら)いつつもフランツ王子は頷いた。


(――まぁ、最初は忘れていましたしね)


「ならば、殿下の敗因、そして私の勝因は魔力制御の質、ということになります。――ヒントはこのくらいでよろしいかしら? お父様?」


 ヴォルフガングは頷いて応えた。


「うむ。しかしお前は本当に器用な子だね。肉体強化術など、見せたことも教えたこともないのに、いつのまに覚えていたんだい?」


 ヒルデガルトが苦笑を浮かべながら応える。


「先ほどのベルト様を見ていて、何をしているのかは把握しました。あとは殿下の隙だらけの動きに合わせて私が動いた。それだけですわ」


 フランツ王子は「初心者の女子に負けた……」と、地面にのの字を書いていた。


(うーん、荒療治過ぎたかしら……)



 さらにヴォルフガングがヒルデガルトに無茶振りをした。


「ではヒルダ。相手がノルベルトだったら、お前は勝てると思うかい?」


 当然、ヒルデガルトには思わぬ質問である。


「ベルト様、ですか? うーん……」


 先程のフランツ王子とノルベルトの対戦を見る限り、ノルベルトは確実に格上だ。体格でも勝負にはなるまい。


 かなり厳しい勝負にはなることは明白だった。勝ち目などあるようにも思えない――だが、ヒルデガルトには閃きがあった。


「ギリギリ、勝ち目はあるんじゃないかと!」


 その言葉を聞いたノルベルトの目が、好戦的に光った。


「ほぅ、それは面白い!」


 その表情は闘志に燃え、相手が淑女であるという事等忘れているかのようだった。


(この方も、結構な負けず嫌いね)


「連戦になるが、大丈夫かい?」


 ヴォルフガングが念のため、ヒルデガルトに確認した。


「ええもちろん。殿下が相手では、まったく疲れませんでしたから。問題ありませんわ」


 体力と魔力の総合力では互角。だが魔力制御ではヒルデガルトの足元にも及ばないフランツ王子が相手では、赤子の手をひねるようなものだった。


 ――ヒルデガルトの視界の隅で、地面に埋まりそうなほど落ち込んでいるフランツ王子が見えた。


「ほら殿下! 落ち込んでいる暇があったら、きちんと見学してください! わたくしの戦い方は、あなたの参考になるはずですよ?」


 ノルベルトにヒルデガルトが勝つ方法は、同じく体格で劣るフランツ王子がノルベルトに勝つヒントになるはずだ。



 ヒルデガルトと、そしてノルベルトに促され、フランツ王子はヴォルフガングの横に立った。


(まだ目が死んでいるわね)


 同い年の初心者の女子に腕相撲で負けたのだ。青年のプライドはズタボロなのだろう。





 丸机を挟んで、ヒルデガルトとノルベルトが手を組み合う。


(まったく! 男女が以下略)



「では用意! はじめ!」


 三度鳴らされたヴォルフガングの手――しかし、二人の両手は中央で静止したままだ。


 フランツ王子の時のように、力を込めてないわけではない。


「ベルト様? どうしましたの?」


「ヒルダこそ、攻めてはこないのかい?」


 お互い力は込めている。だがその力は、相手と拮抗するように制御していた。結果として、手は中央から動かないのだ。



(やはり、ベルト様は巧い)


「殿下も、ベルト様相手では勝ち目がないというものです。少し可哀そうになってきました」


 ヒルデガルトが目を瞑ってため息を吐いた。心底フランツ王子を哀れに思ってしまったからだ。


「これほど凌ぎ合っておきながら、どの口がおっしゃるのか」


 ノルベルトは好戦的に笑い続けている。好敵手、として認めたのかもしれない。



 傍目には、ただ手を握りあっているだけ。


 だけどその実、フェイントを織り交ぜて拮抗を崩そうとお互いが牽制し続けている。


(やっぱり、私より格上ね……経験の差かしら? どうやって勝とうかな)


 ヒルデガルトが横目で見ると、退屈そうなフランツ王子の横で、満足そうにヴォルフガングは笑っていた。


(何がそんなに嬉しいのか、ちょっと理解できない……)



 僅かに気が抜けた――その隙を、ノルベルトは見逃さなかった。一気にヒルデガルトの腕を押し込み、押し倒す寸前になる。


 ギリギリで凌いだヒルデガルトは、苦悶の表情で耐えた。


「あっぶな……っ!」


「いえ、よく反応して凌ぎましたねヒルダ。勝ったと思ったのですが」


 ノルベルトの攻め方は容赦がなかった。ヒルデガルトもギリギリ拮抗を作ってはいるものの、じわじわと押し込まれている感覚があった。


「くっ……」


 手の甲が机に着くまであと僅か――ノルベルトが勝利を確信し、とどめとばかりに力をこめる、その瞬間。


 スパーン、と大きな音がして、ひっくり返っていたのはノルベルトの方だった。



「予定通り、作戦勝ちですわ!」


 ヒルデガルトは肩で息をしていた。ノルベルトに微笑みながら勝鬨を上げた。


(さ、さすがに疲れたーーーーっ!)


 ヒルデガルトはふらふらと丸机から離れ、息を整えていた。



 体格の良い男子の、強化された筋力を凌ぎ続けたのである。ヒルデガルトの体力は限界を迎える寸前だった。


 ヒルデガルトが手をぷらぷらと振っていると、ノルベルトから声がかかった。


「……私は、いつ負けたのだ?」


 さきほどのフランツ王子と同じセリフを、ノルベルトも口にしていた。


 やはり同じように、負けた体勢のまま動いていなかった。呆然とヒルデガルトを眺めている。


 そんなノルベルトを見て、ヒルデガルトが”その瞬間”の説明をした。


「呼吸と同じように、魔力にも波があります。その周期の、弱い瞬間を見定めて攻めた。それだけですわ」



 ヒルデガルトの作戦は、その魔力の周期が弱まった瞬間に全力を叩きつけて押し返す、というものだった。


 その為、それまでは力を抑えて凌ぎ続けていた――油断を誘ったのだ。確実に自分の全力が相手を押し切れる瞬間を、虎視眈々と狙い続けていた。


 ノルベルトは相手の力に合わせて加減をしてくれていた。そこにつけ込んだ形でもある。


 ノルベルトが淑女相手に全力を出すような相手であれば、勝ち目はなかっただろう。



「……ヒルダ嬢が魔力を高めた瞬間が、まったくわからなかったんだが」


 呆然としているノルベルトに、ヒルデガルトはにこりと笑って見せる。


「研鑽不足ですわね。もっと感覚を鋭敏にすることをお勧めいたしますわ。殿下ほどではありませんが、ベルト様もまだまだ荒っぽいですわよ? ――でも、手加減をしていただいたことは、感謝いたしますわ。本気で来られていたら、わたくしの腕が折れてしまいますもの」


 ヒルデガルトの笑みに対し、ノルベルトも苦笑いと共に「淑女にそのような無体なことは、できかねます」と答えた。


(うーん、ザ・騎士様、という感じね。最初から全力だった殿下とは大違い)



 ヒルデガルトはヴォルフガングに振り返った。


「これでよろしかったでしょうか?」


「ああ、十分だ。期待通りの結果を出してくれて嬉しいよ」


 ヴォルフガングは満足げに笑っていた。



(――やはり全部計算尽くか。お父様、ほんとに食えないお人ね)


「では、私は少し休憩してまいります。さすがに、このまますぐ鍛錬に戻るのは無理がありますわ」


 ヒルデガルトがふぅ、とため息をついた――実際、体力はもちろん、精神力もかなり擦り減っている。


(鍛え上げた男子二人と腕相撲だなんて、淑女のすることじゃないわよ? お父様……)


 ヒルデガルトは心の中で頬を膨らませていた。


 ヴォルフガングも流石に無理をさせたことを理解し、笑顔で優しい言葉をかける。


「ああ、しばらく木陰で休んでいなさい。体調が戻らないようであれば、今日の鍛錬は休んでも構わないよ」


 ヒルデガルトは頭を下げると、言われた通りに、木陰のベンチに向かった。


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