積み重ねてきたもの
朝一番に来て、入り口の鍵を開ける。それが館長の日課だ。
これまで四〇年以上も続けてきたが、今日で最後になる。
野球場に併設された博物館、その中へと入っていく館長。
ここには、この野球場を本拠地とする球団の歴史や、偉大な選手たちの足跡、それらに関する品物が、多数展示されている。
個人的にもさまざまな思い出のある場所だが、自分は本日限りで館長をやめる。
やめるのがなぜ、「今日」なのか。それについては、大きな理由がある。
これをやり遂げたらやめよう、と思っていたことの実現が、「今日」なのだ。
その総仕上げを行うのは、自分以外であってはならない。
だから、今日まで館長を続けてきた。
球団からはもっと続けて欲しい、そう言ってもらえているが、ちょうど良い節目だ。後進に道を譲りたい。
建物内をゆっくりと歩きながら、館長は考える。
最初の頃と比べて、ここも随分と様変わりした。
展示品が何倍にも増えた。この四〇年で、四回の拡張を行っている。これ以上は拡張する余地がないので、いずれは博物館を移転することになるだろう。
しばらく進んでから、館長は足を止めた。
その前には新しい展示品。ある選手のグローブだ。
それをしみじみ眺めていると、入り口の方で物音がした。
誰かが来たようだ。
まだ開館前だし、他のスタッフが来るにしても早すぎる。
こちらに向かってくる足音。
それには、一切の迷いが感じられなかった。この足音の主は、ここのことをよく知っている。
どうやら、あいつが来たらしい。招待状を送ったわけでもないのに、こちらの予想通りだ。
さて、館長として「最後の仕事」をしなければ。
やがて自分の背後で、足音が止まる。
相手の正体については、ふり返って確認するまでもない。
展示品のグローブに視線を置いたまま、館長は背後に向かって、穏やかに声をかける。
「少し昔話をしようじゃないか」
その言葉の奥には、小さな笑みが潜んでいた。
十年以上も前のことになる。
朝一番に来て入り口の鍵を開ける、それが館長の日課だ。
まずは博物館内を点検する。昨日の閉館以降、夜の間に何か問題が起きていないか。
そうやって一回目の巡回が終わる。
そのあと、バックヤードに行こうと、館長は来た道を引き返す。
しかし、途中で足を止めた。
それから、ため息を二回つく。
最初は、音を立てずに。
次は、はっきりと音を立てて。
視線の先には、変な物がある。
野球のバットだ。
先ほど確認した時、こんな展示品はなかった。
すぐそばには、説明の紙が貼ってある。
――これは「三打席連続で満塁ホームランを打ったバット」です。
あとに続いているのは、ある選手の名前だ。
この選手が満塁ホームランを打ったなんて、まったく記憶にない。しかも三打席連続とは、大きく盛ったものだ。
館長はバットを撤去する。こんな不正を見逃すわけにはいかない。この博物館に展示するのは、本当の記録に限られる。ウソは絶対に駄目だ。
すると、別の展示品の陰から、その選手が姿を現した。
やはり、すぐ近くに隠れていたか。
この選手、期待の若手だ。入団三年目で、今のところ「一軍半」といった位置にいる。
「あーあ、せっかく持ってきたのに」
悪びれることなく、不満を口にする選手。
このようなイタズラを、これまでに何回も実行していた。
そのたびに館長は、インチキ展示品の撤去をしている。
で、本人に注意するのも、いつものことだった。
「そりゃ、ものすごく打てる選手なら、正攻法でいいよ。それで、ここに自分のグッズを、展示してもらえるだろうけどさ」
お約束の反論をしてくる選手。
この博物館、野手の展示品の多くは、「強打者」の物ばかりだ。
一方で、この選手、守備は良いのだが、打撃は普通。ホームランをポコポコかっ飛ばすタイプではないし、高い打率を残すタイプでもない。
この博物館に展示されるような偉大な記録、そんなものを打ち立てることができるかどうかは、未知数だ。個人的には、厳しいと思っている。
館長は手帳を開くと、
「今回のイタズラも、監督にしっかり報告しておくからな」
そう言って、ペンを走らせる。
「へいへい。さーて、自主練でも始めようかな」
去っていく選手。そこに反省の色はない。
わかっているのだ。イタズラを報告されれば、その時間帯に野球場にいた証明になる。朝早くから練習していた、そう監督にアピールすることができるのだ。
抜け目のない奴だと、館長は思った。
だが、報告する価値はある。
この選手はいつも、朝早くから一人で野球の練習をしているのだ。このチームで一番の努力家なのは間違いない。
だから、密かに期待している。
いつの日か、ひょっとしたら・・・・・・。
昔話が終わった。
あれから十年以上が経つ。
ここは朝の博物館。新たな展示品は、そこにいる選手のグローブだ。
彼は数日前に、今シーズン限りでの引退を発表した。残りの試合は、あと少ししかない。
この選手、打撃面では結局、他者より秀でた成績を残すことなく、引退することになりそうだ。
しかし、誰もが知っている。彼の存在は、このチームに欠かせないものであったことを。その鉄壁の守備で、チームを長い間支えてくれた。
この選手が引退を表明した時、ファンの間から大きな声が上がった。
彼の野球グッズを、博物館に展示すべきだと。
派手な選手ばかりでは、本当に強いチームはつくれない。地味な選手の功績も、後世に伝えていくべきだ。多様な個性の選手がいてこそ、真に強いチームは完成する。
で、その公開初日が今日だ。このグローブを見ようと、きっと大勢のお客さんがやって来るだろう。
さて、ここの館長として、「最後の仕事」をしなければ。
グローブの真後ろ、そこの壁を覆っていた大きな布を、一気に取り払う。
その下に隠れていたのは、年表だった。
この選手の現役生活を記録したもの。大事な試合で、どのような活躍をしてきたのか。味方のピンチを救ってきた名守備の数々。それらが写真入りで紹介されている。
さらに、年表はもう一つあり、
「おいおい、冗談だろ」
苦笑する選手に対して、館長は微笑みながら告げる。
「偉大な記録じゃないか」
これまでに彼が、この博物館でしてきた「イタズラ」の数々。ずっと手帳に書きとめてきた分を、こうして年表にしてみた。
さて、「最後の仕事」も済んだことだし、館長としてやり残したことはない。
「今日は自主練を近くで見学してもいいかな?」
にこにこしながら尋ねると、選手がニヤリと笑う。
「今日はホームランを打つ練習でもしようかな、と思っている」
「そいつは楽しみだ」
二人はグローブの前から歩き出す。グラウンドの方に向かって。
ご愛読ありがとうございます。
よろしければ、ご感想をいただけると嬉しいです。「どの話が良かったか」というのが知りたいです。今後の参考にしたいので。
それでは、また。




