赤点攻防戦
ある高校生が本気で焦っていた。
このままではまずい。試験が終わるまでは、残り一〇分と少々。
だが、解答用紙の状況は、好ましいものではなかった。
さっきからずっと脳裏にちらついているのは、「赤点」の二文字だ。この高校では、四〇点未満が赤点になる。
自己採点した結果、あと数点どうしても足りない。
部分点狙いの分も、すでに計算に加えている。これ以上の上積みは期待できそうになかった。
となると、最後の希望は、この選択問題になる。
選択肢の一つは、どうにか消すことができた。残る選択肢は三つ。当てることができれば、赤点ラインの上に出る。
しかし、自分は勝負強い方ではない。むしろ逆。
だから、この選択問題で得点できる可能性は、かなり低いと思っておいた方がいい。
あと数点、どこかに見落としはないだろうか。
問題用紙と解答用紙を必死に見直す。
と同時に、頭の中で響き渡っているのは、二週間前の自分の声だった。
――俺、次の試験で赤点が一つもなかったら、大好きなサクラちゃんに告白するんだ。
友人たちの前で、堂々と宣言した。今になって思えば、あれは完全な負けフラグ。二週間前の自分の口を、大量のタマネギでふさいでやりたい。
いくら追い詰められているからといって、カンニングをする気にはなれなかった。
不正が発覚した場合、全科目の得点が消滅する。すべて0点だ。リスクが高すぎる。
黒板の前にいる教師が、
「名前は書いたか、ちゃんと確認するように」
そう言って開始する。試験終了残り二〇秒のカウントダウンだ。
もはや、これまでか。絶体絶命の大ピンチ。
その瞬間、俺は一つのアイデアを閃いた。成功する確率は、決して高くはないだろう。
だが、迷っている時間はなかった。他に選択肢がない以上、この方法でボーナス点を狙いにいく!
俺は急いで消しゴムに手を伸ばした。残り一〇秒。今度はシャープペンを取る。
数秒後、教師によるカウントダウンが終わった。ぎりぎりだったが、ひとまず間に合った。
あとはボーナス点が入るのを、全力で祈るのみ。
試験のあと、教師は職員室で採点をしていて、妙な解答用紙があるのに気づいた。
名前の欄に書いてあるのは、生徒の名前ではない。この学年に、こんな名前の生徒はいない。
というか、これはプロ野球選手の名前だ。
「なるほど。そう来たか」
この教師、学校内では知らない者がいないほど、あるプロ野球球団の熱狂的なファンだ。
で、その球団の選手たちの中でも、特にお気に入りの選手が一人いる。
自宅はもちろん、ここ職員室の机の上にも、その選手のグッズが大量に飾ってあった。
赤ペンの先を止めて、教師は考える。
この生徒、試験時間の間に色々と葛藤したのだろう。
現在の点数は四〇点未満。しかし、あと少しのボーナス点があれば・・・・・・。
たしかに、この選手の名前を出されては、自分としても、良い点数をつけてあげたい。こういう足掻きは嫌いじゃないのだ。
とはいえ、他の生徒たちとの兼ね合いもある。
「ひとまず保留だな」
先に全員の採点を済ませてしまおう。
次の解答用紙を目にした瞬間、教師は思わず言葉を失った。
またもや、同じプロ野球選手の名前が書いてあったのだ。
さらに、そのあとも発見する。何人もの生徒たちが、同じことをしていた。一つのクラスに留まらない。他のクラスにもいる。
それ以外の生徒たちは、自分の名前をきちんと書いているので、選手の名前を書いた者たちについては、消去法で把握することができる。
この人数なので、大規模なカンニングを疑った。しかし、それぞれの席の位置や、解答用紙の内容から判断した限りだと、その可能性は非常に低いと思われる。
彼ら全員に共通しているのは、四〇点未満だということ。しかも足りないのは、ほんの少しの点数だ。
つまり、彼ら全員が悩み抜いた挙げ句に偶然、このアイデアにたどり着いたとしか。共謀してのカンニングなら、いくらなんでも、「全員赤点」というのはないだろうし・・・・・・。
教師はしばらく考えてから、
「全員赤点でヨシ!」
あの選手なら、この程度の試験で、赤点を取るはずがない。
プロ野球選手の名を騙った生徒たちの解答用紙に、そのようなコメントを書いていった。
「はい、タイムアップでーす」
球団広報のスタッフが告げる。
選手はお手上げのポーズをした。
「駄目駄目、全然解けなかった。こんなの、もう忘れちゃってるよ」
目の前の解答用紙は・・・・・・まあ、雪山ほどは白くない。
「でも、いきなりテストって何? これ、テレビとかの企画? クイズ番組?」
「いえいえ、そういうのじゃないですよ。地元の高校生から、変わった手紙が届いていたので、個人的な好奇心です。解けなくても問題ないですよ。ドンマイ♪」
そう言うと、スタッフはにこにこしながら、解答用紙を回収した。
職員室では、十人以上の生徒たちが、教師を取り囲んでいた。
先日の試験で赤点になった生徒たちだ。彼らは黙って、教師が採点する様子を見守っている。
しばらくして、赤ペンの動きが止まった。
採点していた教師が、悔しそうにため息をつく。
と同時に、生徒たちは歓声を上げた。
「せーんせっ♪ あの選手さんは、この試験で赤点を取るはずがないんですよね♪」
しかし、結果は無残だった。
「くっ・・・・・・試験前に勉強したお前たちと、ぶっつけ本番の選手を一緒にするんじゃない」
採点していた教師は再びため息をつくと、
「わかった。全員に五点ずつな」
生徒たちは飛び上がって喜んだ。これで全員が赤点ではなくなる。追試を受けなくてもいい。
「今回だけだぞ。プロ野球の球団やそこの選手に、このような迷惑をかけるんじゃない。試験の問題を送って、実際に解いてもらうなんて、まったく・・・・・・」
採点したばかりの解答用紙を、教師は机の引き出しにしまうと、鍵をかけた。
「試験の点数はちゃんと修正しておくから、さっさと帰るように」
教師は立ち上がると、生徒たちをかき分けて、職員室の外に出た。
そのままトイレへと直行する。
そして個室に入るなり、
「おっしゃああああああ!」
感情を思いっきり爆発させる。
職員室では他の教師たちの目があったので、あのような演技をする必要があった。
だが、ここなら誰もいない。遠慮なく喜ぶことができる。
あの選手の解答用紙なんて、普通は手に入らない。そんなレアアイテムが、自分の物になったのだ。
「おっしゃああああああ!」
さっきの生徒たちには、あとでこっそり五〇点ずつ加えておこう。
次回は「神さま」のお話です。




