12
俯けば、いつもの私の見慣れた顔が湖面に映って反射する。やっぱり醜い。私がユーリに懸想するなんて、おこがましかった様な気がしてきた。
湖面に映る私の下がり眉はいつものように下を向き、泣きそうにゆがんでいる。
これもここにきて、ユーリに出会うまで標準装備だった物だ。
逆に、こんな顔をすることを忘れていた自分に驚くぐらい。
ネガティブな方に気持ちが引っ張られた所で、いつの間にか右の肩に手が乗っていることに気づく。
ぱしゃりと軽い音を立てて私の顔が波紋で見えなくなった。
原因は、少し座る位置を私のほうにずらしたユーリだ。意図せずその裾を捲り上げた白い足先で水を打つ。それだけで、泣きそうだった私の顔は打ち消されて彼方へ消えた。
「レイ」
「ユーリ?」
肩に乗っている手にぐっと力がこもった。痛いわけじゃないけど、いつも私にそっと触れるユーリが珍しい。
「あ、悪い」
ふと力が緩んだ。
代わりに、右ほほに柔らかいものが触れて、くすぐったい。
引き寄せられた肩に何かの重みと、熱。
えっ。これってまさか。
恐る恐る視線を左に流せば、さらりと流れる金糸。近くで見ると透けて光を反射していて本当にきれい。
そして、そして肩にユーリの麗しいご尊顔が……。
ユーリが大きな背中を丸めて、随分と低い位置にある私の肩に頭を預けていた。
頭も、肩も、腰も、足も左半身が全て驚くほどに近い。あげそうになった悲鳴をすんでのところで口内に押しとどめた。
頭は混乱の極み。我ながら、良く我慢したと思う!
こ、こんなときってどうしたらいいの? 何が正解?
むしろ見なかったことにしてしまう?
ばっと顔を正面に戻して、ぴしりと固まった体に、ユーリがふと笑いをもらした。
笑ったときの振動や息遣いがそのままダイレクトに感じられて、どきまぎする。
確かに、初めて会ったときからユーリはさらっと触れてくることが多いなーって思ってたんだけど、ここまではっきりと密着したことは無かった。
転移のときにぎゅっと抱え込まれたのは…………あれは一瞬だったし、多分転移するのに、体残したままにならないようにの配慮だったんだろうし。うわ、怖。そう考えると無事でよかった。
手の甲へのあれは、異世界人への感謝を表すためにそういう風習なんだって言ってたし、純日本人の私には慣れないものだったけど、欧米文化のようなものかと思ってた。この世界での異世界人に対するマナーのような物なんだろう。気恥ずかしいけど。
でも、ここまでの半身がぴったり密着するほどの距離感は欧米文化とは、違う、と思うんだけど……。どうしよう自信ない。
「ユ、ユーリ。ユーリ」
「どうした、レイ」
「ど、どうしたもこうしたも……」
「やっぱり、レイだった」
「え?」
「俺をすくいあげてくれるのは、レイだけだ」
ユーリが身じろぎするたびに、ユーリの髪がほほを撫でる。
さらさら、つやつやした髪でも、今はすこしくすぐったい。
静かになった湖面に映るのは、どうしようもないくらいに赤くなっている私と、眉をゆるめた穏やかな表情で目を閉じるユーリ。
え、これ、ユーリ寝てないよね? この体制でまさかもしかして寝てないよね?
「初めてだった。初対面の人と目が合って、嫌悪されないのは。
手を握って、頭を撫でてみたいと思ったのも。全部知らなかった。人と近くで、触れあうことを許されて生きるのは、こんなにも幸福なんだな。俺、レイに出会って、初めて生きてて良かったって思った」
かすれるような、穏やかなユーリの言葉で、胸がぎゅっとなる。
今まで生きてきた22年間のユーリの境遇を想像したからだけじゃない。
それは、全く同じように私も感じていたから。
笑顔でおはようって、挨拶して。おやすみって眠る。
今日もいい一日だったな、と眠りについて、明日はどんな一日が始まるんだろうとわくわくする。
生きるのが楽しいってきっとこういうこと。
全部全部、ユーリに、バロウに貰ったもの。
私が今毎日幸せを感じているように、ユーリも幸せであったらうれしい。
深い暗闇にとらわれたままだったユーリが、私が一緒に居ることですこしでも幸福であったなら、本当にうれしい。
「…………私には、ユーリが世界で一番かっこよく見える。信じられないのはよくわかる。私だって自分が美人だって言われても、今でも信じられない気持ちはあるよ。今まで生きてきた歴史があるんだもの。価値観なんて簡単には変えられないよね。
でも、私も、ユーリが私をきれいだっていってくれた言葉を信じるようにするから。…………だから、ユーリも自分がきれいなんだって私の言葉を、信じて……」
自分も信じるから、あなたも信じてなんてあまりにも身勝手でそれこそ自分の価値観の押し付けに過ぎない。ちゃんとそれは分かってる。それでも、ユーリがこの世界の価値観で否定されてしまうのは、自分でそれが正しいと思ってしまうのはどうしても納得がいかなくて。
気づけば一生懸命になってしまっていた。
本当は、見た目以上に内面だってきれいだって伝えたい。
でもその前にユーリを苦しめている外見へのコンプレックスを無くしたい。
私だって、たまにユーリにからかわれているんじゃないかなんて思うことがある。
私が美しいなんておかしいと思う。鏡を見るたびに思う。さっきも思った。
でもそれはきっと今後、あの町に出かければ分かることだし、あまり饒舌じゃないユーリが話す言葉はいつも真剣で、まっすぐだ。
だから私はユーリの言葉を信じようと思えた。
まあ、本音を言えばユーリの言葉だけじゃなくあの二足歩行の柴犬、バロウの言葉に後押しされたのも事実だけれど。
「…………ああ、分かった」
少しの沈黙の後、ユーリが、目を閉じたまま息を吐く様につぶやいた。
日本人では見かけない金糸の髪より少しだけ濃い色の長いまつげが震えている。
ユーリがどんな人生を送ってきたのか私は知らない。
バロウの言葉で少し伝え聞いただけ。同じ苦しみを味わってきたとユーリの言葉で聞いただけ。
世界が変わって生活が一変した私とは違って、ユーリには回りに私が増えたという小さな変化以外は何一かわってないはずだ。
その中で、今まで自分が信じてきた、周りから与えられてきた常識を他人が突然変えろだなんて、承認の言葉を出すまでにどれだけの苦悩があっただろう。惑っただろう。その一言が、ひどく重い。
それでも勝手な私は嬉しく思う。よかった。本当に、よかった。
今ここでユーリと一緒にいられて。ユーリにちゃんと伝えることが出来て。
「レイには、俺がそう見えていることはもう疑わない。…………俺を、好きだといった言葉も、信じていいんだよな……?」
「!!」
そ、うなんだけど、その通りなんだけど!
面と向かって確認されるとすごく恥ずかしい。
いや、確認したい気持ちも分かる。分かるけど!
何もいえなくなった私がうなずきで返事をしたのを、目を開いたユーリと水面越しに目があった。
ユーリがそれはそれはうれしそうに笑った。
ユーリにしては珍しく、ふと口角を上げて微笑むような薄いいつもの笑顔ではなくて、目を細めて、本当に嬉しそうな。
春の雪解けのような、温かくて甘いもの。
まるで固く閉ざしたユーリの心が、少しだけほころんで溢れだしたような、にっこり笑顔。
思わず見とれて、――――次いで私も物凄く嬉しくなった。
きらきら青く輝く瞳が明るい光の中ではじけて、まるで夢のようだった。
ユーリから告白に対する返事はなかったけど、私もそんなつもりで言ってはいなかったのでそれでいい。
私の言葉を、押し付けに過ぎない価値観を否定しないで居てくれた。受け止めてくれた。
私と一緒にいることでユーリが少しでも自分に自信を持ってくれたら。自分を大切に思ってくれたら、それで。
いまは少しだけ熱のこもった青い瞳をそばで見ていられたら、それで充分。
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「あ、二人ともおかえり!」
「ただいま、バロウ」
「二人とも、なんだか随分嬉しそうな顔してるね! これはもしかして俺、超ファインプレーかましちゃった? 褒められてしかるべき?」
「うん、有難う。バロウ。助かったよ」
お礼がてらもふもふしたバロウを撫で回す。ごわごわしてそうなのにふわっと軽いバロウの毛皮。ねぎらっているつもりがこちらが癒されているとはこれいかに。
きゃっきゃと喜ぶバロウ。
あの湖畔で浮かべていた笑顔が幻だったかのように、今ではユーリはいつもの無表情に戻ってしまった。それでも醸し出す雰囲気がなんだかほわほわしていたので、早速バロウに突っ込まれていた。
ニヤニヤまとわりつくバロウをユーリは暫く無視していたが、鬱陶しくなったのか最終的に頭にじゃれあいのような手刀をおとした。
もふっと気の抜けた音がした。
「ユーリ、今日はごはんどうする? 私手伝ってもいい?」
「ああ、助かる」
野菜やら肉やらをテーブルに並べたユーリと頭をつき合わせて献立を考える。
といっても私には食材が何がなにやらなので、逐一ユーリに確認を取りながら。お店に並んでいた時の様にあれは、これは、と私が聞いてしまうので、正直ユーリ一人のほうがはかどるんじゃないかと思うけれども後学の為に、ここはわがままだとしても教えてもらおう。
幸い、ユーリも教えるのを疎んじている感じはないし。
「ごめんね。ユーリ。ほんとはユーリ一人でやったほうが早いんだとはわかってるんだけど……。これじゃ手伝うどころか邪魔しちゃってるよね」
「いや、始めからできるやつなんていない。特にレイは違う世界から来たんだ。俺はレイが楽しそうに聞いてくれるから教えるのは全然苦にならない」
「うん。一から教えてもらわなきゃいけなくて申し訳ないとは思うんだけど、私の居たところの物と全然違ったり、名前だけ違ってて似通っている物があったり、ユーリの説明は聞いてるだけで本当に楽しくて」
「そうか。よかった。何でも聞いてくれ」
「早く覚えて、ユーリにご馳走できるようになるからね!」
「ああ、楽しみにしてる」
目元を和らげたユーリに喜んでもらいたい気持ちが募るが、今の私ではまだまだ食材がなにがなにやらだ。
結局、今日のところはユーリに決めてもらった。
話を聞いてる限りだと、煮込みハンバーグのような感じのお料理を作る印象を受けた。
大きい蕪のような野菜をまずは摩り下ろすらしい。
「レイは包丁は使えるか?」
「うん。それなりには」
「じゃあとりあえず皮を剥いて、四等分にしてくれ。下ろし金を用意しておく」
「わかった!」
ユーリの指示に従って、料理を進めた。
切ったりおろしたりいためたり丸めたり、全て人力で。
意外と魔法を使わないんだと思っていたら、通りがかったバロウが、私の考えを見透かしたように
レイが覚えたら一人でも作れるようにユーリは魔法使わないで作ってるんだよ~。やーい、やっさしいんだ~ と囃し立てながら駆けていった。
うーん、バロウは某となりのアニメ映画にでてきそうな性格してるなーと思う。
図星だったの顔を少し赤らめたユーリが無言無表情でバロウを追いかけていった。
あ、すごい照れてる。その勢いで捕まえたバロウをユーリがこっちに差し出してきたので、さっきのユーリを真似て手刀を落とした。やっぱりもふっとした。
三人でじゃれあうのがすごく楽しい。
私が思わず笑い出せば、バロウも声を上げて笑い出した。ユーリも柔らかい表情で口角が上がっている。
なんだか楽しい雰囲気で、そこからはバロウも混ざって三人で煮込みハンバーグのような物を作りました。
それからサラダと、ポタージュスープと。
とてもおいしかったです。まる。
これからは料理だけではなくなんでもどんどん手伝って家のことをやれるようになりたいな。
そう考えた所で、折角買った水色のエプロンを使うのを忘れたことを思い出した。
明日こそは、あれをつけてお料理を頑張ってみようと思う。まだお手伝いに過ぎないけれど。
さっきユーリに伝えたように、はやくユーリとバロウにおいしい物をご馳走してあげられるようになりたい。