10
私たちは今、噴水のある広場の隅、木陰に設置されたベンチに二人並んで腰掛けていた。
ユーリの魔法で、なんとなく認識を阻害する魔法がかかっているのでフードのついた上着は仕舞ってしまった。この魔法は人がいることに気づきづらくなる。もっと言えばその場所に人が意識を向けづらくなるらしい。周囲に目に見えない膜を1枚張ったような状態なので、移動するとその膜が人にぶつかってしまい、膜が弾けて魔法が解けてしまう為、買い物や人ごみを通るときにはこの魔法は向かないが、注目を浴びずに休みたいときにはうってつけの魔法とのこと。まあ、その膜のサイズも魔力や器用さによって人それぞれだし制御が大変な割に使い勝手は微妙な若干の残念魔法みたい。
向こうの方で子供が駆けて行く。手に持ったボールがたまにこっちの方へ流れてきて膜にあたりそうで少しひやひやするが、その度にユーリが微弱な風魔法でぽーんと跳ね返している。器用なユーリ。
おかげで膜内は平和そのものだ。喧騒が遠く、まるで膜を隔てて世界が違うような感じ。
柔らかな木漏れ日、さわさわと流れる風の音や、噴水の水が流れる音は同じように感じているのに、不思議な物だ。
常であれば心地よい沈黙と静かな時間でさほど忌避する物ではないのだけれど、いまはどちらかというとお互いに黙り込んでしまっているというか、こういうときに対人間の経験不足過ぎてコミュニケーション能力が足りないことを実感する。どんな質問がベターなんだろう。
いや、やっぱりここはまずさっきのことをもう一度謝るべき?
…………。
どうしよう。沈黙が重い。
普段、ユーリと二人静かに過ごすことはわりとあったからどうって事ないはずなんだけど、今はすごく駄目。
重い。空気が淀んでる。
「……レイ、お前は、俺と出会ったとき、何を感じた?」
「え……」
「俺が初めに感じたのは、嫉妬だった」
長い沈黙の果てに、ぽつりと落としたのは、ユーリのような人が発するにはあまりにも現実離れした言葉だった。
ユーリが、私に? 何を、誰に対して嫉妬したって言うの?
初対面で? あなたはそんなにも、きれいなのに。美しいのに。
「それは、どういう――」
「レイがアースでどんな風に過ごしてきたのかを、俺は知らない」
まるで、懺悔のように、言葉は続く。
「それでも、その容姿があれば、何だって叶ったんだろうと思った。服も上等で、体には小さな傷一つなく。誰からも愛され、笑顔を向けられ、健やかであれと願われて育ってきたんだろう。俺とは全くの正反対だ。性別は違えど、もし自分にもそれだけの美貌があればと。そんなことを自分勝手に考えて、みっともなくも、嫉妬した」
……。
笑えない冗談だと思う。
見た目で私に嫉妬って何の冗談だろう。冗談にしては、かなり悪趣味。
もしかして、ユーリって趣味がおかしい人なのかな?
「嘘、だよ」
「嘘じゃない」
そんな、そんなはずない。
私はブスで、スタイルも良くなくて、性格だってこんなだから、誰からも愛されたことなんてない!
友達だっていなかった。
だってほら。ユーリは苦悩に満ちた表情さえも美しいのに。誰が見ても間違いなくそう、感じるのに。
嫉妬なら、私のほうがするはず。
何度思ったことか。もし、私が美人に生まれていたら。明るくさわやかで笑顔が似合うような人に生まれていたら。やさしげで、守ってあげたくなるような花のような女の子であれば。
誰にも馬鹿にされず、蔑まれることもなく、世界はもっと優しかったに違いないと。
顔を手で覆ってしまったユーリの片手を両手で捕らえた。そのまま、顔から引き剥がすように胸元まで寄せて握りこむ。
今はユーリの顔を見せてほしかった。
「ユーリ。私がユーリと初めて出会ったときに思ったことはね」
思ったよりも固い声が出た。努めて冷たくならないように意識して、話す。
ユーリの青い目が涙で滲んでるように見える。
美形の流す涙はまるで真珠のよう。この優しい人が何を言っているのかはちょっとよく分からないけど、今にも零れ落ちそうな涙がどうか止まってほしい。
「なんて、きれいなんだろうって。無表情だったからまるで作り物のようではあったけど、今までテレビで見た、褒め称えられてた芸能人もかすむように美しくて。ひどい顔の私とはまるで世界の違う人で、比べるのもおこがましいって」
「ユーリが、私に嫉妬? そんなこと、ありえないよ。私なんかとは正反対だから、比べようとも思わなかったよ。美しすぎて注目されるのが嫌だから、もっと平凡な顔立ちがよかったとかならともかく。まあ、それでも私にはうらやましすぎる願いだけど」
せっかく自分にとっては自分で言うのがつらいことでも、明るく笑い飛ばしたのに。ユーリはその端正な顔を呆然とさせている。さすがにいやみっぽかったかな。やさしいユーリのことを困らせたくはなかったんだけど、ユーリが私のコンプレックスをダイレクトに抉ってきたから、思わずとんがった返しをしてしまった。ごめんユーリ。
「は? いやいや、ちょっとまて。誰が美しくって、誰の顔がひどいって?」
次の瞬間、ぎゅっとユーリの眉間にしわが寄った。わ、そんな顔をすると急に迫力がでる。初めて見る表情だ。あれ、そっち? 決まりきったことじゃないか。
つられて私も眉間にしわが寄る。
年頃の女の子に自分が不細工だってはっきり言わせようというのか。いくらユーリでもひどいと思う。
でも言わないと伝わらないなら、言う。それでユーリの涙が止まるなら何回だって言う。
「ユーリは私が見てきた世界で一番美しいと思う。私は誰よりも醜くて、笑われて、蔑まれて生きてきた」
自分でも真面目くさった顔をしていたと思う。
ユーリが不可解なものを見る顔をした。また初めての表情。
「おい、ちょっと待て。まさか。嘘だろ。もしかして、アースってそうなのか? 俺はレイこそが今まで見てきた中で一番美人だと思っているし、反対に俺は、ひどく醜いと知っている。たとえ魔法の才能があったって、地位があったって。この顔のせいで、取り繕うことすらされずに全てのものに嫌悪されてきた」
う、嘘でしょ? 私が、美人? 美人? え、美人?
あまりの混乱に、同じ言葉ばかりが頭を回る。
もしかして、文化の違い? こことアースでは価値観が違うって言うの?
「ユーリ、ちょっと聞いていい?」
「なんだ」
「この世界の、美人って何?」
「レイのことだな」
「もう少し詳しく」
「一般的には、豊かな黒髪で波打っていること、眉は優しくさがっていること、唇は厚いこと、などだな。宮廷画家に美しい人を描かせればおそらくレイそっくりになるんじゃないか」
「嘘……」
「俺も教えてほしい」
「うん」
「レイの世界で美人とされるのはどんな人間だ」
「ユーリのことだね」
「詳しく」
「さらさらで艶のある髪、通った鼻筋、高い鼻、柳眉に二重できれいな瞳、配置が整っていることとかかな。それだけが絶対ではないけど。ちなみにユーリも、私の世界にあるビスクドールっていう愛でるために美しく作られた人形、それに似てると思う。まるでビスクドールのような、っていうきれいな顔立ちの人に使われる言葉があるんだけど」
「……」
お互いに、思わず顔を見合わせて呆然としてしまう。
え、出逢ってから今まで、むしろ生まれてからずっと、全く同じようなことを考えて悩んでたって言うの?
なんて、似た者同士。
どちらともなく、乾いた笑いが口の端からこぼれた。
美醜観がちがう、なんて。まさかそんなこと考えたこともなかった。
ユーリはこの世界の基準だと受け入れられないくらいに醜くて、私は美しく見えているってこと?
ははは。そんな馬鹿な。
なんだか、二人揃ってすっかり疲れた気持ちになってバロウの待つ家までそのまま転移で帰った。
あまりの衝撃に、店員さんに顔を見られた意味さえすっかり忘れて。