王の渇望
世界の真実を知った時、自分の胸に湧きあがったのは憎悪だった。世界から赦されたというその存在を憎悪した。それはきっと、自分の存在意義からくる本能に近い感情だったのだろう。それでもはっきりと自分自身の心で、その存在を憎悪した。在るがまま、在るだけで全てを捻じ曲げ、支配する存在。この世の全ての人間達の意志を、自由を、弄ぶような邪悪。
赦せるはずが無い。それは誓いだった。一人の人間としての、魂の咆哮だった。
『魔王』。
その「支配」から、この世界全ての人たちを救える、唯一の存在が自分だった。
自分の役割。それは「毒矢」。『魔王』を倒すのは正義の刃では無い。暗闇から放たれる、悪意の塊なのだ。
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「転校生?」
何も知らなかったような声色で、全てを知っている私は一瀬七海の方へ顔を向けた。
高校1年生の1学期、それも6月という中途半端な時期にやってくる転校生の存在は、従順なクラスの担任、荒井仁が喜び勇んで知らせてきた情報だった。
その訳ありげな転校生の名前は大屋鳥 直光 (おおやどり なおみつ)。
全てを支配する私でも、予期せぬ『王の采配』が起こることはままあった。それは引力みたいなもので、月に導かれる潮のように、静かに、それでも圧倒的な力を持って、私の前に現れるのだ。そして予期せぬ『采配』がもたらすものは、尋常では無い『力』を持つ者。
私は期待に胸を高鳴らせた。新しい「臣下」となる資格を持つ者が現れるかもしれない。
出来れば……。目の前の2人、一瀬七海と井上彩を見つめながら思う。彼女たちよりも私を深く深く、憎んでくれないだろうか。
「そう、えっとね……何だっけ。結構珍しい苗字。えーっとおおや…おおや何とか」
興味があるようで無い様子の一瀬七海がそう呟くと、井上彩が可笑しそうに笑う。
「もうやだ七海ちゃんたら。大屋鳥君だよ。確かに珍しい苗字だけれど」
「大屋鳥君……か。どんな子なのかな?」
私が呟くと2人は顔を見合わせる。やがて一瀬七海が遠慮がちに訪ねてきた。
「え、えー?何なに、弥子気になるの?転校生のこと」
本人は気が付いていただろうか?少しだけ、ぐらりと瞳が揺れたのを。ややあって井上彩が追従する。
「弥子ちゃんが男の子に興味持つのって、珍しいね?」
何気ない風を装っても私には分かる。決して同性の友人には向けられるはずの無い感情が言葉の内に混ざっていた。それは嫉妬。愛するものを奪われることへの恐怖。少しでも私の関心を自分に向けたいという焦燥感。あぁ、何て愛らしい子達なんだろう。一途で、どうしようもなく愚かな子達。
「そう?そうかもね。……カッコいいといいなぁ」
今度こそ2人の瞳の中に、はっきりと嫉妬と欲望の炎が燃え上がったことを確認すると私は満足げに微笑んだ。2人は表情を一瞬強張らせ、そして目に見える位動揺し、そして何とか立ち直すことに成功したようだ。
「……あっはっは!!こりゃ転校生もかわいそうだわ!ことごとく学園のイケメン達をフってきた弥子のお眼鏡に敵うかどうか」
「弥子ちゃんに釣り合う男の子でしょ……。ちょっと想像できないなぁ」
だから、弥子。私を選んで。
私の中でぐるりと何かが動いた。それは世界の歯車だったのかもしれないし、私自身の欲望だったのかもしれない。愛おしくて、愛おしくて。私は2人に欲情した。
「ふふっ、言ってみただけよ」
2人の中で燃え上がる炎が瞬く間に底へと沈んでいく様子を、惜しみながら見つめる。危ない、危ない。火遊びは過ぎては身を滅ぼす。それは王である私でも、例外ではない。
動き出した歯車は、世界を廻す。騒がしい朝の教室のドアが静かに開けられ――――。
「―――……!!!!」
教室に居た者全てが息を呑んだのが分かる。そう、信じられない事に。私ですら。この私ですら一瞬視線を奪われた。
「……おいおい、お前ら怖いぞ?大屋鳥がびっくりしてるじゃないか」
担任の荒井仁がさぁ、入れと背中を押した少年が、教室の黒板の前に立つ。
「はじめまして。神戸から引っ越してきました。大屋鳥直光といいます。中途半端な時期の転校ですけど、皆と仲良くなれればなって思います。よろしく」
そう言って頭を下げる彼を全員の目が追った、おじぎに合わせてさらりと艶やかな前髪が垂れ、男とは思えないほど長い睫が影を落としたのが見えた。すっきり通った鼻梁。強い意志を感じさせる瞳。色香さえ感じさせる唇。その全てが完璧なバランスを保っていた。
「……あ、はは……。かわいそう……じゃ、ないね」
引きつった顔で一瀬七海が笑う。井上彩は彼を見つめたまま、微動だにしない。
私は。
「……どうした?瀬名」
荒井仁が怪訝な表情を浮かべ、クラスメイトの視線を集めて初めて、私は自分が立ち上がっていることに気付いた。
「……いえ、何でもありません」
席へ座ると不安げに2人が私を見つめてくるのが分かる。いつもなら、そんな2人に微笑み返すくらいはしただろう。けれど、今の私にその余裕は無かった。
久しく感じていなかった感情が頭をもたげてくるのが分かる。これは私の業。「支配者」としての、「王」としての気質。
素晴らしい。『王の采配』は最高のプレゼントを私に用意してくれた。私は顔を伏せ、抑えきれない歓喜の表情を隠した。
あれが欲しい。
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教室に入った瞬間に、一斉に視線を浴びせられる。今更驚きはしない。慣れたものだ。俺がたじろいだのは視線じゃない。冷や汗が噴き出ない自分が信じられないほどだ。何てことだ。これ程のものだなんて。この教室ごともう、日常のそれじゃない。歪んでしまっている。俺は標的をばれないように盗み見た。標的は何ともないという表情でこちらを見つめている。俺が何なのか、気が付いたのか?肌が泡立つような感覚すら覚えたが、標的は興味なさ気に顔を伏せると、それきりこちらを見ようとはしない。どうやら、まだ正体がばれてはいないようだ。相手がこちらを見ないことをいいことに、つい憎悪の視線を向けてしまう。『魔王』め。汚らわしく、おぞましい。そんな姿をしていても、俺には分かる。
お前の中にいる『理外の獣』が、その肉を食い破って、外に出たがっているぞ。
俺を、懐に入れたな。俺は『毒矢』。お前を、決して逃がさない。




