王の覚醒
いつ、どこで「出来上がったのか」は覚えていない。それでも、僕が生まれたことには意志があって、意味があった。
僕を生かす意志が、生かす意味が、僕を常に取り巻いて、護っている。
僕は、死にたいのだ。もう、終わりにしたいのだ。
この永劫の苦しみを、終わりにしたい。
俺はずっと待っていた。ずっと、待っていたんだ。
弥子。僕を救ってくれ。
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確かに、壊した。壊したはずなのに。
『魔王』は俯いたまま、鬱陶しそうに前髪を掻き上げた。思わず眉を潜める。
奴は、こんな顔だったか?
今や『魔王』の姿は、元の姿を留めては居ない。黒々とした髪は色素が抜けていき、
陰鬱な目つきは少しずつ和らいで……。
「……どういう、つもりだ?『魔王』」
思わず唇が戦慄く。目の前に居たのは、俺だった。
「……悪気は、無いんだけどな。悪いな。どうも、目の前にいると『引っ張られて』いけない」
今や俺そのものと言ってもいい姿となった『魔王』は朗らかに笑う。それは俺だ。その言葉の裏に毒を潜ませている、俺そのものだった。
「……どういうことなの?大屋鳥君。これも、あなたの『本質』なのかしら」
目の前の光景に特に驚きも見せずに、瀬名弥子が問いかけてくる。彼女は目の前の状況が理解できてはいないようだ。忘れてしまっている。無かったことにされている。
忘却と模倣。理を外し、この世界を捻じ曲げる者。
「弥子、忍びないけれど、少し席を外してくれないか?」
目の前の『俺』が瀬名弥子に話しかける声は柔らかく、慈しみに溢れている。まるで俺が……彼女を愛しているかのように。
「……あなた、だあれ?大屋鳥君では、無いわね」
「……弥子。さっきは、僕のことを覚えていてくれたね。凄く驚いた。凄く、嬉しかった。でもまだ早い。君がもっともっとたくさんの人を愛して、愛して、そして『服従』させ、『屈服』させて。君が僕に相対するのに相応しい時が来るまで。……私はいくらでも待つわ」
今や目の前にいるのは、俺では無かった。……瀬名弥子の姿を取った『魔王』が微笑む。
俺に彼女の姿を『取った』この存在を害せるだろうか?いや、やるんだ。こいつを生かしてはいけない。すぐに壊さないと。このおぞましい、得体の知れない存在を。
目の前の光景に虚を突かれている隙に、『魔王』が瀬名弥子に近づいた。流石の彼女も目の前の光景に理解が追い付かずに固まってしまっているようだ。
「……さぁ、弥子。こっちよ」
『魔王』が瀬名弥子に手を差し伸べる。目の前にいる自分の姿を模した何者かに、瀬名弥子は一瞬逡巡したが、促されるがままにその手を取った。
「やめろ!!」
静止しようと瀬名弥子の手を取ろうとしたが、次の瞬間動けなくなる。俺は彼女に触れない。彼女に『毒』を与えたくない。
瀬名弥子は、見る見ると表情を変えた。恐らく、俺だけでは無い。今まで誰も見たことは無いだろう。固く、表情を強張らせていく。
「……『本質』が、無い」
瀬名弥子が呟く。表側も、裏側も無いと。
「……そうだよ、弥子。僕には何も無い。何も無いんだ。でも、確かに居るんだ。僕は、ずっと君の傍に居たんだ。覚えていなくてもいい。……君は物心がつく前から、容易く人を惹きつけていたね。その姿を見つけた時、僕は歓喜に震えたんだ。こいつらの……」
それまで優しく瀬名弥子を見つめていた視線が、射るように俺を睨みつける。
「こいつらの様な偽物じゃない。君は、君は本物なんだから」
感極まった声が段々と変質していく。艶やかな長髪が、瞳が、唇が、体が。美しい少女が見る間に消え失せ、やがて陰鬱そうに薄く笑う少年が目の前に立っていた。
「やっと見つけた。……君は『救世主』なんだから」
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一体どうしたことだろう。気が付けば目の前には見覚えの無い少年が立っている。つい先程まで、大屋鳥直光と二人きりだったはずだ。いや、そもそも、ここに第三者が立ち入ることなど出来ないはずなのに。
彼は私の手を取っていた。思わず凝視してしまう。彼の表情は穏やかで、優しく微笑んでは居たけれど、その掌から伝わる事実に、私は大いに戸惑った。
『本質』が見当たらない。
「やっと見つけた。……君は『救世主』なんだから」
目の前の少年は私に対して穏やかにそう言うと、微笑む。その表情は私に対して『服従』を誓う『従者』そのものに見えた。けれどそれはきっと間違っている。
「……話がさっぱり見えてこないのだけれど、あなたはどなた?」
「……世良信也。僕の名前だ。覚えられなくていいよ、弥子」
優しそうに微笑む目の前の少年に、私の胸は何故か疼いた。何かぽっかりと空いた穴が、私を見つめているような気がした。
「……何だって?」
ひび割れた声がした方を見やれば、大屋鳥直光が蒼白な顔をして立っている。
「……言葉通りの意味だよ、『毒矢』」
世良信也と名乗った少年が、それまでの表情が嘘だったかのような冷徹な表情を携えて応える。
「何故、壊せないのか?答えは簡単だ。お前は、お前達は本物じゃないからさ。僕を忘却せずに覚えていられる、そんな奴らが、数はそれ程でもないが、確かに存在した。僕の力に怯え、そして僕の『意味』に恐怖したお前たちが選んだのが、僕を壊すという結論だったのさ。なぁ、大屋鳥直光。お前は一体、お前が何本目の『毒矢』なのか知っているのか?」
「……嘘だ」
「嘘じゃない。僕は嘘をつけない。その役目は弥子が担っているから。……お前たちは力を蓄えた。僕を害し、滅する為の力を蓄えた。そのうちに気が付いた。僕は壊せない。壊せるはずが無いということを。それでも諦めきれずに盲信的に『毒矢』を作り出した奴らも居た。諦観とともに、せめて僕の監視は続けようという奴らも居た。『観察者』と言ったかな。僕はせせら笑ったものだけど、奴らの動向を逆に監視していたお陰で、弥子に出会えた。そこだけは、感謝してもいい」
「嘘だ!!」
「嘘じゃないんだよ、大屋鳥直光。お前の『毒矢』は僕に届かない。届くはず無いんだ。お前は紛い物の『救世主』なんだから。偽物なんだから」
「あああああああああああああ!!!!!!!!!!!」
大屋鳥直光が獣のように咆哮しながら黒髪の少年に手を伸ばす。その瞳は失意と恐怖に濡れていた。
「……どう、して……」
両の手で自らの手をしっかりと包み込んだ私を、大屋鳥直光は茫然と見つめている。
「大屋鳥君、あなたの『毒』は私に届かないから、平気よ。……どうしたの?そんな顔をして、あなたらしくないわね。……あなたは、『王』なのでしょう?やっと出会えた、私の仲間なのだから、そんな顔をしないで。ね?」
大家鳥直光の顔は、絶望と悲壮で歪んでいた。何度も、何度も、数えきれないほど見てきた、愛おしい顔。
「……俺は、君とは違う。……感づいては居たんだ。君に俺の力が届かなかった時点で。
君を護るのが『魔王』なら、それはきっと……。でも、俺には使命があった。ずっと、生まれたその日から、俺の使命だったんだ。『魔王』を屠ることが。世界を救うことが俺の……」
「それがあなたたちの言う『救世主』?」
「……君は自分の事を『王』だと言っていたね」
「あなたも『王』よ」
「……違う。俺は……」
「私を信じて。あなたも『王』なのよ。言ったでしょう。私達、お友達になりましょうって」
ずっと考えていたことがあるの。私はね、容易くこの掌に収まる、この盤石を見つめ続けて。あなたたち『駒』が愚かにも、未熟にも、私に従順に生きていくその姿を見て。
あまりにも滑稽で、矮小で、哀れで。
私の思う通りに生きるのなら、打ちひしがれて、ボロボロになって、もう立ち上がれなくなった、誰をも動かせるのかしら。
何て、愛おしいのかしら。私が居ないと駄目なのね。いいのよ。どんな絶望に、その身を引き裂かれても、私が救ってあげる。
「……やっぱり、君は『救世主』だ…」
大屋鳥直光が頭を垂れる。跪いて、私に平伏した。
「ふふ、『服従』していないのに、その姿勢をした人間を見るのは、何だか可笑しな気分だわ」
大屋鳥直光は静かに立ち上がると、ぎこちなく微笑んだ。そこには、それまで見てきた大屋鳥直光の自信も、奢りも一切見られなかった。
どうやら今までの『彼』は喪われてしまったらしい。構わないだろう。今すぐにでは無理でも、いつかきっと、もう一度私が彼を『返せ』ばいい。
私にはそれが出来る。だって私は『王』なのだから、他者を統べる、唯一の存在。
大屋鳥直光から視線を外すと、私はゆっくりと振り返り、目の前の少年を見つめる。
「……弥子、君は……」
「あら、ごめんなさい。あなたを無視したつもりは無かったのよ、世良君」
驚愕に目を見開く世良信也の姿を見つめながら、私は微笑んだ。




