第1話「形なき厄災」
11/1から連載開始する作品、1話だけ先行公開してみます
鐘が鳴っていた。
夜明け前の闇を裂くように鳴り響くその音を、もはや誰も「敵襲」だとは思っていない。3日前からずっと鳴り続けているからだ。休みなく、狂ったように。
「また鳴ってやがる……いい加減、慣れちまったよ」
「慣れちゃ駄目だ。あの鐘が止んだ時こそ、本当の終わりだ」
城壁の上には電磁加速砲——レールガンの砲列がずらりと並んでいる。空では鋼鉄の翼を持つ迎撃機が旋回し、収束光の砲撃を切れ目なく撃ち込んでいた。低空には飛行船型の空中戦艦が展開し、探照灯で荒野を薙ぐように照らしている。
旧帝国が誇る科学技術の粋——それでも赤茶けた大地を埋め尽くす黒い影の群れは、一向に減る気配がなかった。
人々は、それを「魔獣」と呼んでいた。
「くそっ、また再生してる! こいつら、一体何なんだ!」
斬っても斬っても再生する。砲弾を浴びても崩れない。
「上だ、上を見ろ! 奴ら、飛んでいるぞ!」
中には翼を持たぬはずの体でふわりと宙に浮き、迎撃機の編隊へ直接襲いかかる異形もいた。地を這うだけの敵だと思っていた兵士たちの悲鳴が、空の彼方からも降ってくる。第2区画に駐留していた中隊規模の鋼鉄の巨人部隊——「マギアレギウス」が、地響きを立てながら出撃していく。
土埃の向こうに見え隠れするその輪郭は、砦の城壁すら見下ろすほどの大きさだった。だが押し返しても押し返しても、影はまた同じだけの数で押し寄せてくる。誰もその正体を知らない。
知る必要もなかった。ただ恐ろしい何かがこの世界を蝕んでいる——それだけで、十分すぎるほどだった。
「第1砲列、照準完了! レールガン、斉射!」
電磁加速の唸りと共に、収束された弾体が連続して撃ち出される。着弾のたびに影の群れがまとめて吹き飛び、束の間の歓声が上がる。だが数分と経たぬうちに、その穴を埋めるように新たな影が湧いて出る。
まるで大地そのものが、際限なく敵を産み落としているかのようだった。
「第3砲列、蓄電切れです! 第2防壁の駐留部隊、これ以上は保ちません!」
伝令の声に指揮官が舌打ちする。3日前は5重だった防衛線が、今はもう2重しか残っていない。
「空中戦艦、弾切れ! 帰投させます!」
「迎撃機隊も燃料残量が限界です! 一時帰投を許可願います!」
物量を削るための一撃は、いつも「一時的な間引き」でしかない。数時間もすれば、また元の密度に戻ってしまう。
監視モニターの一つが、前線の一体を拡大して映し出していた。全高15メートルはあろうかという鋼鉄の巨躯が、右腕に構えた大槍を影の群れへ突き立て、薙ぎ払う。肩に据えられた連装の自動火器が同時に唸りを上げ、着弾のたびに火花が散った。
剣でも魔法でもない、純粋な質量と火力の暴力。それでも影の数はまるで減らない。
その混乱の只中、崩れかけた砦の一室で、若い女がモニターに齧りついていた。
「……被害状況、更新するわ。第2防壁、突破まで残り十数分」
白衣に丸眼鏡をかけた女——アリスは震える指先で端末を叩きながら、抑揚のない声で数字を読み上げていく。頬には返り血の跡が乾いてこびりついていたが、拭う余裕すらないようだった。
「数字なんぞ、どうでもよかろうが、アリス! 外を見よ、人が死んでおるのじゃぞ!?」
叫んだのは、宙に浮かぶ小さな影だった。身の丈は大人の腰ほどしかない、12歳ほどに見える少女——ソフィア。その周囲を、握りこぶし大の光る球体が6つ、静かに旋回している。
演算球体というものらしい。彼女が思考するたび、球体の一つがちかちかと明滅した。
窓の外、逃げ遅れた若い新兵が、仲間が影に呑まれる瞬間を目撃してしまったのだろう。赤銅色の瞳が見開かれ、小さな拳が震えている。
アリスは顔を上げなかった。
「感情に振り回されている場合じゃない。今、私たちにできるのは、一秒でも多く避難時間を稼ぐための計算だけよ」
「……計算、計算て。お主はいつもそれじゃな」
ソフィアが吐き捨てるように呟く。幼い声には似合わない、老成した口調だった。反論はなかった。
ただ、その沈黙の中に、アリスへの苛立ちとも、自分自身への無力さともつかない何かが渦巻いていた。
この惨状を生み出したのは、他でもない自分たちだということを——2人とも痛いほど分かっていたからだ。
世界を救うはずだった。
食糧危機も、気候の暴走も、すべてを終わらせる希望として、あの技術は生み出された。それがどこでどう歪み、この悪夢に姿を変えたのか。今となっては誰にも分からない。
ただ確かなことは——目の前で罪もない人々が死んでいっているという事実だけだった。
アリスは端末の向こうに映る前線の映像を見つめた。第2区画に残る主兵力である魔導人形は、あと17体。開戦時の三分の一にも満たない。
「アリス殿、指揮官は撤退命令を出しません。このままでは……」
「出せるわけない! 今退けば、逃げ遅れた数千の民が影の群れに呑まれる」
踏みとどまることも退くことも、どちらも等しく死を意味する状況で、彼女にできるのはただ、一秒でも長くその天秤を支え続けるための数字を弾き出すことだけだった。
「北の砲列、沈黙! 応答ありません!」
「東翼の駐留部隊、半数が機能停止! マギアレギウスの魔導回路が焼き切れています!」
「コックピットの搭乗者、応答なし! 脱出ハッチも作動していません!」
次々と飛び込んでくる悲報に、指揮所の空気が張り詰めていく。
「誰か……誰か聞こえるか! 動かない、機体が全く動かない……!」
鋼鉄の巨人たちが、瘴気に触れた端から糸の切れた人形のように膝を折っていく。あれほど頼もしかった鉄の巨躯が、今はただの動かぬ塊と化して荒野に転がっていた。あの15メートルの内側に、確かに人がいた。
誰かの父であり、誰かの息子だった者たちの声が、次々と通信網から消えていく。残った空中戦艦が最後の砲撃で飛行タイプの群れを薙ぎ払うが、その代償に1隻が墜落する。搭乗員の悲鳴が通信越しに響き、やがて途切れた。
誰もそれを悼む時間がなかった。
「アリス様! ソフィア様! 第2防壁、破られました!」
伝令の声に、2人は同時に顔を上げた。
窓の外、崩れた防壁の隙間から、黒い影の第2波が雪崩れ込んでくる。逃げ遅れた家族の列に、その影が迫っていく。
「誰か……誰か、この子だけでも!」
母親が子を庇うように覆いかぶさる姿が見えた。
間に合わない。
アリスの中で、初めて計算が意味を成さなくなった瞬間だった。
「……」
彼女は演算の手を止め、ゆっくりと顔を伏せた。これまで弾き出してきた無数の数字が、今この瞬間ばかりは何の意味も持たなかった。
「アリス様、次の指示を……!」
部下の声にも、すぐには答えられなかった。ソフィアもまた、演算球体を握りしめたまま、崩れていく防壁の向こうを黙って見つめている。
誰も、この先に何が待っているのかを知らない。ただ絶望だけが、確実に指揮所を満たしていった。
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