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男の沽券……はまあどうでもいい

 


「坊ちゃん……敵を殺すことを恐れていては、いつか命を取られますよ?」



 そう言って地面に座り込むシャルルティーユに声をかけたのは、アーガスティン家の護衛でありシャルルティーユの剣の師匠でもあるガスパールだった。


 ボサボサの黒髪に髭面のごつい顔をしたガスパールはローズの師匠でもある。ローズがこの領地にやって来たのとほぼ同時期に、アーガスティン家に雇って欲しいと直談判してきたのが、軍隊経験者であるガスパールだった。


 シャルルティーユは、ほぼ毎日このガスパールに剣の稽古をつけて貰っていた。


 貴族の子息が実際戦うことは稀であるが、国同士の戦にでもなれば駆り出されることもあるし、賊に襲われないとも限らない。


 己の身を護る程度の剣術を身に着けることは、貴族の子息にとっても必須なのだ。


 だが毎日の稽古によって技術だけはそれなりになったが、いかんせんシャルルティーユは争い事が嫌いであり、その気持ちが気を抜くと動きにも表れてしまう。


 ここぞと言うときに、シャルルティーユは剣を振るうことを躊躇してしまうのだ。


 そしてこうやってガスパールに忠告されることになる。


「でも、ガスパール……。別に殺す必要はないんじゃないか?」


 シャルルティーユは殺生が嫌いだ。本音を言えば、剣だって出来る限り握りたくはなかった。剣を握ってしまえば、必ず相手か自分を傷つけてしまう。


「殺さずに相手を制する技術がおありで?」


 そう言われてしまえば、シャルルティーユとしては黙り込むしかなくなる。


「まったく……甘いですよ。そんなんじゃ、任せられません」


 ガスパールの言葉に、シャルルティーユは首を傾げた。


「任せられないって……何をかな?  まさか、この領地のことかい?」


 シャルルティーユは己が特別優秀でないことは知っていたが、そこそこ優秀だとは思っていた。十歳で男になってからは領地経営の勉強も頑張って来たし、そしてこうやって苦手な剣の指導も受けている。


 しかしそう思っていたのは自分だけで、もしかしたら傍から見たら頼りないのではと思い、蒼褪めた。


「それこそ、まさかです。任せられないと言ったのは、まだ見ぬ坊ちゃまの奥方のことですよ」


 ガスパールの言葉に、シャルルティーユはローズの姿を思い浮かべた。美しく可愛く、強くて格好いいローズ。


 ローズがシャルルティーユの妻となった時の光景を思い浮かべて、シャルルティーユは頬を赤らめた。


「……まったく。誰のことを思い浮かべているのでしょうかね。正直に申し上げて、坊ちゃまよりもローズ殿の方がよほど剣の筋が良いですよ」


 ガスパールがローズの名を出して来たことに、シャルルティーユはむくれた。


(ローズの名前なんて、出してないのに……)


 しかしきっとシャルルティーユの想いはガスパールには筒抜けだろう。ここ数年、ローズへの想いを自覚してからは特に、ローズに対する想いを隠しきれてないことには自分でも気付いていたからだ。


「……知ってる。ローズはすごいよね。可愛い上に恰好いいなんて」


 シャルルティーユは勢いつけて地面から立ち上がり、膝と尻についた泥を手で払った。


「負けてても、良いんですか?」


 ガスパールの言葉は、もしシャルルティーユが生まれた時からの男だったのなら、心に響く言葉だったかも知れない。


 好きな女性に武力で負ける。これはきっと男にとっては沽券に係わる問題なのだろう。


 しかしシャルルティーユは端からローズと争おうなどとは思っていないのだ。ローズどころか、他の誰とも争おうとも思っていない。


 この闘争心のなさはシャルルティーユが元女性だからなのか、はたまた生来の性格に寄るものなのかは判断に迷うところだった。


「負けたなんて思ってないよ。これは別に負け惜しみじゃない。私がローズに剣で勝とうとしたら、それこそ生活のすべてを剣に捧げなければならなくなる。それでも勝てるかどうか……。私には武力で誰かを護ることは難しい。そのために君がいる。もし私が妻を娶ることになったら、その時は君に任せるよ」


 ガスパールはシャルルティーユの言葉をちゃちゃも入れずに大人しく聞いていた。


(きっとガスパールには私など何とも頼りない貴族のぼんぼんにしか見えていないのだろうな……)


 ガスパールの盛り上がった筋肉を見て、シャルルティーユは心の中でため息をついた。


 もっと鍛えれば、シャルルティーユとてあのような筋肉を纏うことは出来るだろう。しかしいつか女性に戻った時のことを考えれば、あまり筋肉をつけすぎるのもどうかと思ったのだ。


(一度筋肉をつければ、女性の身体に戻ってもそのままなのかな? と考えると……あんまり可愛くないような……)


 人の意見はそれぞれだろうが、シャルルティーユの趣味としてはあまり芳しくはない。


「妻ねえ……。本当にお迎えするんですか?」


 ガスパールの言葉に、シャルルティーユは首を傾げた。


 ガスパールはシャルルティーユの秘密を知らないはずなのに、何やらシャルルティーユが妻を娶ることを不審に思っているようだった。


「それ、どういう意味? それに妻のことは君が先に言ったんじゃないか」


「まあ、そうなんですがね」


 ガスパールの煮え切らない態度を見て、シャルルティーユは先ほどの言葉の真意に、何となくだが気が付いた。


 ガスパールはローズのことを可愛がっている。だがその可愛がり方はシャルルティーユに対するものとは一線を画していた。


 まるでガスパールにとってはシャルルティーユよりもローズの方が主人だとでも言うように、言動の端橋からローズに対する敬意が伝わってくるのだ。しかもガスパールはそれを隠そうともしない。


 一体何を考えているのか、あるいは何も考えていないのか。シャルルティーユにはガスパールの態度に判断がつかない。しかしガスパールの気持ちを慮ることは出来た。


 やはりローズはただの平民ではない。そう、シャルルティーユは思っている。


 そしてガスパールの本当の主人は、きっとローズなのだろう。ガスパールにしてみれば、主人に対する敬意を隠すことは、きっと耐え難いことなのだ。


 そんな自分の大切な主人と仲の良い男性であるシャルルティーユに対しても、きっと何か思うところがあるのだろう。


 ローズの身分はここではあくまで平民だ。となれば侯爵家の跡取りであるシャルルティーユの奥方候補には上がってこない。ガスパールはそこらへんをシャルルティーユがどう思っているのか、おそらくシャルルティーユに言外に問おうとしている。


 だが今のシャルルティーユでは、ガスパールのその問いに答えることは出来ない。


 ガスパールはシャルルティーユが本当は女性であることを知らない。知ればきっとローズをシャルルティーユから引き離そうとするはずだ。


 もしシャルルティーユがこれから先ずっと男性として生きて行くことが確定したならば、シャルルティーユはローズに告白しようと考えていた。告白して、気持ちを受け入れて貰えたら、両親をどうにか説得しようと。


 難しいかも知れないが、やらないうちから諦めるのは嫌だと、そう思っていた。


 きっとローズの本来の身分は貴族だ。それも低位のものではない。もし、そのことを両親が知っているとしたら、きっと反対されることはない。


 だがそのことをローズが隠している限り、シャルルティーユが無理やりにそれを暴くことも出来ない。


(少なからず、私の勘違いという可能性もあるけれど……)


 ローズには何か事情があるはずなのだ。だがローズはそのことをシャルルティーユには話してくれない。そこのことを寂しいとは思うが、人に言えないような秘密は誰でも持っているものだ。


 シャルルティーユがローズに呪いのことを話したのは、あの頃のシャルルティーユがまだ考えなしの子どもだったからだ。

 

 その点ローズは初対面の時から精神面ではシャルルティーユよりもよほど大人だったのだろう。今のシャルルティーユだったら、きっとローズには呪いのことを話していない。


 話すとしたら、きっと告白をする時だった筈だ。


 たった一人の特別な相手として、何もかも隠さず話そうと、そう決めた、その時に。


「ガスパール……。私はローズのことを誰よりも大切に想っている。けれど、今はそのことをローズに伝えることは出来ないんだ」


 シャルルティーユはじっとガスパールの黒い瞳を見つめた。


 煮え切らない、自分勝手な事を言っている自覚はあった。けれど冗談や誤魔化しではないことだけは、伝わって欲しいと思ったのだ。


「……わかってますよ」


 果たしてシャルルティーユの気持ちが伝わったのか、ガスパールはそう言うと剣を肩に担ぎシャルルティーユに背を向けて歩き出した。



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