選択肢B1 今の姿で生きることに決めた……けど
選択肢Bは、白き魔女が言うところの本当の救済魔法がないバージョンです。
シャルルティーユの言葉を聞いたローズは、目を僅かに見開き、すぐに微笑んだ。けれどその微笑みには、まだ何処か躊躇いが窺える。
「嬉しいよ、シャル。嬉しいけど……本当に私で良いの?」
ローズが眉を寄せ、苦しそうに言葉を紡ぐ。
「今更だよ、ローズ。君が元男性だろうと、私の気持ちは変わらない。男性の君も、女性の君も、私の一番大切な人に変わりないんだよ」
元男性のローズと、元女性のシャルルティーユ。これほどお似合いの相手はいないではないか。それに、白き魔女はこうも言っていたのだ。
最も魂の相性の良い相手に、呪いをかけると。
他の内容が強烈すぎてうっかり忘れてしまっていたけれど、最も相性の良い相手とは、すなわち運命の相手ということではないだろうか。
「ローズ。私がどんな決断を下しても、それは私の責任だ。お願いだから、どうか求婚の返事を聞かせて欲しい」
シャルルティーユの視線を受けたローズが、薄っすらと頬を赤らめ、シャルルティーユの視線から逃れるように顔を伏せた。
しかしすぐにまた視線をあげ、その宝石のように美しい瞳を潤ませ、シャルルティーユをじっと見つめて来た。
「ありがとう……シャル。……私で良ければ、喜んで」
美しい笑顔を浮かべ頷いてくれたローズに、シャルルティーユは歓喜した。
「……なら決まりだ。白き魔女よ。私はこの姿のままでいい。ずっとローズの傍にいるためにも、婚姻を結べる姿の方がいいからね」
侯爵家であるアーガスティン家ならば、今は王女であるローズの降嫁先としても相応しい。シャルルティーユがローズを娶れば、二人はずっと一緒にいられる。その先の事はのちのち考えればいい。心さえ繋がっていればあとはどうとでもなる。
シャルルティーユは無骨な己の手を見つめた。可愛くも、綺麗でもない己の手。細い針を持つのには適さない手だ。
けれど、この手はローズの手を掴み、離さずにいられる手だった。
そんなシャルルティーユの決意を聞いた白き魔女は、何とも嬉しそうに微笑み、そして言った。
「よく決心したね、アーガスティンの一粒種。これでようやく、儂も肩の荷が下りたよ」
ほうっと息を吐きだしてから、白き魔女がシャルルティーユを見つめて言った。
「先ほども言った通り、その身体はいたって健康、何の問題もない。それはアンブローズも同じだよ。跡取りのことは二人でよく考えな」
白き魔女の言葉に、シャルルティーユは思わずローズの顔を見た。
するとローズの頬が朱に染まり、それを見たシャルルティーユの頬も同じように朱に染まった。
(ぐ……そのことは具体的に考えていなかった)
ローズと想いが通じ合ったことが嬉しくて、跡取り問題のことはシャルルティーユの頭から消えていた。けれど、これからはそうもいかない。一度養子を取ると言った手前、後回しにしておける話ではなかった。
とはいえ、やはり照れるものは照れる。なるべく考えないようにしていたことだけに余計だ。
「初々しいねえ。年よりには目の毒さね。さあさ、邪魔者はこれで退散するとしようかね。……おっと、その前に」
白き魔女が杖を振るう。
するとシャルルティーユの頭の中に、一瞬だけ何か霞のようなものがかかった感覚があった。
「ちょいと魔法をかけさせてもらったよ。黒き魔女の呪いは、まだしばらくは効力を失わない。今後も王家には呪いを受ける者が現れるだろう。だが儂のしていることを知らせるわけにはいかないんだ。もし、救済を担う相手が呪いを受けることを承諾してくれなければ、ぬか喜びさせることになる。それに、儂ももうゆうに三百年は生きている。いつまであんたらの手助けを出来るかわからないからねえ」
「え?」
シャルルティーユとローズが驚きに目を瞠れば、白き魔女はニイッとひとつ笑いを残し、まるで煙のような姿をかき消してしまった。
来るときも突然なら、いなくなるのも突然だ。
「……え、え? もう行っちゃったの?」
「そうみたいだね……」
一体全体どうやってここから出て行ったのか不思議で仕方なかったが、人の性別を変えられる程の魔女なのだ、ドアも窓も締め切った部屋から脱出するくらいどうということはないのだろう。
「……もし。もし私が生きているうちにまた呪いにかかる者があらわれても。その時にはもう、白き魔女はいないかもしれないのか」
「ローズ……」
魔女や魔術師は基本、長生きだ。
それが白き魔女や黒き魔女ともなれば、普通の人間の寿命を遥かに超えて生きることも稀ではない。
(でも……そうか。王家が長きに渡り箒星の黒き魔女の呪いにかけられているというのなら、妹だという白き魔女も、同じくらいは生きているということなんだ)
「あ~、と。とりあえず……これからもよろしくね、ローズ」
どことなく気まずい雰囲気を変えようと、シャルルティーユはローズに向かって手を差し出した。するとローズがぱちぱちと瞬きをしてから、何かが吹っ切れたような晴れやかな笑顔を見せた。
「こちらこそ。でもこれから忙しくなるよ、シャル。アーガスティン侯爵家の跡取りに、王家の第一王女の降嫁だからね」
「そ、そうだね」
両親はローズの本来の身分を知っていたから良いとして、何も知らない親戚一同はそれは驚くことになるだろう。碌に社交界に顔を出していなかったシャルルティーユが、同じく顔を知られていない第一王女と婚姻を結ぶのだから。
「さっそく父上と母上に知らせなくては。シャルも王都に来て一緒に報告して欲しい。これまで随分と心配をかけてしまったから、きっと喜んでくれる」
嬉しそうに言うローズに、シャルルティーユの頬が自然と緩んだ。
しかし、シャルルティーユはすぐに気を引き締めた。ローズの言うこの場合の父上と母上とは、国王と王妃と言うことだ。
シャルルティーユが両陛下に会ったのは、十の集いと、十五の集いの二度切り。しかもただの謁見ならまだしも、シャルルティーユはローズとの婚姻を願いに行くのだ。
「き、緊張するんだけど。大丈夫かな……? 反対されたりしない?」
するとローズが僅かに目を見開き、シャルルティーユを見つめ微笑んだ。そしてシャルルティーユに向き合い、その前髪を優しく撫でた。
「何も心配いらないよ、シャル。反対なんてされるわけない。もし反対されたら、王家の籍を抜けるよ」
「ええ⁉」
「だって、私は君以外愛せない。男性も、女性も。ああ……勘違いしないで。君以外選択肢がないって意味ではないよ? 君がじゃなければ駄目って意味だ」
僅かに不安に想ったシャルルティーユの気持ちなど、ローズにはお見通しだったらしい。
「うん……私もだよ」
シャルルティーユとて、ローズ以外の誰が相手でも、きっと心のどこかに昇華できないわだかまりが残った筈だ。女性として生きて行くにしても、男性として生きて行くにしても。
重要なのは、ローズが傍にいること。
たった一人の特別な相手が傍にいてくれるなら、きっとどんな苦難も超えて行ける。
「よし! じゃあローズのご両親に会う前に、私の両親を安心させてあげよう。どんな結果になったのか、きっと心配でそわそわしているだろうからね」
「そうだね」
「ああ、あとガスパールにも言わなくちゃ。驚くかな……?」
「多分ね。ガスパールはシャルが元女の子って知らないから」
「あ、やっぱり知らなかったんだ。言えば少しは安心するのかな?」
ローズが元王子だと知っているガスパールにとっては、シャルルティーユとの結婚は少々どころかかなり複雑な想いを抱くものだろう。けれどシャルルティーユが元女の子で、ローズの初恋の相手と分かれば、少しは認めて貰えるかもしれない。
シャルルティーユがそう言えば、それを聞いたローズが小さく笑った。
「シャルなら、呪いのことを知らなくても認めてくれる。ああ見えてシャルのことを気に入ってるんだ」
「ええ? ガスパールが?」
シャルルティーユとしては頼りない坊ちゃんとしか思われていないと思っていたが、ローズが言うにはそうではないらしい。
「本当だよ。むしろシャルが私を選ばなかった場合の方が、恐ろしかったかもね」
ローズの言葉を受けて、シャルルティーユはエミリアと見合いをした後のガスパールを思い出し納得した。
(やっぱり、ガスパールは私がローズに対して煮え切らなかったから怒っていたのか……)
だがあの時のシャルルティーユにはあれで精一杯だったのだ。ローズとの未来を前向きに考えることなど、到底無理だった。
それは、たった一ヵ月程前の出来事であるにも関わらず、シャルルティーユはもう何年も経っているような不思議な感覚を覚えていた。
そんな奇妙な感覚に捕らわれ少し茫然としていたシャルルティーユの服の袖を、ローズが小さく引っ張った。
それに気付いたシャルルティーユが改めてローズに向き直れば、そこにはローズの幸せそうな笑顔が待っていた。
ローズの浮かべた笑みのあまりの美しさに、シャルルティーユは視線と心を奪われ茫然とする。
(ローズ……こんなに綺麗だった? いや……以前から綺麗だったけど……)
今のローズは様々な悩みやしがらみを断ち切ったせいなのか、まるで内側から輝いているかのような美しさを纏っている。
そんなローズの瞳が、シャルルティーユの瞳を覗き込み――。
「ねえ、シャル。ガスパールも、私の両親も、君の両親も。反対などしないよ。きっと祝福してくれる。――だってこれは運命だ。白き魔女が導いてくれたね」
そしてシャルルティーユを運命だと、そう言ってくれたのだ。