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傷喰いの異世界奴隷 〜痛みは俺の糧になる〜  作者: Astera
章二覧

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9/9

8話 価値

 二週間目の最後の日、家庭教師は試験室で長いこと黙っていた。


 書類を一枚ずつ繰っては、また閉じた。それを何度か繰り返してから低い声で言った。


「最後にひとつ試す」


 エルフは部屋の奥から木箱を取り出した。中には小さな水晶が六つ並んでいた。属性試験で使ったものよりも色が濃く光が中に閉じ込められているように見えた。


「魔力源を直接注ぐ。お前の体に外から流し込む。これでも反応がないなら打つ手はない」


 最初の水晶を握らされた。火だった。


 手のひらに何かが流れ込んできた。最初は熱だった。それから針で内側を引っ掻かれるような痛みに変わった。指の関節の奥、肘の内側、肩の付け根、すべてが熱くなってから急に冷えた。


「……っ、痛い」


 声が漏れた。最初は呻きだったが、すぐに叫びに変わった。


「やめてくれ……!」


「次」


 水。風。土。光。


 順番に水晶を握らされた。痛みの種類が変わった。火は熱、水は冷たい刃のような感覚、風は引きずられる感覚、土は重さで潰されるような感覚、光は内側からこじ開けられるような感覚だった。


「やめろ……! もういい……!」


 声が掠れた。返事はなかった。


 最後の闇の水晶を握った時、ケイトは床に崩れた。


「痛い……っ、痛い、やめてくれ……!」


 叫びが言葉にならなかった。やめてくれ、という声が呼吸の間にしか出なかった。


 全部が終わった時、ケイトの体は汗と涙で濡れていた。膝が震えて立てなかった。手のひらは赤く腫れて感覚がなかった。


 だが何も起きなかった。


 水晶は光らなかった。詠唱の時と同じだった。


 エルフは床に崩れたケイトに手をかざした。鑑定の光が薄く差した。


 光の中でエルフの目がわずかに動いた。それから何の変化も読み取れなかったらしく光を消した。


「……変わらないか」


 書類を閉じた。


「無駄だったな」


 声に苛立ちはもうなかった。代わりに何かを諦めた響きがあった。


 エルフは部屋を出ていった。


 ケイトは床に座り込んだまま動けなかった。手のひらの腫れは引かず呼吸は浅いままだった。


 どれだけの時間が経っただろう。窓から差し込む光が傾き部屋の影が長くなっていた。


 扉が開いた。


 執事だった。


「来い。旦那様がお呼びだ」


---


 心臓が鈍く脈を打った。試験の部屋ではなく廊下を奥へ奥へと歩いていく。執事の歩調が一定で足音だけが冷たく響いた。


 通されたのはダエリスの執務室だった。


 広い部屋だった。窓から薄い陽が差し込み本棚と書類机が並んでいる。ダエリスは机の向こうの椅子に座っていた。膝の上で指を組み書類を一枚開いていた。


「家庭教師から報告を受けた」


 低い声だった。ケイトを見もしないで書類に目を落としたまま続けた。


「鑑定で何も読み取れない。属性反応もゼロ。二週間繰り返したが変化はない。家庭教師は『これ以上は見ても無意味だ』と言っている」


 言葉を切って、ようやくケイトに目を向けた。


「お前はどう思う?」


「……どうと言われても」


「自分のスキルが何か、わかったか?」


「いえ」


「魔力は感じるか?」


「……感じません」


「自分の体の中に、何か変化はあるか?」


「ありません」


 ダエリスは小さく息を吐いた。机に書類を置き両手を膝の上で組み直した。


「異界者の話は古くから伝わっている。だが過去の事例では誰もが何かしらを持っていた。農業の知識を持ち込んだ者、新しい計算方法を伝えた者、未知の魔法を使えた者。私が買い取った理由はお前にも何かがあると期待したからだ」


 声に温度はなかった。怒りも、苛立ちも。ただ事実を読み上げているだけの調子だった。


「だが二週間経っても何も出てこない。スキルは読めない、魔力もない。私はお前に金貨十枚払った。それに見合うものをお前は今のところ何も返していない」


「……」


「お前は自分を何者だと思っている? 元の世界では何をしていた?」


「商会に勤めていました。書類仕事と、交渉と」


「それは、この世界の何の役に立つ?」


 ケイトは答えられなかった。


「お前の前職は、この世界でもあるものだ。識字と計算ができる者は屋敷の使用人にもいる。交渉ができる者は商人にもいる。お前にしかできないことは、何だ?」


「……」


「答えられないか。では別の聞き方をしよう。お前は自分のことを、何と説明する? 私の屋敷でお前が存在する理由をお前自身の言葉で言ってみろ」


 言葉が出なかった。


 頭の中で何かが砕けるような感覚があった。


「……今すぐに、お見せできるものはありません」


 二週間前と同じ言葉だった。それしか言えなかった。


 ダエリスは数秒、ケイトを見ていた。それから視線を書類に戻した。


「下がれ。明日からは別の試験をする。学問だ。次の家庭教師が来る」


 執事が前に出てケイトを促した。


 ケイトは部屋を出る時、振り返らなかった。


---


 夜、小屋の隅にうずくまっていた。


 膝を抱えて壁に額を押し付けていた。誰にも顔を見られたくなかった。涙は出なかった。出るほどの感情も残っていなかった。ただ頭の中で何かがずっと回っていた。


「お前は自分を何者だと思っている?」


「お前にしかできないことは、何だ?」


 答えが出なかった。今もまだ、出ない。


 前の世界でも何度も似たようなことを問われた気がした。お前は何ができる、お前の価値は何だ。あの時もうまく答えられなかった。ただ黙々と自分にできることをやってきた。それで足りないと言われてきた。


 ここでも同じだった。


 藁の上で足音がした。


「……隣、いいですか?」


 顔を上げなかった。だが断れなかった。


 ネアが隣に座った。何も触れてこなかった。距離を測るように少しだけ間を空けて、ただそこにいた。


 しばらく沈黙があった。


「……何かあったんですか?」


 ネアが小さく聞いた。


 ケイトはしばらく黙っていた。それから掠れた声で答えた。


「……旦那様に呼ばれた。お前にしかできないことは何だと聞かれて、何も答えられなかった」


 ネアは何も言わなかった。少しの間があってから静かに息を吐いた。


「私も、最初は同じでした」


「役に立たないと言われて。お前は何ができるって聞かれて。何も答えられなくて」


 ケイトはまだ顔を上げなかった。


「答えなくていいんです。答えても答えなくても、向こうが決めることだから。あなたが何を答えても結果は変わらない」


「……それは、慰めなのか?」


「慰めじゃないかもしれません。でも答えを探さなくていい、ということだけは言いたかった」


 ケイトはようやく顔を上げた。ネアは膝を抱えて自分の足元を見ていた。横顔だけが薄く見えた。


「こんなに話したのは久しぶりかもしれません」


 ネアはそう言って少し息を吐いた。それは笑ったのかもしれなかった。


 ケイトは返す言葉を探したが、見つからなかった。代わりに隣にいるネアの存在だけを、しばらく感じていた。


 壁の隙間から夜の風が入ってきた。冷たくはなかった。

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