閑話4 ヴァイスと竜喰い
片手剣の刃を砥石に当てながら、ケイトは火の向こうに座るリアを見た。
リアは弓の弦を外して手入れをしている。弦を布で拭き、曲がりを確かめ、予備の弦と比べて張りを指先で弾く。この数か月で手慣れた動きになった。
「そろそろ次のことを考えておきたい」
リアの耳がこちらを向いた。手は止めない。
「どこかの町で冒険者として動きたい。場所は前に居た町からはできるだけ離れたい」
「冒険者やってたの?」
「少しだけだ。登録して間もなく——あの連中に売られた」
「……冒険者証は?」
「奴隷にされた時に取り上げられた」
リアが弦を巻き取りながら言った。
「偽名とか素性を偽って登録する人はいるみたいよ。近くの町でやればすぐバレるけど、離れた町なら確認する術がないし。逃げた奴隷とか、訳ありの冒険者はたいてい遠くの町で登録し直すって聞いたことある」
「リムガルドから離れたいから、できれば北がいいな」
リアが少し考えるように目を伏せた。
「……ノルダートって町、知ってる?」
「いや」
「北の方の交易都市。獣人差別が少なくて、人族も獣人も一緒に暮らしてるの。あたし昔行ったことがある」
「差別が少ないのは助かるな。お前は獣人だし」
「あんたにも都合がいいでしょ。色んな種族が出入りする町なら、別の種族が一緒に行動してても目立たない」
「そうだな。ノルダートにしよう」
あっさり決まった。リアが拍子抜けしたように眉を上げる。
「即決なんだ」
「条件は揃ってるし、不都合があれば移動したらいいだけだ」
『町に出るのは良いが、名前はどうするのじゃ。ケイトのままでは不都合があろう?』
「ああ。前の名前で冒険者登録したら足がつく。名前を変えたい」
「どんな名前にするの?」
ケイトは砥石の手を止めて、左手を見た。ハクが宿る手。
「……ヴァイスでいいか」
「ヴァイス?」
リアが首をかしげた。
「どういう意味?」
「俺がいた世界の言葉で白って意味だ」
リアの目がケイトの左手に移った。ハクの名前の意味を知っている。
「……白? ハクが白で、あんたもヴァイスで白?」
『我の名をそのまま借りたか。安直じゃのう』
「悪いか?」
『悪いというか、もう少しひねろうとは思わんのか。一瞬で由来がわかるぞ』
「由来が分かったところで困ることはないだろう。この世界で俺の言葉を知ってる人間はいない」
『そういう問題ではないのじゃが……』
「ひねりなさすぎじゃない?」
リアが口を挟んだ。呆れた顔をしている。
「もうちょっとこう、かっこいい名前にしないの?」
「例えば?」
「え……えっと」
リアが目を泳がせた。
「……ジーク、とか。あ、でもそれ北方の言葉で「勝利」って意味で、ちょっと大げさか。じゃあ……レイン? いや、雨って意味だから変か。えーと——」
「ヴァイスでいい」
「ちょっと! 人が考えてる途中でしょ!」
「お前のも大して変わらん」
リアが口をつぐんだ。言い返せないらしい。
『二人とも名づけの才がまるでないのう』
「あんたに言われたくないわよ!」
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「パーティー名も要るでしょ?」
リアが話を切り替えた。
「冒険者として動くなら、登録する時にパーティー名がいるはず」
「そうだな」
「竜喰いはどう?」
ケイトが少し黙った。
「あんた竜を食べたんでしょ。それで力を手に入れたんだから、そのまんまじゃん」
「竜喰い、か」
『ほう』
ハクの声の調子が変わった。
「目立つ名前じゃない? 変に絡まれたりしない?」
「目立つほうがいい。名を上げるなら覚えられやすい名前のほうが都合がいい」
『竜喰いか。竜の名を冠するパーティーなど聞いたことがないのう。物好きな連中が絡んできて、すぐに名が知れ渡りそうじゃ』
ケイトはハクの声に、いつもと違うものを聞いた。
「お前、気に入ったのか?」
『気に入ったも何も、事実じゃからのう。お主は我を喰うて力を得た。その名を冠するなら、我もパーティーの一員ということじゃな?』
左手の声がどこか嬉しそうだった。
リアがケイトを見て、小さく笑った。
「良かったじゃん、ハク」
『別に嬉しくはないぞ。事実を述べたまでじゃ』
「嬉しそうだけど」
『嬉しくない!』
「はいはい」
『……じゃが、まあ。悪くはないのう。二人揃ってネーミングの才はまるでないが、名前だけは悪くない』
「あたしも偽名がいるよね。知り合いに会うかもしれないし」
「お前は追われてないだろう?」
「素性を隠すのに本名で名乗ったら意味ないでしょ」
「それもそうか。何にする?」
リアが少し黙った。焚き火を見つめて、それから小さく言った。
「……レナ、にする」
「由来は?」
「別に。適当」
リアの声がわずかに硬い。ケイトはそれ以上聞かなかった。
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「名前が決まったのはいいけど」
リアが火に薪を足しながら続けた。
「偽名を使って別の町に行っても、顔を知ってる人に会ったら意味ないよね」
「ああ。あの連中に顔は知られている」
「あたしの幻術があるじゃない」
リアが自分の手を見た。指先に淡い光が灯る。
「顔を変えるくらいなら、ずっとかけておける。髪の色、目の色、輪郭。そのあたりを変えれば別人に見える」
「どのくらい変えられるんだ?」
「元の姿に近いほど楽で、遠いほど大変。髪や目の色を変えるくらいなら負荷はほとんどかからないかな?種族とか体格とか年齢を大きく変えるのもやれるけど、何かの拍子に解けるかもしれない」
「衝撃を受けたりしても大丈夫か?」
「軽い衝撃なら平気。でもかけ直しはあたしじゃないとできない。あんたが自分の意思で解くこともできるけど、解いたらあたしがもう一回かけるまで素顔のまま」
「維持はお前の負担になるのか?」
「魔力を少しずつ使うけど、顔を変える程度なら気にならない。種族とか体格ごと変えるなら話は別だけどね」
「なら、顔だけ変えるか。今の年齢のままで」
「もうちょっと年上に見せたほうがよくない?」
リアが首をかしげた。
「若すぎると舐められるよ。冒険者の世界って実力以外に見た目で判断されること多いし」
「今、四十を超えてるように見えるか?」
「は?」
リアの手が止まった。
「何言ってるの?」
「俺は四十代半ばだ」
一拍、間が空いた。焚き火の薪が爆ぜた。
「……嘘」
「嘘じゃない」
「嘘でしょ。どう見ても二十代じゃん。あたしと同じくらいか、ちょっと上くらいだと思ってたんだけど」
「戦闘を繰り返して強くなるにつれて、体が変わった。見た目も若くなったらしい」
「らしいって。自分の顔見てないの?」
「水に映る顔が前と違うのは気づいていた。だが、こっちの世界に来てからずっと一人だったから、他人に言われるまで実感がなかったんだ」
リアがまじまじとケイトの顔を見た。焚き火の明かりに照らされた顔は、どう見ても二十代の青年だ。
「……四十代半ば」
「ああ」
「こっちに来る前は?」
「見た目通りの四十代だった。前の町で冒険者登録した時も、奴隷だった時も。どちらも年相応に見られていたはずだ。だから年齢がばれる心配はないと思う」
「あんた、それ詐欺じゃない?」
「体が勝手にそうなったんだ。俺のせいじゃない」
リアが腕を組んだ。尻尾がぱたぱた揺れている。怒ってはいない。納得がいかないだけだ。
「……信じるけど。あたしより年上に見えないのはムカつく!」
『小娘よ。安心せい。お主はまだ若いのじゃから老いなど気にするでない』
「慰めになってない! あとまだ若いって何よ!」
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「じゃあ試しにかけてみるね」
リアが立ち上がり、ケイトの前にしゃがんだ。
「動かないで」
リアの手が光を帯びてケイトの顔の前で止まる。淡い光が顔の輪郭をなぞるように広がり、数秒で消えた。
「……こんな感じ」
リアが焚き火のそばに置いてあった水袋を取って、椀に水を注いだ。ケイトが覗き込む。
水面に映る顔は自分のものではなかった。茶色の髪に灰色の目。鼻筋が高く、顎の線がやや細い。この世界の人族の血をそのまま引いたような顔立ちになっている。
「どう? 元の顔の骨格を少し変えて、髪と目の色を変えただけ。これくらいなら負荷はほとんどないから」
「問題ない」
「問題ないって感想薄すぎない?」
「自分の顔にこだわりがないんだ」
リアが溜息をついた。
「次、あたしね」
リアが自分に幻術をかけた。数秒で顔が変わる。
髪の色が黒に近い濃い茶に変わり、耳の毛色も同じ色になる。目の色が琥珀から深い緑に。顔の印象が少し大人びて、元のリアとは別人に見えた。
「あたしはこんな感じにしようかなって。毛色と顔を変えるだけ。獣人のままで」
「ノルダートは獣人差別が少ないんだろう? なら種族を隠す必要はないか」
「うん。あたしは追われてるわけじゃないし、知り合いに会った時にバレなければいい」
ケイトが水面を覗き込むと、隣にリアの顔も映った。
二人とも元の顔より整って見えた。
『……目立ちそうじゃのう』
ハクがぼそりと呟いた。
「え?」
『元がいいのか幻術が上手いのか知らんが、二人とも妙に見映えがするのう。これでは別の意味で人目を引くぞ』
リアの頬が少し赤くなった。
「べ、別にあたしが綺麗にしたわけじゃないし。顔の造りをちょっと変えたらこうなっただけで」
「フードを被ればいい」
『……お主は本当に気にせんのう』
リアが幻術を解いた。元の顔に戻ると、不満そうにケイトを見上げる。
「あんたさ、もうちょっと自分の見た目に関心持ったら?」
「必要な時に必要な顔になれるなら、それでいいだろ」
「……あたし何であんたの偽の顔を綺麗にしちゃったんだろ」
『知らんが、才能かもしれんのう』
「ハクは黙ってて!」
名前が決まった。行き先も。顔も変わる。
明日からのことは分からない。分からないが、今夜のうちに決められることは決まった。
リアが幻術の練習を再開している。ケイトの左手からハクが何か茶々を入れて、リアが怒鳴り返す声が夜の森に響く。
いつもの夜だった。




