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傷喰いの異世界奴隷 〜痛みは俺の糧になる〜  作者: Astera
序章

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異世界転移

 最初に気づいたのは半年ほど前だった。


 朝、目が覚めると体が動かない。正確には、動かないわけじゃない。動かそうとすると、全身のあちこちが軋むように痛くて、起き上がれないのだ。


 病院には行った。血液検査も、MRIもひと通りやった。結果は「異常なし」。医者は首を傾げ、「ストレスでは」と言った。

 「ストレス…その一言で片付けるな」と思ったが、言い返す気力もなかった。


 気力も、体力も、とっくに底をついていた。


---


 水瀬 圭人(みなせ けいと)、四十一歳。独身。


 中堅どころの商社でチームリーダーをやっている。やっているというより、やらされている、の方が近い。


 俺が入社した頃は、怒号が飛ぶのは当たり前だった。誰も教育をしてくれず上司に怒鳴られながら仕事を覚えた。失敗しながら自分で身につけるのが当たり前の世の中だった。

 残業は美徳で、終電を逃したら会社のソファで寝た。文句を言える空気じゃなかったし、そもそも文句を言う余裕もなかった。


 それが今はどうだ。


 怒号はなくなった。それはいい。だが若手は定時になると当然のように席を立つ。指摘したくても、そういう時代じゃないと上からも釘を刺される。


 一番の問題は、その分の仕事が全部こっちに回って来ることだ。


  「水瀬さん、どうしたら良いか説明してくれますか?」「この仕事、代わりにお願いできますか?」


 上司の意味をわかって言っているのか。わかってて言っているのだろう。上の人間に言わせれば、それをうまく捌くのがリーダーの仕事らしい。


 上は成果を求める。若手には強く言わない。板挟みで潰れていくのは、いつだって俺みたいな中間だ。


 慕ってくれる部下も何人かいる。そいつらはよく動いてくれる。でも彼らも限界に近いのはわかってる。俺のキャパオーバーを、これ以上押し付けるわけにはいかない。


 去年、唯一の逃げ場だった先輩が退職した。


 田中さんという人で、この会社で俺が唯一まともに話せた人間だった。「お前は真面目すぎる。もう少し手を抜くことを覚えろ」といつも言っていた。


 その田中さんも会社に嫌気がさして地元に帰った。


 引き止める言葉が出なかった。正直、羨ましかった。


---


 三十のときに結婚した。


 近所のバーのマスターに紹介された女性で、笑顔が柔らかくて、最初は本当にいい人だと思っていた。


 結婚して四年後、離婚を突き付けられた。


 薄々感づいていたが理由を聞いても要領を得ない。

 紹介してくれたバーのマスターや共通の知人に相談した。そこで初めて知ったのだが、交際前から他の男性と金銭で揉めていた過去があるらしい。

 

 離婚に関しても周囲に根回しをしていたようで、考えなおすように言ってくれた知人もいたようだが、聞く耳を持たず謝られた。


 向こうは弁護士を立ててきた。身に覚えのないDVを主張された。証拠として出てきた写真や証言は明らかに作り話。いきなり怒ったり、泣いたり、物を投げてきたり。

 離婚を突き付けられる前から精神的に不安定だと思っていたが、証拠集めをしていたのだと思ったら反論する気力も失せた。精神的に消耗するだけなので最終的に金を払って終わらせた。


 それ以来、人を信じるのが怖くなった。


 表面上は仲良くしていても、心のどこかで距離を置くようになっていた。


---


 そして今日。


 さっきからアラームが鳴り続けているが、体が動かない。


 (またか)


 ここ数ヶ月、起きようと思っても起きれない。全身が鉛みたいに重く、体中に痛みを感じる。急な欠勤や遅刻が増えて、チームの空気が悪くなっているのはわかっていた。わかっていてもどうにもできない。


 (行かないと)


 それだけを考えて、歯を食いしばり起き上がった。


 マンションを出ると、冬の朝の空気が肺に刺さった。十二月だった。駅まで十分ほどの道を俺はいつもより時間をかけ歩いた。


 (本当にどうしちまったんだろうな)


 駅のホームに上がるための階段を上っていると、胸の奥が強く締め付けられた。


 (痛い)


 膝が折れアスファルトに手をついた。周囲の音が急速に遠ざかっていく。


 誰かが駆け寄って声をかけているが、言葉が聞き取れない。


 (まあ、いいか)


 最後に浮かんだのが、その言葉だった。抵抗する気力も、未練を引っ張り出す気力も、もうなかった。


 四十一年間の総括が「まあ、いいか」だというのは、我ながら情けなかった。でも、それが正直なところだった。


 意識が、落ちた。


---


 鳥の声がした。


 それが最初に気づいたことだった。


 目を開けると、木の葉の隙間から空が見えた。青い。やたらと濃い青だ。


 (……どこだここ?)


 体を起こそうとして、手に触れたのが土だった。


 草と土の匂いがした。どこかで虫が鳴いていた。


 「……は?」


 思わず声が出た。


 周囲を見回す。木々が立ち並ぶ薄暗い林だ。病院でも横断歩道でもない。ワンルームの自室でもない。


 俺はいま、林の中に横になっていた。


 (なんだ、これは)


 立ち上がろうとしたが身体がだるい。


 毎朝あった、あの重さだ。


 (俺は死んだんじゃないのか?)


 横断歩道で膝をついて、そのまま意識を手放した。あれは心臓だと思う。締め付けられる感じ、急速に遠ざかっていく音。まあ、いいか、と思った。あれが走馬灯というやつか何かかと思ったが、どうやら違ったらしい。


 手を握ってみる。力が入る。土の感触がある。


 (生きてる……のか?)


 意味がわからなかった。


 とりあえず周囲を確認しようと、木々の薄い方へ歩いた。林を抜けると視界が開け、遠くまで見渡せた。


 どこまでも草原が広がっていた。遠くに山がある。そして――


 (……町か?)


 地平線の手前に、建物の群れが見えた。距離があるのでよく見えないが、煙が細く上がっている。


 ただ、何かがおかしかった。


 目を細めて、もう一度見る。


 町を囲うように、高い壁がある。石造りの分厚そうな壁だ。


 (城壁……?)


 日本の町に城壁はない。観光地でもない限り、あんなものはない。ヨーロッパの古い都市みたいな造りだ。


 (どこだ、ここは)


 頭の中で、いくつかの可能性を並べてみた。どれもしっくりこない。夢にしては妙にリアルだが、記憶がない間にどこかへ運ばれたにしては、場所が非現実的すぎる。


 答えは出なかった。


 (まあ、考えてても仕方ない。とりあえず、あの町を目指すか)


 誰に言うでもなく、水瀬圭人は見知らぬ城壁の町へと歩いていった。

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