13 困った上司
マリアがギルバートの部屋に入ったとき、彼女はひどく思い詰めた表情をしていた。しかし退室するときには、すっかりいつもの明るい表情を取り戻していた。
セバスが水差しとグラスを手にギルバートの部屋に戻ると、ギルバートはソファーに凭れかかるようにぐったりと座っていた。
ギルバートはセバスから冷水を受けとり、それを一気に飲み干して、困ったような笑顔を浮かべる。
「マリアが例の話を知っていて驚いたよ」
セバスには心当たりがあった。ドリーとの会話をエドに聞かれたことだ。ふたりはすぐに口止めをしたが、マリアのことになると見境がなくなる息子が、約束を守るとは到底思えない。
「……昼間、私と妻の会話を愚息に聞かれてしまいました……。おそらくそのままお嬢様にお話したのだと思います。あの通り、直情径行なところがありますから……。申し訳ございませんでした」
そう言って、セバスは深々と頭を下げた。
「いや、いいんだ。頭を上げてくれ。私もマリアには一度、結婚について話しておきたいと考えていたんだ。ただ、あの子に目をつけたのが、変態上司のクルーガー侯爵だったのが厄介だと思ってね……。あぁ1年前のあの日、彼にマリアを見られてしまったことが悔やまれるよ……」
在りし日を思い出すように、ギルバートは手で視界を覆った。セバスは、聞きなれない主の暴言に目を丸くしていた。
「彼は由緒ある家柄で身元もしっかりしている、顔も良い、仕事もできるし、金もある。年齢が離れすぎている気もするが、世間的には許容範囲だろう」
そこまで言ってギルバートは嘆息した。
「でも彼は息を吸うように、女性を口説くんだ。今も恋人が大勢いて、それを悪いとも思っていない。むしろ大勢の女性を幸せにしてやっている、と考えているのだからね。もはや人格が破綻しているとしか思えない……。それさえなければ、本当にいい男なんだが……」
アストリア王国は、国王を除いて、一夫多妻制は認められていない。愛人を囲っている貴族もいるが、そこは隠れてやるのが普通である。貞操を守る義務が法律で定められているからだ。
しかし、侯爵は常に堂々と複数の恋人たちを侍らせていた。独身であれば許されるという理論だろうが、今も昔も亡き妻一筋のギルバートからすれば、女性を軽視するその姿勢はあり得ない。
「ギルバート様は、とんでもない上司をもったものですね……」
悩むギルバートを見て、セバスは侯爵に直接嫌みのひとつでも言いたい気分だった。ギルバートも、今回の話を断ると仕事がやりにくくなるのは覚悟している。
「ただ、なんだか今回のあの人の様子は……なんだかいつもとずいぶん違うような気もしたな……」
ふと、ギルバートは侯爵の真剣な瞳を思い出して呟いた。
「もしかして、本気……なのか……?」
しかしギルバートは気を取り直して「ともかくだ! あんな男にマリアは絶対にやらんぞ!」と鼻息荒く叫んだ。




