表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
汚いのは嫌なので、魔王も呪いもまとめて除菌します。〜潔癖鑑定士の異世界お掃除無双〜  作者: 六井求真


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

45/47

第45話:聖域から漂う、饐えた善意の腐敗臭

"おえっ……げほっ、ごほっ!"

俺、アレンは、王都のメインストリートの真ん中で猛烈な嘔吐感に襲われ、膝をついた。 喉の奥からせり上がる酸っぱい液体を、必死の思いで飲み下す。 視界が、ぐにゃりと歪んだ。 脳が、本能が、そして俺の魂の根幹にある潔癖症という名の"安全装置"が、大音量の警報を鳴らし続けている。

つい数時間前、俺はこの国の魔法回路をデフラグし、ゴミ一つない純白のシステムへと書き換えたはずだった。 空気は澄み渡り、魔力の淀みは消え、世界は石鹸の香りに包まれていた。 だが。 今、俺の鼻腔を突き刺しているのは、そんな清涼感を一瞬で無に帰す、最悪の"異臭"だった。

それは、魔法回路の焦げた臭いでも、下水の悪臭でもない。 もっと粘り気があり、もっと執拗に神経を逆撫でする、甘ったるい死臭。 例えるなら、真夏の炎天下に放置された生ゴミの山に、最高級の香水をこれでもかとぶっかけ、さらにその上から糖蜜を塗りたくって一週間発酵させたような、吐き気を催す"善意の煮凝り"の臭いだ。

「……なんだ。なんなんだ、この、生理的に受け付けない不快感は。空気が……空気が情報の膿でベタついている」

俺は震える手で鼻を覆ったが、無駄だった。 その臭いは物理的な粒子ではなく、"概念的な汚染"として、俺の脳に直接、真っ黒なカビの胞子を植え付けてくる。

「アレン様! いかがなさいましたの!? まさか、あまりの清々しさに、ご自身の美しさが耐えきれなくなってしまったのですか!?」

隣で、ティアナが能天気な声を上げる。 清々しい? 俺は、震える指で王都の中央にそびえ立つ"大聖堂"を指差した。

「……ティアナ、お前、あれが見えないのか? あの、白亜の建物の隙間から、ドロドロとした黒い粘液が溢れ出しているのが。あの、空を不透明に染めている、情報の黒カビが見えないのか!?」

「! 黒カビ……? まあ! さすがアレン様! 私のような凡庸な目には、ただの神々しい後光にしか見えない聖堂の輝きを、すでに"不潔なノイズ"として捉えていらっしゃるのですね!?」

「違う! 後光じゃない、あれは発酵したメタンガスだ! 逃げるぞ、ティアナ! 今すぐここを離れないと、俺の脳内メモリが修復不可能なレベルで汚染される!」

俺は踵を返し、全力で走り出そうとした。 だが。 それよりも早く、俺の腕を強靭な力……もとい、狂信的な力で掴む者がいた。

「! 逃がしませんわ、アレン様!! アレン様がこれほどまでに激しい拒絶を示されるということは、あの中に、この世界で最も"不浄なバグ"が潜んでいるという証! これを見過ごすことは、アレン様の信徒として、そして掃除の申し子として許されませんわ!! さあ、参りましょう! 聖なる滅菌の旅路へ!!」

「やめろ! 放せ! 俺は掃除屋じゃない、ただの潔癖症なんだ! 頼むからあの情報のゴミ捨て場に近寄らせないでくれぇぇぇ!!」

俺の絶叫は、ティアナの歓喜の叫びにかき消された。 ずるずると引きずられ、俺は王都で最も神聖とされ、そして俺にとって最も不衛生な地獄……大聖堂へと連行されていった。

大聖堂の重厚な扉が開かれた瞬間、俺は確信した。 ここは、聖域などではない。 数千年の間、一度もガベージコレクション(ゴミ拾い)が行われなかった、"情報の産業廃棄物処理場"だ。

正面の祭壇に、一人の女性が立っていた。 この国の人々が慈悲の母と仰ぐ聖女、セラフィナ。 純白の法衣を纏い、慈愛に満ちた微笑みを浮かべる彼女の背後には、神々しい後光が差している。

だが、俺の【極清鑑定】は、その微笑みの裏側にある絶望的な不潔さを、容赦なく暴き立てた。

【極清鑑定:深層リソーススキャン・オーバードライブ】

網膜が、焼けるような赤黒いログで埋め尽くされる。

【警告:観測史上最大級のデータの不整合コラプションを検知】 【対象:聖女セラフィナ(個体名:情報のゴミ箱)】 【状態:重度汚染・構造的腐敗・暗号化された負の遺産の集積体】 【詳細解析ログ:】 1.【負のキャッシュの蓄積:過去15年間、彼女が行った「癒やし」の正体は、患者の苦痛を消去することではなく、自身の内側にある「隔離ディレクトリ」への一時的な移動バッファリングであると判明。現在、その容量は99.9%を超過。内側で数万人の病魔と悪意が、未圧縮のまま腐敗し、情報の黒カビを発生させています】 2.【デッドロックした感情:自身の苦痛を「自己犠牲」という名の低質なパッチで強引に隠蔽。結果として論理回路が完全に破綻しており、微笑みの裏では絶え間ないエラーコードが悲鳴を上げています】 3.【情報の不法投棄:彼女が放つ「聖気」の正体は、内側で収まりきらなくなった負のデータが、発酵して漏れ出した有毒な蒸気です。周囲の信者は、この毒素を浴びてトランス状態に陥っているに過ぎません】 【結論:彼女は聖女ではありません。人間の形をした、情報のブラックボックス……いいえ、ただの『腐った善意の煮凝り』です。即時のフォーマット、および周辺3キロメートルの強制滅菌を推奨します】

「……おえっ。ひどすぎる。これは、魔法ですらない」

俺は、聖女セラフィナを指差し、絞り出すような声で言い放った。

「……おい、聖女。お前、自分の内側が黒カビの胞子で真っ黒なことに気づいていないのか? 癒やし? 救済? 冗談を言うな。お前がやっているのは、掃除をサボってゴミを全部クローゼットに押し込み、その上から綺麗な布を被せて『片付いた』と言い張っているだけの、悪質な隠蔽工作だぞ」

聖堂内に、凍りつくような沈黙が流れた。 信者たちが、信じられないものを見る目で俺を睨みつける。 聖女セラフィナも、その美しい微笑みを凍りつかせ、震える声で返した。

「……何を、おっしゃるのですか? 私は、苦しむ人々の痛みを受け入れ、代わって神に祈りを……」

「祈り? 笑わせるな。お前が神に送っているのは、ただの『未処理エラーの転送申請』だろうが。しかも、その申請はすべて拒否リジェクトされている。神もお前の不衛生さには愛想を尽かしているんだよ。その証拠に、お前の内側にある『負のキャッシュ』は、今この瞬間も腐敗して、饐えた臭いを撒き散らしているぞ。鼻が曲がるんだよ、この情報の不法投棄女が」

俺の言葉は、冷徹なナイフとなって、聖女の張り付いた微笑みを切り裂いた。 彼女の背後に見える「後光」が、俺の指摘と同時に、どす黒い霧へと変色していく。

「……っ。ああ……あああああ!!」

聖女が頭を抱えて崩れ落ちた。 彼女が耐えきれず漏らした吐息からは、実際に黒い煤のような魔力の塵が舞い、周囲の石床を瞬時に腐食させていく。 隠蔽されていた「汚れ」が、アレンの指摘という名のスキャンによって、ついに表面化し始めたのだ。

「……汚ねえな、本当に。もういい、俺が全部まとめてガベージコレクションしてやる。世界のメモリを、お前のような不良セクタで汚させておくわけにはいかないんだよ」

俺は、一歩を踏み出した。 手に持つのは、研磨剤ではない。 世界のOSそのものに介入し、不正なデータを根こそぎ消去する"強制フォーマット"の波動。

「リビルド・シーケンス、開始。ターゲット:黒カビ聖女。全データの完全抹消ワイプ、および初期状態へのリセットを実行する」

俺が聖女の肩に手を置いた瞬間、世界から音が消えた。

"ゴォォォォォォォォォ!!"

聖女の体から、噴水のように真っ黒な情報の膿が溢れ出した。 それは、彼女が十数年かけて溜め込んできた、数万人の呪い、病魔、嫉妬、憎悪の残滓。 それらが、整理されないスパゲッティコードとなって、彼女の肉体と精神を蝕んでいたのだ。

「……うわっ、粘り気がすごいな。デッドロックした感情が、術式の隙間に詰まって絶縁破壊を起こしている。一本ずつ抜き取るのも面倒だ。全領域、一括削除デリート

俺は、彼女の内側にある「腐ったコード」を、一本ずつ、論理的な正確さを持って引き抜いていく。 それは魔法による治療などという生易しいものではない。 癌細胞を、周辺組織ごと高熱のレーザーで焼き払うような、冷酷な情報の切除。

黒い膿が、俺の純白の魔力に触れた瞬間に、パチパチと音を立てて消滅していく。 そのたびに、聖女は「あ……あぁ……っ!」と、苦痛と快楽が混ざり合ったような悲鳴を上げた。 不潔な情報の重圧から、十数年ぶりに解放されていく。 だが、それは同時に、彼女がアイデンティティとしていた「聖女としての偽りの力」を、一ミクロンも残さず消し去ることを意味していた。

「……よし、これで中枢回路のデフラグは完了だ。次は、深層メモリのクリーニング。過去の『負の遺産』を、一括フォーマットする」

俺の指先が、彼女の胸元に刻まれた「聖痕」に触れる。 人々が尊い犠牲の証と崇めていたそれは、今や、真っ黒な黒カビの巣床として脈動していた。

「……こんな汚いパッチ、二度と当てるなよ。バイナリレベルで、抹消だ」

"パリンッ!"

聖痕が、ガラスのように砕け散った。 そこから溢れ出した黒い煙を、俺は逃がさない。 すべてを俺の浄化光で包み込み、物質的な塵にすら戻さず、情報の虚無へと還していく。

聖堂内の空気が、急激に変わり始めた。 どんよりと重く、湿っていた空間が、一気に「乾燥した純白」へと塗り替えられていく。 壁にこびりついていた目に見えない情報の垢が、剥がれ落ち、蒸発していく。 聖女の肌も、どす黒い淀みが消え、生まれたての赤ん坊のような、一点の曇りもない透明感を取り戻していく。

「……ふぅ。ようやく、石鹸の匂いがするようになったな」

俺は手を離し、大きく息を吐いた。 目の前には、聖女としての力を失い、ただの、しかし最高に清潔な一人の女性……セラフィナが座り込んでいた。 彼女を覆っていた「善意の煮凝り」は、今や一滴も残っていない。

そして。 その光景を見た瞬間、聖堂内は、かつてない狂騒に包まれた。

「!! アレン様ぁぁぁーーーーっ!!!」

鼓膜を突き破るような絶叫。 ティアナが、顔を涙と鼻水、そしてあまりの感動による興奮でぐちゃぐちゃに濡らし、俺の足元にスライディング五体投地を決めた。

「あああああ! なんという! なんという慈悲深き光景でしょうか! 私は今、神が世界を創りたもうたその瞬間に、さらにその上からアルコール消毒をぶっかけたような、究極の『聖浄』の瞬間に立ち会っている気分ですわ!! 100京回死んでも足りない! いえ、100京回死んで、その骨の髄までアレン様の冷徹な論理で磨き上げられ、宇宙の塵となって消え去りたいほどの感動が、今、私の魂を粉砕し、再構築し、さらにワックスをかけて仕上げられましたわ!!」

彼女は、床に額を擦りつけ、全身を激しく震わせながら、狂信的な絶叫を続ける。

「! 見てください、皆様! アレン様は今、この世界で最も不潔な『聖女』という名のゴミ箱を、たった一振りの手で『工場出荷状態』へとリセットなさいました!! それはつまり、我々が後生大事に守ってきた『自己犠牲』だの『慈愛』だのといった甘っちょろい概念など、アレン様の前では"未洗浄の便槽に浮かぶウジ虫の独り言"に過ぎないという真理の証明! ああ、なんという潔癖! なんという神聖! 私たちが『救い』と呼んでありがたがっていたものは、アレン様から見れば『情報のパンデミック』でしかなかったのですわ!!」

ティアナの瞳からは、もはや血の涙が出るのではないかと思わせるほどの熱狂が溢れ出していた。 彼女は、アレンが「ただ不潔なデータを消しただけ」だと言っても、全く聞く耳を持たない。 それどころか、彼女の中ではその「冷酷な全消去」こそが、人類が到達しうる究極の救済として、新たな聖典へと書き換えられていた。

「! 見てください、あのセラフィナの姿を! 彼女は今、不潔な神の力を剥ぎ取られ、アレン様の手によって"完全なる無菌状態の人間"へと転生させられたのです! これこそが真の解脱! これこそが真のデフラグ!! 過去の汚れをすべてフォーマットし、真っ白な虚無をインストールしてくださった! この奇跡を前にして、跪かない者がいるでしょうか!? いえ、いませんわ!! もし跪かない不届き者がいるならば、その魂のディレクトリごと私が物理的に抹消して差し上げますわぁぁぁ!!」

ティアナの絶叫は、聖堂を揺らし、外にいた群衆までもを震撼させた。 信者たちは、最初こそ怒りに震えていたが、アレンが磨き上げた「圧倒的な透明度」の空間、そして何よりも、毒素が抜けて真に清らかな顔立ちとなったセラフィナの姿を見て、次々と膝をついていった。

「奇跡だ……! これこそが、真の浄化……!」 「我々は、偽りの光に惑わされていたのだ……! アレン様こそが、真の滅菌の神……!」

王都の民衆が、聖堂を埋め尽くすほどの勢いで祈りを捧げ始める。 彼らにとって、アレンの「情報の掃除」は、もはや人知を超えた神話の一節となっていた。

「アレン様!! あなた様は、全人類の脳内メモリをスキャンし、不潔な過去をすべてガベージコレクションしてくださる救世主! あなた様が通った後の世界は、塵一つ、バグ一つ許されない絶対的な『聖域』へと進化するのですわ!! さあ! さあアレン様! 次はこの私の魂を、その冷徹なコマンドラインで徹底的にリファクタリングしてくださいまし! 私の羞恥心という名のキャッシュを全消去して、アレン様のシステムの一部として永住させてくださいませぇぇぇ!!」

ティアナの狂気的な叫びは、夜が明けるまで続いた。 アレンがいくら「ただ掃除をしただけだ」と言っても、彼女はその言葉を「全宇宙の不浄を断罪する宣戦布告」として勝手に翻訳し、周囲に布教し続けていた。

「……いや、本当にただの、情報の整理整頓なんだがな」

俺の呟きは、ティアナの熱狂と、民衆の歓喜の声にかき消された。 大聖堂は、かつてないほどの清潔さに包まれていた。 黒カビは消え、情報の腐敗臭も消え、そこにはただ、冷たくて心地よい「無菌の風」が吹き抜けていた。

だが。 そんな爽快感に浸っていた俺の鼻を、再び「ありえないほどの不浄」が掠めた。

「……っ。なんだ、今の臭いは」

せっかく消毒し、リセットしたばかりのこの空間に、泥靴で踏みにじるような。 今までの「黒カビ」など生易しいと思わせる、世界の根理ルートを腐らせるような、救いようのない絶望的な死臭。

それは、特定の個人から漂うものではない。 地平線の彼方。 この世界の「最果て」にあるとされる、魔の領域から漂ってくる、究極のバグ。

「……魔王、か」

俺の【極清鑑定】が、かつてないほど激しく赤色に点灯する。 そこから漂ってくるのは、"世界の全データを腐らせ、溶解させ、不潔なカオスへと変えようとする、根源的なノイズ"。

「……汚ねえな。世界そのものが、巨大な生ゴミの山になろうとしているじゃないか」

俺は、一歩を踏み出した。 次の掃除場所は、決まった。 この世界の全てのバグを消し去り、魔王という名の「究極の汚物」を根こそぎ除菌してやる。

アレンの戦いは、終わらない。 この宇宙が、完璧な「工場出荷状態」に戻るその日まで。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ