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謀議

 十二月中旬の裏菊会の定例会が開かれた。漸号作戦の戦況は依然として好転せず、自然と、漸号作戦の話になるのは当然であった。


「漸号作戦の状況は日に日に悪くなっている」


 そう切り出したのは参謀本部作戦課の伊東中佐であった。


「三十個師団六十万の将兵を投入してやっと得たのが高々五キロメートルの前進だ。既に死傷者は十五万に達するという報告もある。遥かなるかな麗しの大都、一向に我が帝国の手が届きそうにない」


 伊東中佐は目に見えて落ち着きを失っていた。仕方がないことなのであろう。損害の割に、戦果が圧倒的に少なすぎる。


「作戦課長や第一部長はなんと?」


 陸軍省軍務局の田代中佐が尋ねる。


「課長が言うにはこの会戦は消耗戦である、だそうだ。出血に耐えかねた方が負けるという話らしい。どうしても作戦を続行させたいがための方便だな」

「それなら我々が負けるな」


 ぼそっと呟いたのは参謀本部戦争指導班の三上中佐であった。


 負ける、という言葉に対して、若い将校はびくっと肩を震わせたものの、佐官以上の者は泰然として受け入れた。彼らからすれば、元々計画段階で見込みが薄い作戦であって、むしろ今まで続行している方がおかしいのである。


「問題なのは将兵の浪費だけではない。物資の浪費も問題だ。生産力の強化も全く足りないし、それ以上に輸送力において帝国は限界を迎えつつある。大規模作戦を続行する余裕はもうないのだ」


 三上中佐は落ち着いて指摘する。


「それも海軍が無能者ぞろいだからです」


 陸軍省兵器局の真鍋大尉の主張を、他の列席者は冷然と受け止めた。

 現在問題となっているのが海上輸送であって、それを管轄するのは海軍である。その意味で真鍋大尉の指摘は的外れというわけではないのだが、それを指摘したところで何ら事態は好転しない。


「……帝都駐留の下士官兵たちの暮らしが三か月前と比べて明らかに質が落ちています。帝都の民需物資が明らかに足りない。これは民衆の動揺を誘います」


 里緒の静かな発言に、反駁する者もあった。


「国が戦争しているのだぞ、耐え忍ぶのが国民の役目ではないか!」


「数か月の戦争であればそれで良いでしょう。しかし、三か月かけて大都一つ奪えない戦争では耐え忍ぶにも限度があります」


 裏菊会における里緒の立場は特殊である。他の参加者は陸軍省・参謀本部に勤務する将校であるのに、彼女だけ隊付き将校なのである。それだけに、彼女の視点は他の者よりも一段低いところがあった。


「……とにかく、漸号作戦はそろそろ中止されてしかるべきだ」


 田代中佐はため息をつきながら、絞り出すように言う。


「しかし、参謀次長が未だに作戦への支持を明確にしている、どうする?」


 三上中佐の問いに、ふぅむ、と田代中佐は黙ってしまった。


「……次長更迭をすればよろしいでしょう」


 真琴の発言に、場内の空気が硬化した。

 次長更迭、それは裏菊会の悲願であると同時に、現実味の低いものであった。次長更迭は参謀総長の権限でできるが、気に入らない程度で更迭できる役職ではないのである。実際問題として、参謀総長によって更迭された参謀次長は陸軍建軍以来存在しない。よしんば更迭に成功したところで、後任者を陸軍大臣がくれるかというと、絶望的である。


「次長更迭をした後、後任者はどうする」


 田代中佐の言葉に対し、真琴は一つ頷く。


「これは私見ですが、総長宮殿下が次長の業務を担えばよろしい。もともと総長と次長の職権など明確には分離していません。さらに、総長宮殿下は上げられている全ての案件を把握なさっています。次長決裁の案件などほとんど存在していません。形式的にとはいえほぼ全て総長宮殿下が決裁しています。であれば、次長など必要ありますまい?」


 真琴は内心冷や汗をかいていた。


 次長更迭というのはおおごとである。真琴からすれば、音羽は次長更迭をしたがっているのは自明であるのに、それをうかうかと言明さえできないのである。一つには、電撃的に解任しなければ荒谷陸軍大臣の介入を招くことが予想されるせいであった。

 また、次長更迭後に後任者を得られる算段は低い。真崎次長の盟友、荒谷大臣がそのような人事を肯定するとは思えないからである。従って、次長更迭の際に問題になるのはこの空位になる次長の座をどうするか、ということであった。

 真琴の見立てでは、参謀次長に頭を悩ませなくて良くなるだけ音羽の負担は減るはずだった。真崎次長が担っている様々な企画の仕事の一部は音羽に回るだろうし、残りは各部長以下職員に回っていくであろう。そして、真崎次長という求心力のある指導者を失った参謀本部の各部課長は必然的に裏菊会に所属しているような中堅・若手将校に頼らざるを得なくなる。

 これは結城真琴大尉の一世一代の賭けである。真崎次長を追い出し、音羽が指導力を発揮できるような参謀本部を作ることで、彼女に気持ち良く仕事をしてもらう必要があった。


 そうでなければ、音羽の精神が壊れてしまう。


「……しかし、次長更迭などどうやるのか。真崎中将は絶対辞任しないぞ」


 次長直属の戦争指導班の班長である三上中佐は憂慮を示した。


「辞任して頂く必要はありません。総長宮殿下が次長を追い出せばよろしい。その名分は現在立っています。すなわち漸号作戦」


 漸号作戦は惨憺たる状態であり、本来は作戦の中止が言われても良いはずだった。それでも未だに続行されているのはひとえに真崎次長が大都をあきらめていないからである。


「殿下が次長に作戦中止を命令すればよろしい。それで、真崎次長が拒否すればその場で解任するわけです。総長は次長を解任できるが次長は、そして大臣さえも、殿下を解任することはできません。そして、殿下以外に参謀総長に就任するような皇族の方はいらっしゃらない。従って、皇帝陛下も殿下を解任することはできませんし、そもそもしようとも思わないでしょう」

「……しかし、何人が殿下を説得するのだ」


 田代中佐がうめくように言った。


「結城大尉が言ったようなことは私も考えた。しかし、最後の殿下の説得のところでこの考えを放棄せざるを得ないのだ。殿下は常に陸軍の慣習を重視してきた。差し戻した案件を常に無条件で通しているところからそれは明白だ。そのような殿下に、帝国陸軍建軍以来事例がないことをどのように勧めるというのだ。それに、殿下に責任を負わせるようなことは本来よろしくない。殿下のお立場を悪くすると共に皇族の権威に傷がつくかもしれないのだ」

「説得は私がやります。それに、先の帷幄上奏の例からも分かるように、殿下は必ずしも慣習を重視しているわけではありません。そしてなにより、殿下は帝国陸軍全軍に責任を負っておいでです。次長が軍を害しているのであれば、彼を排除しないことがむしろ無責任として殿下の権威を傷つけることになります」


 次長更迭の後に音羽が指導力を発揮するためには裏菊会に所属する将校たちの合意を得ておく必要があった。音羽と彼らの連携を図ることで、彼らは総長という権威を、音羽は優秀で忠実な部下を手に入れることができるのである。


「大尉の意見に賛成します」


 真っ先に支持を表明したのは里緒だった。あるいは、彼女も音羽の現状についてうすうす気づいているのかもしれない。


「次長更迭の良い機会です。今を好機と言わずにいつを言うのですか」


 里緒の言葉に、並居る将校は瞠目した。


 重苦しい沈黙が幕を下ろした。次長更迭を音羽に勧めれば、もう後戻りはできない。総長派と次長派の対立は決定的なものになるだろう。総長宮か真崎次長、そのどちらかの辞職は避けられない。


「……多賀谷大尉の言うことも尤もだ」


 初めて口を開いたのは伊東中佐だった。


「我々は覚悟を決める時が来たのかもしれん。それが漸号作戦中止のための唯一の方策であるのであればな」



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