決心
漸号作戦の戦況は、帝都から聞く限り、日に日に悪化しているようだった。音羽自身は帝都から動かなかったものの、参謀本部の職員が、次長の真崎中将も含めて現地視察を頻繁に行い、時に新たな作戦案を授けたりしていたようだが、打開の兆しは一向に見えない。
音羽が日に日にいらいらしているのを、真琴は肌で感じていた。毎日のように漸号作戦の損害の報告が届き、それはどんどん積み上がっていくのだ。
「……実はあまり眠れてないの」
十二月に入り、雪が舞い始めてきた中で、ぽつりと音羽は口にした。
激務ゆえに眠れていないのか、と真琴は思ったが、口調からして少し違う気がした。
「無為に積み上がっていく死体がね、怖いのかな。毎晩毎晩恨み事が聞こえるきがするんだよね」
「おとちゃん……」
真崎次長ら漸号作戦推進派に聞かせてやりたい言葉であるが、彼らはそれに対して休養ないし辞職を勧めてくるだろう。
あくまでも戦争という営為を是認した上での議論であるが、確かに軍幹部というのは時に大量の出血に耐えられるだけの一種の図太さが必要なのだろう。それをおちおち気に病んでいれば、彼らの精神は崩壊してしまう。そして、それは戦争遂行に対して大きなマイナスになるだろう。
とはいえ、真琴からすると、前線の犠牲に無頓着であられても困るのだ。
「……まこちゃんが参謀本部に来る前にね、前線を視察したことがあるの。たまたま体中に穴が開いた敵兵の死体を見ちゃってねぇ――吐きそうだった」
音羽は力なく笑う。
「しばらく夢に出たよ、敵も味方も。いや、今でもたまに夢見るのかな、それが最近だと毎日」
「……疲れてるんだよ、おとちゃんは。一週間くらい休めればきっと大丈夫」
「私が一週間参謀本部を離れたらその間に多分追加で十個師団増派されてそう」
音羽の力ない笑顔に、真琴は何も言い返せなかった。
音羽という人物は、真琴からすれば、良くも悪くも肝が据わっている人物だと思っていた。自分の、下手すれば祖父のような年齢の部下を相手に、自分の意見を主張し、抵抗し、できるだけ彼女の意思を通そうとしてきたのだから。けれど、彼女の心の中には、柔らかい部分が隠されていることを、真琴は知ったのである。
少し、安心する思いもあった。音羽はあくまでも自分の幼馴染みで同い年の女の子なんだということを再確認できたからだ。
「まぁ単なる神経衰弱よ。その内どうにかなる」
「でも取り敢えず睡眠は大切だよ。睡眠薬みたいなのを処方してもらえば?」
「……もうとっくに試してる。最近だともう効かないわ」
相当長期間睡眠薬を服用していたらしいことを真琴は初めて知った。というよりも、音羽以外のほとんどの者が知らないことだろう。軍のトップが睡眠薬を常習しているというのは危険な兆候だ。それが漏れれば士気も動揺する。
本当は真琴にも隠しておきたかったのだろう。けれど、疲労と睡眠不足、そして何よりも真琴への信頼感や安心感がその制限を取り払ってしまったのだ。
「おとちゃん」
真琴は胸の内に一つの決意を秘めて語りかける。
「なに?」
「作戦中止のための行動を取ることの許可を」
音羽は目を瞠ったが、やがて少しだけ首を横に振った。
「駄目。まこちゃんが危険すぎる」
言外に、作戦中止には反対しないことを、音羽はにじませていた。
真琴は暗い決意を胸に宿した。