01
「星、起きな」
急に無視し続けたらどうなるのだろうという気持ちになった。
意地悪がしたいわけじゃないけど、気になってしまったから仕方がない。
「起きろ!」
「ぎゃあ!?」
でも、父よりも男の人らしい母相手にするべきではなかったと後悔した。
「あ、あと一ターンぐらいは頑張ろうとするところじゃない?」
「なに言ってんの、早くしないと遅れるよ」
「またまたーどうせまだ――あれ、もしかしてもう四十分?」
「そうだよ」
「やばいっ、もういかなきゃ!」
高校に入学してから最低でもニ十分ぐらいは登校時間がかかってしまうからこれは危険だった。
ただ、急いでいるとろくなことがないから一つ深呼吸をして切り替える。
冷静でいつつ走ることが大事だ。
「そうだ、夏なのも……」
朝から汗だくになるってそれってどうなん?
制汗シートなんかはいつも鞄に入れてあるけど、汗と合わさって臭いとか言われたら心が終わる。
だけど、のんびりと歩いていられるような余裕がないのも確かで、結局そのまま走り続けるしかなかった。
「はぁ……はぁ……なんとか十分ぐらいは余裕ができたか」
自己ルールに縛られてしまっているだけとも言えた。
少し遅いだけでクラスが賑やかになるから私としては少し微妙だなと。
朝は回避できても午前中や放課後までの午後の時間はいつもこんな感じだからあまり意味がないのは分かっている。
それでも、私にとっては大事なのだ。
「汗がすごいな」
「ちょ、いまは近づかないでもらいたい」
「夏に汗をかくなんて普通だろ」
世良壮也君だ。
結構大袈裟なところがある私に対して彼はいつもクールな感じだった。
だからといって冷めているわけでもないと、それと四月の最初の頃から何故かよく来てくれている。
うん、夏に汗をかくことは普通だけど……もう少しぐらい女心を分かってもらいたいところだ。
「宇藤にしては遅かったな」
「夜更かしをしたとかじゃないんだけどな」
弱らないためにも早寝を徹底している。
疲れを取るために最低三十分は湯舟につかるようにしているけど、その後だっていい加減な状態で終わらせないでしっかり拭いて、着ているぐらいなのに。
「なんか嘘臭いな」
「なんでさー」
「宇藤はすぐに嘘をつくからな」
「少なくとも世良君には嘘をついたことはないよ」
「じゃあ、他のところで嘘をついているということじゃないか」
いやでも、嘘をつかない人なんていないでしょ。
悪意があるものならともかくとして、そうでもない嘘ならみんなつく。
そうしなければならないときだってあるのだ。
例えば、友達といるときにその友達の好きな人が来たときに離れるとかね。
屁理屈も言いたくなるところだけど、空気が読めないとは言われたくないからそうするのだ。
「タオルタオルっと――あった」
とりあえず、暑い夏は首にでもタオルをかけながら少しゆっくりする時間が欲しかった。
おっさん臭いとよく言われるものの、袖で拭うわけにもいかないからこれが一番だ。
「わっ、なに引っ張ってきて」
「いや、困っていそうだったからな」
「ああっ、邪魔をしちゃっていたらごめんね?」
す、スルー……。
そうだ、横の子とはずっと話せないでいる。
同性なのに、授業中にうるさくしていたり、派手とかでもないのにずっとこれだ。
「宇藤は声がでかいもんな」
「え……直した方がいいかな?」
「少なくとも静井にとっては微妙かもな」
合う合わないはやっぱりあるから最初に挑戦した以外、この距離感が続いていた。
というか、私だけに冷たいわけではなくてほとんど喋らないからどんな声なのかもいまいち分かっていないぐらい。
でもね? 彼がこうして来たときにちらちら見ていることがあるぐらいだから私は期待してしまっていた。
世良君は困っている人を放っておけないからこそ彼女みたいな子には合うのだろうとね!
「なんだその顔は」
「いや別にー?」
「むかつくな」
ひぇ、こっちには冷たいところもあるね?
怖いから一時間目の授業の教科書でも読んでおくことにした。
真面目なところを見せておけば彼だってこれ以上、追撃はできない。
私は一人落ち着けていいというわけだ。
「……の」
「あ――」
待てっ、ここでテンションを上げたらおしまいだ。
「ふぅ、どうしたの?」
「……です」
くっ、難聴系主人公ではないはずなのに大事なところが聞こえない。
どうしたものか。
「静井、そのハンカチ宇藤のだよな?」
おお……って、そんな下の方で渡そうとしてくれていても顔を見たくなる私としては分からないよぉ……。
「あ、ありがとね」
あ、うん、凄く速い頷きだぁ。
私としては少し急いでいてもハンカチを忘れていなかったことを評価したいところだった。
「ふっ、流石に女子らしいところもあるんだな」
「え、じゃあハンカチを持ってきていなかったら女の子扱いされていなかったと?」
「そもそも、そこら辺にいる男子に力で勝っている時点で怪しいよな」
そんな!?
い、いやいやっ、それはこの教室にいる大半の男の子が弱っちいだけだ。
少し触れたぐらいで大袈裟すぎだ、それなのにあの子達ときたら……。
「うわこわ……もう戻るわ」
「べー」
上には上がいるというやつで私では話にならない。
つまり、女の子の領域から逸脱しているわけではないので不安になる必要はなかった。
「あっつー」
体育の時間にかいた汗も加わっていまは最悪な状態だった。
ただ、仕方がないよね。
夏で暑いから、汗をかくから「体育は禁止にしましょう」なんてできるわけがないんだから。
前後左右の子達に申し訳ない。
「うっ」
「えっ」
「冗談だよ。だが、ちゃんと水分を摂っておけよ」
それだけなら「世良君!」となっているところなのに!
「見ていて心配になるレベルだ。昔からこうなのか?」
「うん……夏はこうなんだよ」
「少し涼しいところにでもいくか」
あ、ちょ、よく腕を掴んだりできるなあ。
「お、世良か」
「あ、どうも」
おお、身長が分かりやすく高い男の人だ。
坊主……ではないのかな? でも、夏のいまにはぴったりな涼しそうな髪型だ。
「彼女か?」
「いえ、汗っかきなクラスメイトを少しでもそうならないように運んでいるだけです」
「お前……もう少し考えてやれよ」
うんうん、優しいのにこういうところはマイナスだ。
「俺は椿勝人だ、きみは?」
「宇都星です」
漢字を教えてもらったけおど、なんか凄く勝ちそうな人だ。
スポーツとか得意なんだろうなあ。
「もういいですか?」
「気になるから付いていくかなー」
「なんでですか、別にただ涼みにいくだけですよ。それとも、宇都に惚れたとか?」
「お前が酷いことを言いそうだからな」
「こんなの俺達にとって普通ですがね」
違うよっ、私は何回も重ねられる度に心がダメージを負っていっているの!
あ、だからそれが少し寝坊をしてしまった原因か――はないとして、明日は似たようなことにならないようにしないとなあ。
「一緒にいるところを初めて見たのもな」
「はあ? 俺らなんて春からずっといますが。あれですよ、先輩が日中なんかはダラダラしているだけです」
なんかこれってすごい発言じゃない?
当たり前のようにいられているのは本当にすごいことで、ありがたいことだ。
「なあ、厳しくね?」
「世良君はいつもこんな感じです」
「宇都って呼び捨てでいいか?」
「はい」
宇都ちゃんとか言われても反応に困るから呼び捨てがいい。
あとはもういっそのこと名前で呼ぶとかね、別に拘りとかないからちゃん付けさえされなければ自由に呼んでくれればよかった。
「俺のことは勝人でいいぞ」
「えっ」
「はは、冗談だ」
あ、同系統の人ぉ……。
「気を付けた方がいいぞ宇都」
「あ、私が危ない存在扱いされるわけじゃないんだ」
「ん?」
くっ、ここではすぐに分かってもらえないか。
いつも全部言わなくても分かってくれるのに椿先輩がいるところでだけ意地悪だ。
「いやほら、私って結構そのまま受け取るところがあるでしょ? だからほら、いまみたいなことを言われたら乗っかる方が多いわけで、それを見てきた世良君からしたら椿先輩に『気を付けた方がいいですよ』と言うところかと思ったんだ」
「先輩のことはどうでもいいから」
えっ、じゃ、じゃあ、私のことはどうでもよくないとぉ!?
「俺らだって別に昔から一緒にいるってわけじゃないんだぜ? それなのにこんな冷たさだから困っちゃうよ」
「そうなんですか? てっきり、小さい頃から一緒にいるのかと、だからこその言い合い? みたいな感じだと思ったんですが」
それなら……よくやるなあ。
自分よりも十センチぐらい大きい人に向かって勇気――これ勇気があると言えるのかな……?
「ないない、部活でたまたま一年一緒に活動しただけだからな。だから生意気な後輩だよ世良は」
「ふっ、その生意気な後輩を見つける度に『お、世良か』と喋りかけてくるのは先輩ですよね? 結局、そう思っていない証拠なんですよ」
「こ、こいつ……あと、それじゃあなんか俺がツンデレみたいだろ」
「男のツンデレとかただただ気持ちが悪いだけなんでやめてください」
あ、いや、ツンデレなのは彼の方なのでは?
え、もしそうだとしたら可愛すぎない?
結局、無視はできないぐらいの存在ということだし、本当に求めているのは彼の方だとしたら……。
「もう怒ったっ、このお!」
「あ、ちょちょちょっ」
喧嘩は止めなければならないのだ!
「ぷっ、はははっ、宇都は可愛いな!」
「ふっ、やめてあげてくださいよ」
「ふぅ、別に計算ってわけじゃなかったけどな」
ぐっ、り、利用されたということか!?
いや、それで仲良くなれるならいくらでも利用してくれればいい。
ただ、私としては静井さんと仲良くするために利用してもらいたいところだった。
「これからよろしく」
「あ、はい、よろしくお願いします」
どんな状況だろうとしっかり答えることは大事だ。
朝から少しバタバタしていたのにいいことが多い日となった。
ふむ。
本、眼鏡、少し猫背、そして長い髪。
圧をかけるような真似をしなくたって横に座っていれば分かる。
あの前髪で少し目が隠れているところがいい。
あと、入学した頃に完全に前髪を上げた状態を見たことがあるから二度目でも言う。
私は分かるのだ。
彼女は可愛いとね!
「おーい?」
「うひゃ!?」
「悪い、驚かせるつもりはなかったんだが」
急に目の前に仏頂面が見えたら誰だって驚く。
「起きていたんだよな?」
「あ、ああうんっ」
「じゃ、また涼しいところにいこうぜ」
うーん、近づいてきてくれることも、話しかけてくれることも嬉しいけど、これだと静井さんが……。
「世良君――」
「世良ぁぁあああ!」
「うびょお!?」「……ひゃっ」
あっ、いま!
「もうっ、もう少し周りの人のことを考えてください!」
「えっ、あ、す、すまん」
私も同じだ、驚くにしたって奇声を上げすぎた。
こればかりはちゃんと見えるようにして両手を合わせ「ごめんね」と謝っておく。
「静井、悪かったな」
「……うん」
「迷惑先輩、教室を出ましょう」
世良君のいいところはこういうところだ。
静井さんが頑張ってアピールをしなくてもちゃんと分かってあげられている。
この前のあれだって同じだった。
「椿先輩、先程はすみませんでした」
「いや、宇藤じゃなくて悪いのは俺だろ」
「そうですね、悪いのは先輩です」
ツンデレではなくてツンツンだった。
まあ、なかなか男の子が男の子に対して甘えることは難しいか。
「でもよ、世良だって悪いだろ? だって負けた方が飯を奢るって話だったのにいつまでも言うことを聞かないから!」
「賭け事なんてするべきじゃないですよ」
「いやお前が持ち掛けてきたんだからな!?」
別にこれは女の子同士でもあることだよねえ。
最近は話せていないけど、私だってあの子と……。
その結果、何十敗と敗北してしまいましたけども、うん。
「つか、隣の子っていつも静かなのか?」
「はい、そんな感じです」
私はもっと「今日は暑いねー」とか「さっきの授業の問題難しくなかった?」みたいなお友達らしいやり取りがしたい。
でも、それはあくまで私だけで向こうはこちらに興味なんかないだろうから我慢しているのだ。
「世良、もっと話しかけてやれよ」
「みんながみんな先輩みたいに喋り好きってわけじゃないんですよ」
「ふーん、じゃあ話しかけてみるか」
え、そこが動くのっ?
「待ってください、お遊びとかならやめてください」
自分が我慢して抑えていることをやろうとしているからではない。
流石にそういうのは許せないからだ。
「いやいやっ、全くそんなことはないって。俺、ああいう子は放っておけないんだ」
「そういう点に関してだけは安心していいぜ宇藤、この人はそういう人なんだ」
「そっか。疑ってすみませんでした」
「いや、知らなくて当然だからいいよそんなの。それに、あの子と同性として気になったんだろ?」
あれ、椿先輩でもいいのでは……?
大きい椿先輩と小さい静井さん。
やばい、二人が仲良くできているところを見られたら幸せかも。
「宇藤でも世良でもいいから放課後に時間をくれないかって言っておいてくれないか?」
「それなら俺が」
「お、今日はどうした?」
「奢ることになるよりはいいですからね」
「あ、まあいいか……」
問題は聞いてくれるかどうかというところか。
戻ってすぐに静井さんに説明していた。
そうしたら意外なことにこくりと頷いてくれたから「ありがとう」と感謝した。
いやでも、やっぱり彼女は世良君に対してだけは違う気がする。
ふふ、どちらを選んでも、また違う男の子を選んでも私からしたら得なのだ。
「放課後は宇藤も頼む。まあ、あんまり変わらないかもしれないが、同性の宇藤がいてくれるのはやっぱり違うだろ」
「分かった」
お? 静井さんがこっちを見てきているっ。
「というわけで、放課後はよろしくね」
「……はい」
あれ、なんで私には敬語……?
ま、まあ、大事なのはそこではないから気にしないようにしよう。
このまま上手くいけば人生で一番最高の日となるのだから。




