第4話
女は男に、縋るような目を向けて言った。「今夜はもう……帰りたくないの」
男は言う。「36番、さっさと帰れ。釈放だ」
釈放されると、塀の外は薄暮だった。いつまでも夜になりきれない様子の空は、あまりにも多くの人の願いを聞きすぎて、空であることに疲れているようにも見える。
この女は、そういう空の色をも、無条件に美しいと思える女だった。日々の生活で気に食わぬことは色々とあるにせよ、空を眺めている間だけはそれを忘れられたし、また、忘れるべきだとも考えていた。
生まれは大阪から遠かった。長い田舎暮らしから飛び出して、新たなる世界と新たなる自分を求め数年の時を過ごしたが、当然のことながら、新たなる世界も、新たなる自分も見つけることは出来なかった。そのどちらも本当は存在しなかったのだ、と、少なくとも彼女と同じような年齢で、同じような境遇にいる女なら、大体がそう結論付けるだろう。しかし、彼女には帰りを待つ二歳の息子がいる。
その男児は、彼女が塀の中で過ごす間に一歳から二歳へと成長した。一歳の男の子にとって、二歳の自分というのは新たなる自分である。二歳の男の子にとって、来年の三歳の自分は新たなる自分である。彼がやがて六歳になって、小学校一年生になったなら、それは新たなる世界だとみなされるだろう。
一体、世界も自分も、古いままでいられるという保証を誰かがしただろうか。保証したとしたら、いったい何歳から人は進化をやめ、いったい西暦何年から世界は進化をやめるのか? いや、誰もそんなことを保証してはいない。もし新たなる自分など無いのだとしたら、去年この刑務所に来た時の彼女と、今出所したばかりの彼女とが全く同じ人間だということになる。それは断じて間違っている、と、彼女はいよいよ暗さを増す空を眺めながら思う。こうして、春の肌寒い風が、痩せた身体に心地よいのが、その何よりの証拠ではないか。
「それで、日記にはまだ続きがあるんですか?」と夜桜。
「日記いうのは終わるまで続くもんやろ」と俺は返す。
遺された日記の続きを読み進めた。
彼女は、無理せず続けられる仕事にありついた。それは必ずしも満足のいく給料を彼女に与えはしなかったが、本当に満足しなければならないのは彼女ではなく、息子の方だった。彼女もそれを弁えていたのか、ただ忍耐の二文字を強く信じて、忙しい中で男児をあやしたり、夜間の急な発熱に対応するために、急患を受け入れている病院を探したりした。
ある時、一翼と名付けられた息子が、輪切りにしたバナナを乗せたヨーグルトを食べているときのことである。
「足りぬ」と、まだ「おいしい」と言ったことの無い彼が、釈迦の真言を要約したかのように言い放った。それを聞いた母親は、まず自分の耳を疑ったが、この世にはさして疑うに足ることも信ずるに足ることも存在しないということを思い出したので、何も言わず、黙って自分の分のヨーグルトを息子に差し出した。
釈迦の生まれ変わりというなら、この子だろう。おいしいかどうかより、足りるかどうかの方が遥かに重要な真理だ。




