第67話 墓穴を掘る 城之崎光哉の場合
大学へ向かう電車の中、俺は頭を抱えていた。
いや、何がどうなっている。
昨夜からの出来事が、何度も頭の中で繰り返し再生される。
自分の部屋に戻るのを、やめないか?
言い出したのは、俺だ。
芝浦のことが気になる。
そう言ったのも、俺だ。
だが俺ははっきりと、今も鷲那が好きだと言ったはずだ。
それなのに、あいつは……。
今朝の芝浦の態度を思い出す。
警戒する俺を面白がるような、あの自信に満ちた笑み。
あそこまで露骨に態度が変わるというか、積極的になるなんて全く考えていなかった。
いや、そもそも。
よく考えたら高校時代の芝浦山手なんて、女子にも男子にもやたらと人気があって、その手の噂が絶えない男だったじゃないか。
誰にでも人懐っこい笑顔を振りまいて。
その実、誰にも本心を見せない。
もしかしたらあの強引で不敵な姿こそが、あいつの『素』なのかもしれない。
そう考えると、妙に納得してしまった。
……いや、納得している場合ではない。
そんなことより、この調子では俺の心臓が持たない。
これは本気で、なんとかしなければ。
同じ思考を螺旋状に巡らせているうちに、俺は目的の駅へと着いていた。
その日の大学の講義を終え、俺はやや重い足取りで自宅への道を歩いていた。
部屋のドアを開ける。
するとそこには当たり前のように咲良がいて、俺の部屋の掃除機をかけてくれていた。
「おかえり、光哉」
正直、少しほっとした自分がいる。。
「ああただいま、今日もすまないな」
「いいのいいの、ついでに夕ご飯も作ってあげるね」
にこやかに笑う咲良は、掃除機を止めるとキッチンへと向かう。
「何がいい? あ、そうだ!関係進展のお祝いに、お赤飯でも炊こうか?」
「……ぶふっ!」
その言葉に、俺は思わず吹き出した。
「お前なんで知って……いやそもそも!赤飯炊かれるようなことまでは……」
そこまで言いかけて、俺は固まる。
そして咲良の発言を真に受け、とんでもないことを言ってしまった己の不明を恥じた。
目の前で咲良も固まっている。
この顔をみればわかる、咲良は何も知らずに適当なことを言っただけだった。
「いやなんか様子がおかしかったから、ちょっと言ってみただけだったんだけどね。まさか光哉がそこまで動揺するなんてらしくないじゃん」
咲良がにやーっと、実に嫌な笑みを浮かべる。
勝ち誇った顔の幼馴染が、ずいっと距離を詰めてくる。
俺は思わず後ずさる。
そんな俺の肩にぽん、と手が置かれた。
「もちろんその話、詳しく聞かせてもらえるんだよね?」
観念した俺は、咲良とローテーブルを挟んでソファに座る。
咲良に依る尋問で、昨夜の一部始終を白状させられた。
芝浦に同居の延長を申し入れたこと。
芝浦に告白されたこと。
鷲那が好きで、でも芝浦は気になると正直に伝えたこと。
そして芝浦が『絶対に振り向かせる』と、断言してきたこと。
全てを聞き終えた咲良は、やれやれと言った顔で深い溜め息を吐いた。
「……あんたねえ」
「なんだよ?」
別に咲良に咎められるようなことは何も無い。
だが咲良は先程よりも更に大きな溜め息を吐くと、
「仕方ないからお塩をプレゼントするかー、鷲那君よりはね。」
咲良は呆れた声でそう呟いた。
塩?
いきなり何の話だ?
頭を捻る俺に、咲良は真剣な眼差しで問いかけてきた。
「光哉は芝浦くんのことが、『気になる』の?」
「……ああ。」
咲良は更に続ける。
「鷲那くんのことは、『好き』なの?」
「……知っているだろう。」
俺が力なく答える。
すると咲良は最後の、そして最も単純な質問を投げかけてきた。
「じゃあもしもの話。芝浦くんと鷲那くんが二人とも今にも死にそうになってて、どっちか一人しか助けられないとしたら。――光哉は、鷲那くんを助けるんだ?」
その問いに、俺は答えられなかった。
頭の中が、真っ白になる。
当たり前に迷いなく、『鷲那を助ける』と答えるはずだった。
俺の長年の想いは、紛れも無くそこにあるのだから。
だと言うのに、言葉が出てこない。
芝浦を、見捨てる?
あの日学園祭で俺の涙を隠すために、ワイシャツの汚れを気にせず抱きしめられた。
修学旅行では山手線ゲームで困っていた俺を庇って、そして2人で大鷲の間で山手線ゲームをした。
最後の観覧車で芝浦は俺に寄り掛かって寝ていた、あの時に感じた温もりが蘇る。
この間の酒臭いファーストキス、『大好きだよ』と言う芝浦の声が蘇る。
そして。
あの日の『綺麗な涙』。
……。
…………。
沈黙が部屋を支配していた。
気まずい静寂の中、不意にテーブルの上でスマホのバイブレーションが鳴り響いた。
びくりと肩を揺らす俺の横で、咲良が自分のスマホを手に取る。
そして画面を見たまま、固まった。
「……ごめん光哉、私今日は帰るね」
「え?あ、ああ……」
「ご飯、作れなくてごめんね」
そう早口で言うと咲良は、荷物を掴んで逃げるように部屋を出て行ってしまった。
一人残された部屋で、俺は呆然と立ち尽くす。
そして先ほどの咲良の問いが、再び頭の中で木霊した。
芝浦と、鷲那。
俺は、どちらを助けるのだろうか。
その答えは、まだ……。




