「7月、文、筆、紙」7.再会と初対面、そのさん
面談ルーム内、向かい合う形で置かれた濃いグレーの長ソファ、その間に白基調のローテーブル。
ドアから遠いほうの長ソファに、穂風と風実。
穂風のほうがドアに近い側に座っている。
風実は穂風のパートナーだ。
柔和な顔立ち。耳に優しい声で、話す速度はゆっくりめ。ゆったりとしたシルエットの、青灰色のワンピースを着ている。
仕事は、絵に関係することをいろいろと。
穂風の向かいに、穂風と風実の娘である景。
景は、どちらかというと、はっきりめの顔立ちだろうか。向日葵色の軽やかなワンピースを身につけている。
声の高さはメゾソプラノあたり。早口気味ではあるけれど、聞き取りやすい話し方だ。
景の隣、風実の向かいに、景のパートナーであるマサジ。
マサジは、彫りの深い顔立ちだ。紺基調の和服姿。深みのある声で、落ち着いて話す。
景とマサジの仕事は、つくり手といろいろをつなぐ、さまざまなことを多岐にわたって、という感じらしい。
優月は、ドアに近いほうの、ローテーブル短辺付近に、スツールを置いて座っている。
長ソファに座る四人の中では、穂風と景が、優月に近いほうに座っているという位置関係だ。
ひっつーは現在、ローテーブルに置かれたクッションマットの上。位置的にはドアに近いほうの短辺側、端っこ気味。優月を背にするような向きだ。
ひっつーの前には、タッチペンとタブレットが置かれている。
簡単にだが挨拶を交わし、座る場所も決まってそれぞれ座った。
優月は状況の説明を開始する。
風実、景、マサジの三人は、仕草で表現したり、表情を変えたり、視線を動かしたりと、いろいろな反応を示しながら聞いている。
割愛した場面はあるものの、いろいろと話し、優月はひとまず説明を終えた。
話を聞き終えて、まず口を開いたのは風実だ。
「数日のうちにいろいろあったのね。初めて知ることもあったし、驚いたわ。穂風さんもひっつーちゃんもお疲れさま。無事でよかった」
風実の言葉に、ひっつーは前転しないよう、会釈のような動作を控えめにおこなう。
その動きを目にした風実、景、マサジは、そろって目を見開き、その後すぐに、そろって顔をほころばせた。
穂風は、三人とひっつーの様子を、柔らかな表情で見ている。
穂風が風実に顔を向けた。
「風実さん、ありがとうな。それに、みんなそれぞれ予定の調整もしてくれて心強かった。ありがとう」
穂風が風実にお礼を言い、景とマサジも見たあとで、更にお礼の言葉を口にする。
風実が穂風に微笑んだ。
「穂風さんの大事な仲間たちの一大事だもの、もちろん、できるだけ調整するわよ。私だって穂風さんに、いつもいろいろと助けてもらっているのだし」
風実の言葉に、景が大きく頷く。
「そうそう! あーでもなんか、いろいろびっくりな内容だけど、ひっつーが今も一人で道に……ってなってなくて、ほんとよかった。優月さんと会えてよかったねぇ、ひっつー、おかえり」
『ただいまですっ』
のぞき込むようにして言った景に、ひっつーが返したが、景は反応しない。風実もマサジも反応しない。
『聞こえないようです。ではこちらでっ』
ひっつーがタッチペンを持ち、タブレットに向かう。
風実、景、マサジがいっせいに反応し、ひっつーとタブレットに注目した。
『〈ただいまですっ〉』
「うん! おかえり! わー、なんかすごいね。会話できてる!」
景の弾んだ声。
穂風や風実、マサジも明るい表情で頷く。
「なにやら世界が広がる気がしますね……」
静かな口調ながら、楽しそうにマサジが言った。
だね! と景が笑う。
そうね、と優しく笑ったあとで風実が話す。
「えっと、ひっつーちゃんとも暮らしていきたいかを、それぞれ答える必要があるのね。私は一緒に暮らしていきたいわ。初めてのこともいろいろで戸惑うかもしれないけれど、サポートもしていただきながら、楽しくすごしていけるといいなと思うの」
「私も一緒に暮らしたい!」
風実が話し終えてすぐ、元気に挙手をし景が言う。そして手を膝上に戻し続けた。
「って、今までも一緒にいてくれてたんだよね。今回それを知ることができたから、あらためて一緒に新生活って感じもありつつ。よろしくね!」
ひっつーは風実と景に元気よく頷いた。
マサジが穏やかな声を出す。
「筆のひっつーさんのほうが、私より前からみなさんといたことになるので、気持ちとしては、私も仲間に入れてくださいね、とあらためて挨拶をさせていただく感じですね。ひっつーさん、よろしくお願いします」
『〈こちらこそですっ〉』
ひっつーがマサジにすばやく返事をした。そして続ける。
『〈みなさんありがとうございます。よろしくお願いいたしますっ。お辞儀、転がりますが、落ちませんのでっ〉』
入力後、タッチペンを置き、ひっつーがしっかりと立つ。穂風がさっと、タブレットをどけた。
『穂風さんっ、お気遣いありがとうございます。そしてみなさん、どうぞよろしくお願いいたしますっ』
全部言ってから、ひっつーがお辞儀をする。
そして予告どおり、前転に移行した。
あらあら。ええっ! わわっ。
風実と景とマサジがそれぞれ声をあげ、あわてて顔を動かしたり、思わず手を伸ばそうとしたり、ローテーブル端に向かおうとしたりする。
ひっつーはこれまた予告どおり、落ちることなく止まった。
『転がるとわかっていても、お辞儀もしたくっ』
言いつつ、トテトテ早足でローテーブル上を戻り始める。
風実、景、マサジ。三人の視線が、ひっつーの動きを追う。
「俺もひっつーの前転を初めて見たとき、こんな感じだったんだろうな……」
三人の様子を見ながら、穂風が小声で言う。微笑と苦笑の間のような表情になっている。
穂風の声が耳に入ったのか、風実がちらっと穂風を見て、口元を笑みの形にした。そして、ひっつーに視線を戻す。
「私、マット運動得意だったんだよね。ちょっと近々、久々に」
「景さん、景さん。久々ならば徐々にですよ。準備運動もお忘れなく」
ひっつーから目を離さないまま、景とマサジが会話している。
ひっつーが基本形に戻った。風実と景とマサジが拍手をする。穂風がタブレットをローテーブル上に戻した。
優月がひっつーの言葉たちを四人に伝えると、四人は笑顔で頷き、口々に、よろしくといった言葉などを、ひっつーに渡す。
穂風が笑顔のまま優月を見た。
「優月さん。ひっつーを含むみんなで、一緒に暮らしていく方向での、テイクのサポートをお願いいたします。また、今後、テイクが末長く関わってくださいますよう、お願いいたします」
「「「『〈お願いいたします〉』」」」
ひっつーも向きを変え、全員が明るい雰囲気で優月を見る。
「かしこまりました」
優月は笑顔で応えた。
ひっつーが会釈をしてから、先ほどの向きに戻る。
それぞれから答えを聞けて、サポートの方向が決定した。さて次は、ひっつーの本体をどうするか、についてである。
ひっつーとしては、綿菓子ひっつーを安全な場所に移すため、入ろうと試みたら入れた、というスタートだった。
結果的に今現在、羊のぬいぐるみが、ひっつーの新たな本体となっているものの、次の本体をこちらにしようと思って入ったわけではない。
今後、どの本体ですごしていくか。
本格的に新生活を始める前に、ここでいったん、みんなで考えてみる。
優月は、そういったことをあらためて話し、説明済みの内容も含むことをあらかじめ言ってから、説明を始める。
今の本体で、不具合はないし、拒否反応もない。
羊のぬいぐるみに、ひっつー以外の存在や、以前になにかがいた気配などはなかった。
ひっつーが宿る前は、モノではなく物だったようだ。
そして今後、ひっつーが本体としている間は、羊のぬいぐるみそのものの精神は生じない。
ただし、ひっつーが本体としなくなったからといって、羊のぬいぐるみそのものの精神が生じるかはわからない。
ほかの精神体などが、すんなり入れる物体というのは、もともと、入れ物的なあり方が優勢で、精神が生じにくいようである。
また、ほかの精神体などが入ったことがある物体は、入れ物としての面が更に強まり、そのものの精神がもっと生じにくくなるようだ。
過去の事例から、そう考えられる。
よって、羊のぬいぐるみそのものの精神が今後生じる確率は、かなり低いだろう。
テイクとしては、そう考えている。
本体を変更する場合、テイクが用途を把握したうえで新たにつくった物を本体としてもらえると、いろいろとスムーズな面も多い。変更の場合は、できればその方法を選んでくれるよう、お願いしたい。
どういった物をつくるかは、希望を聞きつつ、可能な範囲で対応する。
同じ見た目の、別の羊のぬいぐるみをテイクがつくり、そちらをひっつーの本体とするという方法も、あるといえばある。
しかし、権利関係などいろいろとあるため、必ず実行可能だとは言えない。
精神体が現在の本体から出て、ほかの物体を新たな本体とした場合、前の本体とのつながりは切れることがほとんどだ。
前の本体に戻ろう、前の本体をまた本体にしようと思っても、できない確率が高い。
「本体をどうするか、必ず今すぐ決めなければ、という話ではないのですが、いろいろと進めていく前に、どういう状況か、なにを選ぶことができるのかなどを知っていただき、考えていただく機会をと思い、お話ししました」
優月はそう言って、いったん説明をしめた。
穂風、風実、景、マサジの四人はそれぞれ、考え込むような表情で黙っている。
少しして、マサジが声を出した。
「仮にひっつーさんが、違う物体を本体とした場合、綿菓子ひっつーさんは、動かない羊のぬいぐるみに戻る……と。いえ、ほんの少し前までは、動かない羊のぬいぐるみだったのですが、今後そうなると想像しますと……」
マサジ、それ……と景が抑えめの声量とスピードで話しだす。
「想像すると、なんかすでに、寂しく感じる自分がいる……。それに、綿菓子ひっつーと同じ見た目の子をつくって、ひっつーにその子に入ってもらって、その子だけが動くのも、それはそれで、綿菓子ひっつーへの気持ちの向け方が難しいような……」
少し困り顔で、風実が口を開いた。
「綿菓子ひっつーちゃんそのものの、精神体の場所を空けておきたい、って気持ちもないわけではないけれど……精神が生じる確率はかなり低そうで、一方、違う物を本体にしたら、ひっつーちゃんは、綿菓子ひっつーちゃんを再び本体とすることは、できない確率が高い、となると」
だったら、とほとんど間を置かず、景が話し始める。
「ひっつーが、綿菓子ひっつーの体ですごしていてほしい。どっちにも思い入れあるし、それがある意味一緒にっていう状態だし。私としては、そう思っちゃうかなぁ」
穂風も口を開く。
「今すぐ違う物を本体にしよう、とは提案しがたいな、正直なところ。ただ……訊いておきたいんだが、ひっつーとしてはどうだ? どの本体がいいというのがあれば、まずはそれを優先して考えたいぞ」
「そうじゃん! それだよ。それ大事」
景が少々大きめの声で言い、風実とマサジも頷く。
『〈……わたくしとしてはっ、……どうでしょう……? どの体も、それぞれよいところがあると思い、かえって決めきれないと言いますか……。みなさんが好きだと思ってくださる体で、すごしていたいという気持ちは大きいですが〉』
「なるほど……わかった。ありがとう」
「そういう気持ちなのね。答えてくれてありがとう」
「ちゃんと覚えとくね!」
穂風、風実、景がひっつーにそう返したところで、マサジが小さく手を挙げる。
「その答えを伺ったあとで更にお訊きするのは、過剰かもしれませんが、念のため確認を……。ひっつーさんは筆の体でなくて、綿菓子ひっつーさんという体でも、ご自身、気持ちの面などで大丈夫なのでしょうか。前の本体は引き継げなくても、新たな筆を用意しなくてよいのですか?」
『〈筆である自分も大切ですが、この体も大切ですしっ。それに、今の体のほうが、動いたり、動作などで表現したり、相手の方とやりとりしたり、といったことを、しやすいようにも思いますしっ〉』
「そういう気はしますね」
マサジが頷く。
『〈その点もわたくしとしては大切に感じますので……。答えを出すのは難しいですね。筆の体で穂風さんと活動した日々も、とても素敵でしたからっ、あの、筆としての扱いや感覚がないことに対して、寂しく感じますし〉』
その言葉に、穂風が声を出した。
「動きだけなら、その体でも、少しはできるかもしれない。前とはもちろん違うが、せめて……。ちょっと、基本形のひっつーを上からつかむぞ。それから……右手がいいかな? 前のほうに伸ばしておいてな」
『〈はいっ〉』
ひっつーが、入力してからタッチペンを置き、基本形になる。
穂風がひっつーを、若干しっかりめにつかんだ。
向きとしては、穂風の手首側に、ひっつーのしっぽがある、という感じだ。
ひっつーが、右手をピンと伸ばす。
「こんな風に……」
穂風がひっつーの右手の、手先のあたりをクッションマットにつけ、左斜め下に動かした。
ひっつーの右手で、文字を書くような動きだ。
その途端。
「ああ!」
「え?」
『わぁ……! はいっ?』
「「ええっ?」」
「……あら」
穂風、優月、ひっつー、景とマサジ、風実、それぞれが声を出す。
穂風の動きにそって、クッションマットに、くっきりと黒い字。
浅い角度の、カタカナのノのような。もしかしたら、穂の字の一画目を書こうとしたのかもしれない。
墨の匂いもしている。
『……この体の中身は綿では? とか、このクッションマット、どうしましょう、とか、戸惑いは多々あるのですがっ。嬉しいことがっ』
最初は控えめに、次第に興奮して、ひっつーが言う。
『わたくしっ、筆の体のときと、同じ感覚を味わうことができましたっ』
ひっつーの喜びあふれる声が、響き渡った。
お読みくださり、ありがとうございます。
今後もどうぞよろしくお願いいたします。
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