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「6月、コトハとサトウとボンボニエール」2.受けとり側いろいろ

改稿については後書きで説明しております。




「え……どうしよう」

 その日、受けとった文書に目を通した優月ゆづきは、気づいたときにはそう、口にしていた。

「キッチンさん、これ……」

 読んでいいよ、むしろ読んで。そう伝える意味も込めて、キッチンのほうに、文字のある面を向ける。

「あら、じゃあ読むわね」

 声は応じ、その後少し、両者無言の時間が流れた。


「読んだわよー」

 わりといつもの口調のまま、キッチンが告げる。

「どうしよう、取り壊しって。キッチンさんは? キッチンは?」


 やむを得ない理由でアパートを取り壊すことになった。契約更新はできない。

 大きくまとめると、そういう内容の文書だ。

 今は八月。遅くとも三月いっぱいで、この部屋を出なければいけないらしい。


「そうねぇ……私自身は、人型化も次の物へ移るのも、いろいろ気にしどころが多くて保留にしてただけで、できないわけじゃないから。ここを取り壊すなら、そのどちらかをしちゃってもいいかもしれないわね。まずは次の物へ移るほうを、かしら」


 そう答えたキッチンが、このキッチンスペースは……と、まるで見渡しているかのような感じで言う。

「現時点での私の本体だし、優月が私として見ている姿だから、思い入れがないわけじゃないけど。なにがなんでもこれじゃなきゃ、ここじゃなきゃってことはないわよ」


 ただね……と声は少し照れたように続ける。

「これをきっかけに、優月との同居、終わっちゃうのかしら、それは寂しいわーっていう気持ちは強いわ。出会ってまだ二か月くらい? なのに、ずいぶん楽しいし」

「それは、私だってそうだよ」


 まるでずっと前から一緒に暮らしていたみたいに、楽しいし心地よい。

 相談先の候補を見つけても、相談の結果、今の状況がどう変化してしまうのか……それが心配で、なかなか相談に踏み切れないほどに。あっという間に、キッチンとの暮らしを、好きになっていた。


「次のなにかに移るなら、それを持って私が引っ越すのは? あ、でも、もとの本体がキッチンスペースだから、違う物に移ったからって、私が勝手に持ってっちゃだめなのかな。ん? キッチンさんが別の物に移ると、キッチンは?」

「中に精神体のない、一般的なキッチンスペースとして、ここに残るわよ。私とのつながりは、なくなる感じね」

「じゃあ、キッチンそのものは持ち出さないわけだし、いいのかな」


 うーむ、としばし二人で声に出して悩み、先にうーむ以外を言ったのはキッチンだった。

「この機会だし、テイクってところに相談してみない? といっても、申し込みとか話すのとか、実際のいろいろは、ほぼ優月に動いてもらうことになっちゃうと思うけれど。ごめんなさいね」

「謝らなくていいよ。私としても、こうなったら相談してみるだけしてみたほうがいいと思うし」


 どんな相談内容でも受け付ける。ほかに相談しづらいことも話してみてほしい。

 テイクのサイトには、そう書かれている。

 それに、いろいろ検索している過程で、何件か気になる書き込みを見かけた。


 不思議なことに困ったらテイクに。心霊現象などの悩みにも対応してくれる。そういった系統の調査や対応においても頼りになる。

 鵜呑みにするわけではないとはいえ、キッチンという不思議な存在について打ち明けてみる相手として、今のところ、テイクは最有力候補だ。


「でも……信じてもらえたとして、キッチンさん、退治されそうになったりしないかな……人間には接するなとか言われちゃわないかな……」

「それはわからないわー。でももし、それが、不思議に対する、そういったことに多く接している人たちの基本スタンスだとしたら、そうだって知っておかないと、かえって危険かもしれないわね」


「それは……そうか。……とりあえずまず、父親に連絡するよ。アパートについても知らせなきゃだし、テイクへの相談についても、一応事前に、相談したいことがあるからするよ、くらいは伝えておいたほうがいいだろうし。あーでも、返事すぐ来るか、わからないけど……」

 そもそも今、どこの依頼先にいるのか、優月は知らない。


「まぁまだ半年以上あるもの。あまりあせっても……よ。ひとまず連絡して、お返事待ちましょ」

「そうだね。そうしよう」

「あ、そうよ。さっき、それをしようと思ってたとこだったんだわ」

 なにかを思い出したかのように言ったキッチンが、冷蔵庫のドアを開ける。

 冷蔵保存中の、かいわれ大根のパックをとり出し、水を交換し始めた。


「かいわれ大根の水を交換しようーそうしようー」

 普段の口調とは少し違う言葉遣いで歌う、キッチンの声も聞こえだす。

 傍目には、自動で開く冷蔵庫、宙を浮くかいわれ大根のパック、自動で交換される水、などであるが、優月には、歌いながらそこで作業している存在の姿も見える気がした。


「ありがとう」

 お礼を言いつつ、優月は考える。

 単子葉類たんしようるい双子葉類そうしようるい、ってあるなぁ。かいわれ大根は、双子葉類だよね、たぶん。

 思わず検索したところ、芽、子葉しよう、二枚……などの文字が目に入った。



 父親からは、数日後に返事が来た。


 相談は優月主導で自由に。その過程で父親としてのなんらかが必要なら連絡を。

 テイクについて、どんな感じか周りにも訊いてみる。

 次のアパートなどについても、そこに相談してみてもらえるか?

 相談や引っ越しなどにかかる料金のことは心配しなくていい。


 だいたい、そんな感じの内容だった。


 優月の父親は、メイクの仕事をしている。

 依頼があれば、国内外どこへでもというスタイルなのだという。

 対応分野が幅広いうえに腕もよいらしく、依頼は途切れたことがないそうだ。


 ちなみに、優月自身はあまりメイクに馴染みがない。

 そして、直接会ったことがほとんどない父親には、メイク以上に距離を感じなくもない。


 優月は物心がつく前に母親を亡くしている。

 その後、中学卒業までは、父親の姉と暮らし、世話になった。

 父親の姉と優月の母親は、かなり親しかったらしい。

 父親は、自分の得意なことで働き稼ぎ、その面から優月を育てる、ということで姉と役割分担をしたそうだ。


 それぞれからそれぞれの形で、気持ちと行動を向けてもらっていると、優月はわかっている。

 とはいえ、この形を殊更気にして、いろいろ言ってくる人は多かったし、優月の日頃の振る舞いにまで口出しされることも多かった。


 中学卒業と同時に、それまで住んでいたところとは違う市町村に引っ越したのは、伯母の結婚だけが理由ではなかった。

 高校相当の期間を、高認をベースにすごし、しばらく人とあまり会わない生活をしたい。それまでのあれこれがかなり影響して、そう思うようにもなった。


 伯母は結婚してからも、優月のことを気にしてくれようとする。

 ありがたいけれど、伯母の結婚相手のほうは再婚で、伯母との結婚時点ですでに複数人の子どもがいた。学生である彼らは、それぞれ勉強にスポーツにと忙しいようだ。伯母もいろいろと、忙しい。

 もう今は、優月のことで、伯母の時間や気持ちをあまり使ってほしくないと、優月としては思ってしまう。

 だから今回のことも、今のところ伝えるつもりはない。


「んー、何度か読み返してみたけど、この内容でひとまずいいんじゃないかしら。そろそろ、送ってみない?」

 キッチンの声に、優月は現実に意識を戻した。

 テイクの相談受付フォームに入力し終え、キッチンと一緒に読み返しているうちに、優月のほうは違うことを、いろいろと思い返してしまっていた。


「そ、そうだね。ごめん、ちょっといろいろ考えてた。送ろっか」

 そうキッチンに言い、手を動かしかけたところで、優月のスマホが通知音を鳴らす。

 父親からの連絡だった。

 申し訳ない、から文が始まっていて不安になった優月は、キッチンにも一緒に読んでくれるよう頼む。


「なんですと」

 読んで思わず、優月は一言。

「あら。ごはん炊いちゃったわよ。カレーはレトルトがそろっているけれど」

 キッチンはそう言いながらも、行動としては、キッチン周りの片づけを早々にし始めてくれている。

 優月もあわてて、キッチン以外のところの整頓と簡単な掃除にとりかかりだした。


 事情も軽く話しつつ、テイクについて周囲に訊いてみていた父親。

 しかし内容の伝達がうまくいかず、情報が周囲に間違って広まったそうだ。

 娘が半月で今のアパートを引っ越さなければいけない。相談先として、テイクを検討している、と。


 それを耳にしたある人、忙しい父親と、こういったことに不慣れであろう優月を、その人なりに気遣い、その人だけの判断で、代わりにテイクに申し込んでくれたそうだ。

 だいたいいつも優月が家にいるという、こちらはある程度正しい情報もなぜか小耳にはさみ、自宅でのテイクとの面談も、その人の独断でセッティングしてくれたらしい。


 そしてそれらをおこなったのち、その人は、普段あまり使っていないと父親が以前伝えたはずの連絡先のほうに、連絡していたとのこと。

 父親が状況に気づいたのは、初回面談の予定当日。つまり今日。

 あわてて、優月に連絡してきたというわけだ。


 面談についての説明という文書も、父親から同時に優月に届いている。

 代わりに申し込んだその人は、テイクには、優月も父親も申し込みを知っている、希望していると伝えてあるらしい。


 いろいろと、つっこみたいことはある。

 けれど今は、あと数十分後に来る予定のテイクの担当者たちを、迎える準備が優先だ。

 説明を読み、こちらがまず伝えたいことの伝え方まで考える時間は、果たしてあるのだろうか。


「マンゴーラッシーなら、ちょうど冷蔵庫にあるわねー」

 テキパキ準備を進めながらも、余裕を失わないキッチンの声。

 あせる優月には、なんとも心強いものに感じられた。




お読みくださり、ありがとうございます。

今後もおつきあいいただけますと幸いです。


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評価をしてくださった方、ありがとうございます。元気をいただきました。


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【改稿について】

【2024年7/11(木)】空白行を入れる位置を変えたり、空白行を増やしたりといった変更をおこないました。


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