プロローグ 死因:積み荷
【死亡を確認しました】
【死因:転倒したトラックの積み荷(鋼管)】
【備考:トラック本体は間に合っていました】
目の前に浮かんだ文字を、俺は三回読み返した。
「……いや、間に合ってたなら助けろよ」
声は出た。出たのに、震えていなかった。
心臓の音も、息の熱も、どこにもない。真っ白な空間には上も下もなくて、俺の足だけが、何かの上に立っている気がしていた。
最後の記憶は、深夜二時のコンビニ帰りだ。
右手にレジ袋。中身は、カップ麺と発泡酒。
九時間、倉庫で立ちっぱなしで棚の間を走り回ったあとの、いつもの帰り道。
横断歩道の向こうに、子どもがいた。
塾帰りだろう。中学生くらい。イヤホンをして、スマホを見ながら、赤信号の横断歩道に、ふらっと踏み出した。
右から、光。
クラクションが、夜を裂いた。
考える前に、足が動いていた。
レジ袋を放り出して、走って、子どもの背中を、思いきり押した。
子どもが歩道に転がる。
振り向いた俺の鼻先で、トラックが、悲鳴みたいなブレーキ音を立てて――止まった。
止まったのだ。
運転席で、運転手が真っ青な顔をして、ハンドルにしがみついていた。
「あ、ぶな」
膝が笑った。
(助かった)
心の底から、そう思った。
今日の俺、ちょっと格好良かったんじゃないか。明日、誰かに話そう。誰に話そう。
そう思った、その瞬間だった。
トラックの荷台で、何かが弾ける音がした。
ロープだ。
見上げた視界の上から、銀色の棒が、雨みたいに降ってきた。
「……そりゃ、ないだろ」
神崎蓮、二十六歳。派遣の倉庫作業員。
彼女なし、貯金十二万。特技は、ピッキングの速さと、九時間立ちっぱなしでも平気な足。
人生で一番格好つけた三秒後に、鉄パイプの雨に潰されて死んだ男。
「はい、お疲れさまでした。神崎蓮さん、二十六歳。死因、積み荷。備考、トラックは間に合っていた」
真後ろから、やたら事務的な声がした。
振り向くと、女がいた。
白いローブ、腰まである金髪、透けそうな肌。絵に描いたような女神だ。
ただし、手には薄い石板を持っていて、その画面を指でスワイプしていた。
「女神リセです。あなたの転生を担当します。まず最初に、ご質問はありますか」
「……トラックは、間に合ってたんですよね」
「ええ。運転手さんの判断は完璧でした。荷台のロープが劣化していただけで」
「誰のせいでもないやつだ」
「そういうことです。さて」
女神は石板を軽く振った。俺の前に、光る文字列が並ぶ。
【転生先:辺境世界エルディア】
【生前の行い:善行判定(見知らぬ子どもの救助)】
【特典:ギフト抽選 1回】
「善行判定が出ましたので、特典が付いています。異世界エルディアに転生するにあたって、ギフトを一つ、抽選で差し上げます」
「ギフト」
「その世界で言う、生まれつきの才能です。剣聖、賢者、龍殺し。当たりを引けば、その世界で英雄になれます」
「……ガチャじゃん」
「ガチャですよ」
女神は否定しなかった。石板を俺の方へ向ける。
画面の中で、金色の球がぐるぐる回っている。球の表面を、文字が流れていく。
剣聖。賢者。龍殺し。聖女。無詠唱。
心臓が――ないはずの心臓が、跳ねた気がした。
(マジで、当たれば英雄なのか)
「どうぞ。指で押してください」
俺は、押した。
球が跳ねて、砕けて、光の粒になって――文字が浮かんだ。
【ギフト:―】
一本の横線。
それだけだった。
「……」
「……」
女神が、画面を見たまま止まった。
三秒。五秒。長い。
表情は変わらないのに、目だけが小さく動いた気がした。
「あー」
「あー、って何ですか」
「ハズレ、ですね」
女神は、ぱっと顔を上げて、いつもの営業スマイルに戻った。
「ギフトなし、です。稀にあります。何も付かなかった、というだけで、転生自体に問題はありません」
「……マジで?」
「マジです。代わりに、と言っては何ですが、お詫びの標準セットを付けておきますね。言語適応、初期装備、少額の路銀。降ろす場所も、街の近くにしておきます」
「あの、もう一回引くとかは」
「ありえませんね」
早い。
俺は光る横線を見つめた。
剣聖でも賢者でもない、ただの『―』。
人生で一番格好つけた結果が、鉄パイプと、横線一本。
しばらく、何も言えなかった。
女神も、何も言わなかった。
「……まあ、いいか」
口に出したら、意外とすっと落ちた。
生きているだけで儲けものだ。
倉庫のピッキングだって、最初は誰でもゼロから覚えた。棚の場所も、台車の押し方も、全部あとから体が覚えた。
才能なんて、最初からあった試しがない。
「前向きですね」
「派遣ですから」
「では、送ります」
女神が石板をタップする。足元が光り始めた。
白い空間が、砂のように崩れて、落ちていく。
その、落ちる直前。
女神が、石板から目を離さずに、ぽつりと言った。
「神崎蓮さん。あなたは、その世界の『常識』を知りません」
「……はい?」
「それを、あまり急いで知ろうとしないでください」
意味を聞き返す前に、視界が白に飲まれた。




