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電話の向こうは、誰ですか~入電履歴は語らない~  作者: 凪砂 いる
第一章|403号室とあるはずのない履歴

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あるはずのない履歴

「――もう! 毎日、毎日403号室の方は、夜になるといつも、いつまでもずっと話してるんです!」

 深野柊花(ふかのしゅうか)の耳に、つんざくような女性のため息交じりの怒声が走り抜ける。

「……それは、お困りですね。話し声が気になりだしたのは、いつからでしょうか?」

 またかと言いたげな無表情から、声だけは柔らかく紡がれる。この仕事をしていれば嫌でも身につく技術である。

 電話口の女性は、ため息をふぅ、とついた後、話を続ける。

「……1年ほど前よ。引っ越してこられた時は普通の方だと思ったの、それが、突然夜になると声がするようになったの。毎晩。そして――! ああもう、記録残ってないの!?」

 柊花は、女性の話を漏らさずにパソコンのメモ帳へ打ち込んでいく。この仕事に就いて4年。動作も流れるようにこなす。


 (こういうタイプの方は、事実だけ聞いてお伝えしておいたほうがいい。長引いて話の軸が見えなくなるタイプ)


 柊花は一拍おいて、静かに伝える。

 

 「――対応するようにお伝え致します。わたくし、深野が承りました、ありがとうございました」

 「絶対に伝えてちょうだいよ!? お願いしますね?」

 

 そこまで相手に伝え終わり、電話が切れると柊花の底からの深いため息が静かに出てくる。

 カタカタといつものように履歴を入力しようとし、ふと手が止まる。


 【2026/6/05 2:15 伺った内容を管理側へシステムにて送信。 対応者:浅見 梓】


 (浅見(あざみ)さん……? 最近見ないと思ったら、夜勤チームに移った?)

 浅見 梓(あざみ あずさ)は、柊花の入社するより前、このコールセンターができた頃から勤務していた古株だ。誰に対しても竹を割ったようにあっけらかんと話す彼女に、新人だった頃は柊花もよく助けられたものだ。

 

 (そういえば、浅見さんって――)

 

 考えようとする頭の中をかき消すように首を振り、後処理を終わらせると同時に次の入電が間を置かずに入ってくる。水分を取る暇もなく掠れる声の出し方を変え、喉に負担をかけないように呼吸をし、応答する。


 「お電話、ありがとうございます――」

 

 と同時に、銀縁眼鏡をかけた男性――鈴村朔也(すずむらさくや)の声がこだまする。

 

 「待ち呼重なってまーす! 手が空いた人、先に受電して!」

 「鈴村さんすみませんー! この案件なんですけど――」

 「確認お願いします!」


 鈴村の声に呼応するように、オフィスに声が混じり合う。――戦闘の時間だ。


 次の電話も、騒音に悩む若い男性の声が矢継ぎ早に耳に入る。低い声で粘つくように貼り付く声で彼は話し始める。


(こういうタイプの若い子、ちょっと苦手なのよね)


 「――ってわけでぇ、わかります? 上の階の住人がー、毎晩うるさくてぇ、寝られないって言ってるんですよぉ。もう、俺訴えていいですかね?」

 「ご不便おかけして申し訳ありません。ご住所をお聞かせ願えますか?」

 「だからぁー、出てないの? 住民の情報わからないわけ?」


 男性は毒づきながら住所を早口でまくしたてる。ふと、柊花は画面に目をやり、視線が止まる。


(これ、さっきの電話と同じマンションじゃない。しかもこの人は303号室。上は――)


 何か関係があるのではないか、と柊花は経験で察する。しかし、これはこれで、報告せねばならない。少し、特殊な形で。

 横目で島角の席に座る鈴村へ視線を送り、柊花はチャットを送る。

『お疲れ様です。少し案件でご相談があります。終話後お話しよろしいですか?』

 画面を確認した鈴村が頷く。その視線を確認し、話を続ける。


 電話越しの若い男性は、その後も重箱の隅をつつくようにチクチクと話を続ける。


 「対応してくれるならいいんですけどぉ、お名前教えていただけます? ()()()()

 「……深野と申します」

 「深野さんね。絶対対応してくださいよぉ? 俺、待ってますんでぇ」


 柊花の口元がピクピクと半ば怒りを含んで震える……が手元は裏腹にメモに何か円のようなものをぐるぐると描く。


 (――粘りついた声が鼓膜から離れない。ああいうタイプは、ちょっと鈴村さんに確認しよう)


 通話履歴を入力しようとする柊花の手が、また止まる。


 【2026/06/05 2:45 詳細伺うも呂律が回らず、訴えると脅すように仰せ。管理側へ報告。 対応者:浅見 梓】


 (なぜ、浅見さんが――? 浅見さんは日勤だったはず……)


 何も言わずに退職というものは、この仕事にはよくあることだ。しかし、柊花の知っている浅見は、そのようなことをする人ではなかった。体調を崩し、在宅勤務をすると聞いて以来、浅見には会っていない。しかも、浅見が深夜勤務は、ありえないことだった。


 柊花は、震える指先でキーボードを叩き、文字を紡いだ。


『鈴村さん、お疲れ様です。対応終わりました。履歴で確認いただきたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?』


 それだけ送信して、鈴村に視線を送る。頷いた鈴村が、近づき声を落とす。


「深野さん、何かありました?」


 鈴村は、柊花より少し年上の男性で、センター長でもオフィスカジュアルで勤務しているこの職場では珍しく、全身スーツに身を包んでおり一見近寄りがたい雰囲気を醸し出している。


 柊花は、震える指を画面に向ける。


「この件なんですが……、この方、少し高圧的な方でした。あと、このマンションですが、同じ部屋に対してのクレームが何件か発生しています。管理に直接報告したほうがよいかと思うのですが、いいですかね?」

「そうしてください。――あと、この件の履歴を見せて」


 鈴村がモニターを見て、首を傾げ、眉を歪める。それを見た柊花が、恐る恐る声をかけた。


「あの、浅見さんって、夜勤に移られたんですか? 浅見さん、日勤でしたよね?」


 鈴村のマウスを持つ手が止まり、首を振り、顔から次第に色が失われていく。

 

「いや――浅見さんは……半年前に退職しています。時間もありえない。履歴の件はこちらで確認します」

「お願いします」


 (浅見さんが――辞めている? なら、この日時で履歴が残るのは、ありえない)


 柊花は、一連の同じマンションにおける騒音事件を報告するため、マンションの管理会社に、連絡をした。

 マンションの物件担当の藤村とは入社以来何度もやりとりをしている。


「リコリスコーポレーションの、深野と申します」

「あぁ、深見さん、今日はどうされました?」

「フリーデハイムの、騒音の件でご連絡いたしました」


 一瞬、藤村の言葉が詰まる。そして絞り出すように声を出す。


「もしかして……403号室の件ですか?」

「ええ、まさにその通りで……」


 そう話した瞬間、藤村の頭を抱えてる表情が電話越しに見て取れる。


「――また、ですか……」

「また、とは?」

「いえ、こちらの話です。以後こちらで対応します。ご対応ありがとうございます」


 柊花が藤村との話を終え、電話を切ると、島角の席の鈴村が眉間にしわを寄せ、モニターに向かって忙しなくタイピングの音を響かせる。

 (何かあったのかな? 鈴村さんが難しい顔をしてる)


 電話の音は、止まらず鳴り続けている。柊花はふぅ、とため息をつきインカムを装着して仕事に戻る。

 視線をモニターに戻したとき、一瞬指が止まった。彼女の肩は、少し震えていた。

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