翌朝・バウマンへの連絡
翌朝、アーデルハイトはバウマンに短い書状を送った。
「廃家申請の様式第百二号を持ってきてください。ただし、提出前に一度確認したいことがあります。移譲先として王室以外に適格者を指定できるか、継承規定の条文を調べてもらえますか。クルト・フォン・ヴァルトブルクを移譲先にする手続きが存在するかどうかも合わせて」
書状を出した後、アーデルハイトは窯の火を入れた。
クルトが十七年間、領地を守った。帳簿は綺麗だった。間違いは犯したが、積立金を残した。フォン・ヴァルトブルクの名前で生きてきた人間がいる。
廃家すれば、その十七年も全部王室に行く。
移譲なら、名前はクルトのところに戻る。アーデルハイトはクレッツマーに戻る。積立金は――それは条文次第だ。
数字が合う方を選ぶ。
それだけのことだった。
---
*バウマンの返事は午後に来た。「移譲先の指定は可能です。ただし継承規定違反の処分を受けた者を移譲先に指定する場合、枢密院の承認が必要です。処分の内容によっては認可されない場合があります。様式第二十七号と百二号、両方お持ちします」*
*アーデルハイトはその返事を読んで、手帳に書いた。枢密院承認。処分の内容次第。調べる必要がある。*
*数字はまだ全部合っていなかった。でも合わせる方法は見えてきた。*
---
## バウマンの調査
バウマンが次に来たのは二日後だった。
いつもより少し遅い時間で、鞄の中の書類が多かった。パンには珍しく自分から手を伸ばして、それから言った。
「調べました」
「移譲の件?」
「それも。ただその前に」と彼は言った。「別の規程が出てきました」
アーデルハイトは手を止めた。
「継承規定の附則です。正確には、継承規定第三十八条の二、領地単独王室返還規程。通称は記録に残っていませんが、法務局の文書では『格式保全規程』と呼ばれていた形跡があります」
「どういう内容?」
「領地の統治能力を失った、あるいは当主が統治を行使できない状況にある貴族家が、領地のみを王室に返還し、家格と爵位を維持するための規程です」
アーデルハイトはしばらく黙っていた。
「領地だけ、返せる」
「はい。爵位は残ります。フォン・ヴァルトブルクの名前は残ります。ただし領地は王室直轄地に繰り入れられます。以後の土地収益は王室に帰属し、当主にはなにも入りません」
「家の維持費は?」
「自費です。爵位は名乗れますが、収入源としての領地はない。首都で暮らすなら、自分で稼ぐ」
「……」
「最後にこの規程が使われたのはいつかも調べました」
「いつ?」
「建国百三年です」とバウマンは言った。「百年近く使われていません。ただし廃止されてもいない。現役の規程として継承規定に存在しています」
アーデルハイトは窯の方を見た。火が均一に燃えていた。
「様式はある?」
「あります。様式第六十四号、領地単独王室返還申請書。書式は古いですが、現行の様式統括室に確認したところ、有効です。ただし」
「ただし」
「この規程の申請には、土地台帳局・財務局・宮内局の三局による審査が必要です。建国百三年の事例を参照すると、審査期間は約四ヶ月。そして」バウマンは少し間を置いた。「百年使われていない規程を動かすことになるので、法務局が前例として記録に残します。お嬢様の名前が規程の歴史に刻まれることになります」
「記録保管庫に」
「永久保存室に、おそらく」
アーデルハイトは少し笑った。おかしいような、おかしくないような笑い方だった。
「消えない記録が、また増えるのね」
「本家国はそういう国です」
---
## 計算
その夜、アーデルハイトは選択肢を並べた。
手帳の新しいページに、三列書いた。
**廃家**。爵位も領地も全部王室へ。積立金も含む全財産が帰属する。クレッツマーに戻る。数字はきれいに終わる。ただしクルトの十七年も一緒に消える。
**保有継続**。爵位も領地も持つ。領地の管理義務が発生する。見たこともない土地の責任を負う。数字が合わない。今の自分には管理できない。
**第六十四号**。領地を返す。爵位は残る。収入はない。名前だけ持って、パンを焼く。
アーデルハイトは三つを見比べた。
廃家は綺麗だ。全部終わる。ただ、母のリーナがこの国に残した唯一の痕跡が、記録保管庫の出生届だけになる。父カールが戦場に出る前にクルトに頼んだことも、クルトが十七年積み続けた二千銀貨も、全部数字として王室の帳簿に吸収される。
保有継続は重すぎる。自分には今、領地を持つ力がない。持てない重さを持つことを帳尻と呼ぶのは違う。
第六十四号は、百年誰も使わなかった。
百年使われなかった理由を考えた。統治能力を失った家は、たいてい廃家を選んだか、あるいは誰かに頼んで実態のない当主のまま名前だけ残したか、どちらかだったのだろう。名前だけ残すために正式な手続きを取る、ということを考えた家が、百年間なかった。
ただ規程は残っていた。
本家国は、使われない規程でも消さない。必要だと判断したから作られたものは、必要がなくなったように見えても残しておく。百年後に必要になるかもしれないから。
アーデルハイトは手帳を閉じた。
数字が合った。
---
## 翌朝
「第六十四号を申請します」
バウマンはパンを持ったまま、少しの間だけ止まった。
「確認ですが、爵位は残ります。フォン・ヴァルトブルクの名前を今後も名乗ることになります。収入源としての領地はなくなります」
「知っています」
「積立金の二千銀貨は、この手続きでは王室に帰属しません。お嬢様の個人資産として残ります」
「それも知っています。クルトが私のために積んだものだから」
バウマンはパンを置いた。
「領地は王室直轄地に繰り入れられます。現在そこに住んでいる人々の生活は、中央の管理下に入ります。それについては?」
アーデルハイトは少し考えた。「そこに住んでいる人たちにとって、私が当主でいることと、王室直轄になることと、どちらが良いと思う? あなたの私見で」
バウマンは珍しく少し考えてから答えた。「実態として、直轄地の方が中央の行政規定が直接適用されます。監督署の整備状況も直轄地の方が手厚い。小規模な伯爵家の当主が遠隔管理するより、安定する可能性が高いです」
「それも計算に入っています」とアーデルハイトは言った。「様式を持ってきてください」
---
## 様式第六十四号
書式は古かった。
百年前の書式をそのまま使っているので、書き込む欄の名称が現行の行政語と微妙にずれている箇所があった。バウマンが法務局・様式統括室に確認を取って、対応する現行欄を鉛筆で書き入れてくれた。
アーデルハイトは一つずつ確認しながら書いた。
当主名。爵位。返還対象領地の所在。返還の意思表示。家格維持の意思表示。申請日。
最後の欄に署名するとき、アーデルハイトは少し止まった。
フォン・ヴァルトブルク。
初めて書いたのは移行期間申請書だった。次が会計検査局への帳簿提出書。それからランゲへの報告書。今日が何度目か、数えていなかった。
ただ毎回、筆跡は迷わなかった。
今日も迷わなかった。
署名を入れて、バウマンに渡した。
「提出をお願いします」
バウマンは書類を受け取って、丁寧に鞄にしまった。
「審査期間中に何か問い合わせがあれば、私を通してください」
「わかりました」
「ひとつだけ」とバウマンは言った。「私見を申し上げていいですか」
「どうぞ」
「百年使われなかった規程を使う理由は、百年使われなかった事情があったからです。それを使うと選んだのは」彼は少し間を置いた。「この規程が想定した状況に、初めてきちんと合致する案件が出てきたからだと、私は思っています」
アーデルハイトは少し考えた。
「規程が百年待っていたということ?」
「本家国の規程は消えません」とバウマンは言った。「必要な時が来るまで、記録保管庫で待っています」
アーデルハイトは窯の方を向いた。
「そういう国なのね」
「そういう国です」
---
## 四ヶ月後・承認と評価額
土地台帳局・財務局・宮内局の三局による審査は、四ヶ月と六日かかった。
承認の書状はランゲ上席審査官が直接持参した。もう一通、封筒が鞄に入っていた。
「様式第六十四号、領地単独王室返還申請。三局審査完了、承認。フォン・ヴァルトブルク伯爵家の爵位及び家格は維持されます。領地は本日付で王室直轄地に繰り入れられます」
それから彼は付け加えた。
「本件は法務局の記録として、継承規定第三十八条の二の適用事例第二号として永久保存室に収められます。第一号は建国百三年です」
「百年ぶりの第二号」
「はい」
アーデルハイトは承認書を受け取った。
「もう一つあります」とランゲは言った。「土地台帳局からです。様式第六十四号の付帯手続きになります」
封筒の表には「領地時価評価通知書・土地台帳局発行」と書いてあった。
アーデルハイトは開けた。
数字を見た。
もう一度見た。
「……六万七千五百」
「銀貨で」とランゲは言った。「土地台帳局が農地・牧草地・附属施設を個別評価し、標準乗数十五年分で算出した時価です。この金額が、領地返還と引き換えにお嬢様に支払われます」
アーデルハイトはしばらく書類を見ていた。
「なぜ、支払われるの」
ランゲは少し間を置いた。説明することに慣れていない話をするときの間だった。
「継承規定第三十八条の二が制定された経緯があります。建国百年前後、統治能力を失った小貴族家がいくつかあった。領地は荒れ、住民の生活が悪化した。しかし当主は爵位への執着から領地を手放さなかった。王室が強制的に召し上げようとすれば係争になり、時間がかかる。その間も領地の荒廃は続く」
「だから」
「買い取る制度を作った。時価で。当主が自分から申請すれば、正当な対価が支払われる。強制ではなく、自発的な手続きとして。そうすることで、王国の国土管理が滑らかに機能する」
アーデルハイトは書類を置いた。
「統治がへたくそな貴族から、土地を穏便に取り戻すための規程」
「そのように解釈することもできます」とランゲは言った。「ただ記録上の表現は、より婉曲です。『当主が領地管理を行使できない状況における、国土の安定的管理への貢献に対する対価』となっています」
「婉曲ね」
「本家国の規程は、相手の体面を潰さない言い方を選ぶことがあります。体面が傷つくと、申請する側が躊躇するから」
アーデルハイトはしばらく考えた。
「百年前に一度使われた。その時の相手も、この額をもらった?」
「記録があります。建国百三年の事例では、評価額が四万二千銀貨でした。当時の当主は翌年、首都で商会を開いています。その後の記録は残っていません」
ランゲは帰り際に、珍しく少し間を置いてから言った。「パンを一つ、いただいてもいいですか」
アーデルハイトは少し驚いた。ランゲが自分からそういうことを言ったのは初めてだった。
「どうぞ」
ランゲはライ麦パンを受け取って、一口食べた。
「うまいですね」
「毎朝四時に起きて焼いています」
「それは」とランゲは言った。「伯爵家の当主でも変わりませんか」
「変わりません」とアーデルハイトは答えた。「パン屋は数字が命ですから」
---
*その日の夜、アーデルハイトは手帳に日付を書いた。その下に一行だけ書いた。「数字が合った」。それから手帳を閉じて、明日の仕込みの準備をした。小麦粉の残量、薪の量、釣り銭。全部合っていた。フォン・ヴァルトブルク伯爵家の当主であることと、クレッツマー焼き場でパンを焼くことは、アーデルハイトの中では同じ棚に並んでいた。どちらも記録に残る。どちらも消えない。それだけのことだった。*
---
## 王立学院
「六万七千七百銀貨の使い道について、相談したいことがあります」
バウマンはパンを置いた。
「聞きます」
「王立学院に、入学できますか。成人の、しかも伯爵家当主の入学事例はありますか」
バウマンは少し考えた。それから自分が何を考えていたかに気づいたような顔をした。
「失礼しました。調べるまでもありません」
「どういうこと」
「王立学院は入学試験の成績で判定します。身分は問いません。平民でも入れます。エリザベータ王女殿下も通われました。伯爵家当主が入れない理由がありません」
「じゃあ」
「入試を受けてください」とバウマンは言った。今度は迷いがなかった。「試験日程は年に二回。次回は春季です。受験届は様式が——」
「様式がありますね」
「あります」
アーデルハイトは少し笑った。「問題は成績だけ」
「そうなります。財務局方向であれば、算術・行政語・規定読解の三科目が主要科目です」
「算術と規定読解は、帳簿を三ヶ月読んでいたので多少は」
「行政語は」
「毎日バウマンさんの書類を読んでいます」
バウマンはパンをもう一口食べた。「では、受験届を持ってきます」
---
## アーデルハイトの答え
バウマンが三つの選択肢を説明し終えたのは、昼過ぎだった。
アーデルハイトはパンを切りながら聞いていた。全部聞き終えてから、少しの間だけ考えた。
思ったより時間はかからなかった。
「独立で」
バウマンは少し間を置いた。「理由を聞いてもいいですか」
「オーバーハウゼン侯爵の下に留まるのは」とアーデルハイトは言った。「侯爵が私を受け入れるかどうかが最初に決まっていない。こちらから続けますと言える話ではない。それが一つ」
「もう一つは」
「首都の高位貴族の下に入るのは、相手が何を求めているかわからない。わからない取引は数字が合わない」
バウマンは手帳を出した。記録する気配だった。
「独立は、一番守られない」
「知ってます」とアーデルハイトは言った。「でも守られない代わりに、誰かの計算に組み込まれない。今の私には、まだ返せる義理がない。返せない義理を受け取るのは、負債を帳簿につけないのと同じことだと思っている」
バウマンはしばらく何も書かなかった。
「パン屋の娘らしい理由ですね」
「そうかもしれない」とアーデルハイトは答えた。「ただ、どれでも生きていけると思っている。だから一番正直な方を選んだだけです」
バウマンは手帳に書いた。
「独立貴族の届出は様式――」
「様式がありますね」
「あります」
アーデルハイトは窯の方を見た。今日の午後の分がそろそろ焼き上がる時間だった。
「一つ聞いていいですか」
「どうぞ」
「バウマンさんは、どれだと思っていた?」
バウマンは少し止まった。補佐官として答えるべきか、人間として答えるべきか測っているような止まり方だった。
「独立だと思っていました」と彼は言った。「最初から」
「なぜ」
「領地を返すのに百年使われなかった規程を選んだ人が、守られるために誰かの下に入るとは思えませんでした」
アーデルハイトは少し笑った。
「それは褒めているの?」
「事実を申し上げています」とバウマンは言った。
窯がぱちりと鳴った。パンが焼き上がった音だった。
---
*様式の届出は翌日に提出された。記録保管庫にはその日付で「フォン・ヴァルトブルク伯爵家・独立貴族登録」が刻まれた。届出人の職業欄には、バウマンが確認のために「何と書きますか」と聞いた。アーデルハイトは少し考えてから「パン職人」と答えた。バウマンは何も言わずに書いた。本家国の記録は、そういうことも消さない。*




