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貧乏男爵家の調査官日誌  作者: 林はるる


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石の記憶


 ジェーンの噂を聞いたのは、王都の郊外をジュリウスが現地視察している時だった。


 村人たちによると、最近この辺りに出没するようになった盗賊たちが、小さな女の子らしき人影を連れているという。


「その女の子とやらは盗賊の一味……誰かの子どもかなにかなのか?」


「わかりません。たまたま道ばたで休んでいたものが、盗賊たちが馬で通る所を見かけて」


 怖くてよく見なかったという。くわしく聞いてみると、三月も前からその噂は流れていた。だが本人たちが気にしているとおり、見たということは、見られたかもしれないということだ。


 相手がその気になれば、簡単に首をはねられる状況で、じろじろ見たりはしない。隠れるのに精一杯だ。


 そんな話を聞かされて放っておく訳にもいかず、早速、盗賊たちの根城を探し始めた。突然、現れた子ども。誘拐されたか、人身売買か。速やかに保護しないといけない。


 そうは言っても簡単に見つかる訳もないと思ったが、目撃情報を丹念に集めていくと、根城の予想が付いてきた。リックがよくやるように、頭の中の地図に、目撃情報や犯行現場の場所を落とし込んでいき、その中心を狭めていく。どうやら王都の東にある、ルクルム山に潜伏しているようだった。


 ブラック号に乗り、あちらこちらを偵察するが、真面目ではあるものの本気ではない。盗賊たちは人を殺す技術に長けており、人数もいる。だから情報を集めて、後日まとめて襲撃するつもりだった。目の前でジェーンを見るまでは。


 山道をぽくぽくと歩いていて、木の上にある無人の見張り小屋を見つけ、様子を見ようと近くまで寄った。足元が悪かったためブラック号からおりて、背の高い草むらをかき分けていると、地面の震動と、何頭もの馬が走る音が響き、盗賊たちが駆け抜けていったのだ。


 草むらを通して見たところ、盗賊たちは場違いな女の子を抱え、非道なことにその口に手荒く猿ぐつわまで噛ませていた。女の子は見たところ全身が真っ黒に汚れ、怪我でもしているのか、頭を包帯のようなものでぐるぐるに縛っている。盗賊のような非人道的な輩の、胸が悪くなるような子どもへの仕打ちを見たジュリウスは、強く眉をひそめた。


 見てしまった以上、放っておく訳にもいかず、かといって救出するのも困難に思えたため、取りあえずできる限りのことをしてみようと、ブラック号を隠して山中にわけいった。山の中には、いつから作っていたのか、立派な根城ができあがっていて、野蛮ではあるが案外便利な生活をしているようだ。


 心配していた女の子のほうはちょこまかと働いていて、火の番をしていたかと思うと、じゃがいもをむいていたりする。盗賊に働かされてはいるようだが、本人にはそれほど悲壮感はないようだ。


 だが気になったのは、ひどく痩せているということで、どうもきちんと食べさせてもらっていないのではと思われた。今、連れ出しては目立つと思い、じっと彼らの賑やかさが収まるのを待つ。


 深夜になり、ほとんどのものが寝付いたところで、ジュリウスはこっそりと近づいていった。待っている間に山中で摘んできた天仙子に火をつけ、風上から酩酊効果のある煙を流す。気休めだがないよりはましだろう。


 いざとなったら逃げればいいとはいえ、努力はしようと限界まで女の子に近づいていく。ここまできたが、もし不審がられて、騒がれたらおしまいだ。うたた寝していた女の子につけられていた、首輪の鍵を外して取ると、起きて不思議そうな顔で見上げてきた。


 子どもは一度パニックを起こすと、なかなか鎮まらないし、とにかく暴れる。だから、ただその子の頭を優しく撫でつけた。すると、まるで誰かを思い出すかのように、じっとジュリウスを見ていたジェーンは、抱えられると黙って従った。幼い割には冷静で、相当に肝が据わっているように見える。連れ出すのに成功したことに安堵する。


「名前はなんて言うんだい?」


「……」


 根城を脱出し、名前を聞くと、怯えているようには見えなかったが、なにも答えなかった。


「ないと不便だから、ジェーンって呼んでいいかい?」


 こくりと頷いたので、不満はなさそうだ。


 急いで脱出したジュリウスは、ブラック号を隠していた所まで戻ると、飛び乗って駆けだした。ほの白い月明かりを頼りに走り出す。もう少し待った方が月がもっと高く上り、まわりが見えてきて逃げやすくなる。だがそれは敵も追撃しやすくなるということだった。数で負けているこちらは、とにかく早く遠くまで逃げなければならなかった。


 だが、「しっかりつかまって」と言ったのに、ジェーンは両手を離し、手で口を押さえている。様子を伺うと、妙に鉄くさい匂いを感じた。まさか……と思い、ブラック号のスピードをだんだん落として、路の真ん中で立ち止まると、ジェーンに話しかけた。


「舌を噛んでしまったのか?」


 こくこくとジェーンは頷いた。


 その時様々な考えが、ジュリウスの頭の中を駆け巡った。ジュリウス一人なら、この状況もそれほど恐ろしくはない。とにかく全速力で逃げればいい。


 だが小さなジェーン、それも馬を早く走らせると、舌を噛んでしまうような、か弱さの子どもと一緒では、逃げの一手だけでは至難の業に思えた。


「歯を食いしばってごらん。ほら、こんな風に」


 ジェーンは真似をして、食いしばったものの、少し困った顔をしている。


「馬に乗っている間はそうしているんだ。できるね?」


 それまで黙って頷いていたジェーンが、始めて首を縦に振らなかった。


「もしかして……できないのかい?」


 こくこくと頷く。


 ジェーンの体の小ささだと、馬の振動が激しくて、歯を食いしばるのにも限度があるのだろう。そうなると、追っ手がいるにもかかわらず、のんびりぽくぽく進むか、猿ぐつわでも噛ませて運ぶしかない。


 猿ぐつわ……。


「…………もしかして。盗賊たちが君に猿ぐつわを噛ませていたのは、親切心から……なのかい?」


 またこくこくと頷く。


 なるほど、確かに運搬する度に舌を噛まれては、たまらないだろう。あのスタイルは、非道な盗賊の、小さな親切だったらしい。盗賊の真似をして懐から布を出した。


「舌を下の顎にくっつけて、少し歯を開いてごらん。きつくしばらないと駄目だから、我慢するんだよ」


 猿ぐつわを噛ませるとようやく安定し、それなりの速度で馬を走らせることができた。勝手に悪逆非道な盗賊どもめと腹を立てたが、とんだ言いがかりだったようだ。なにごとも直接聞いてみるまではわからないものだと独り言ちる。


 走っている最中に眠ってしまったジェーンを、自分の体に縛り付け、中腹まで降りると里への道から一本ずれた道を走り始めた。真っ直ぐに王都に向かうと、おそらく途中で追いつかれてしまうだろう。少し遠回りをして追っ手の数を減らすか、運が良ければ、まければと思ったのだ。


 それに暗い月明かりの中、これ以上馬を飛ばすのは危険だ。少し降りた所で川を渡り、そこの背の高い草むらの中で火をおこし食事をとることにした。


 川にある大きめの石をかまどのように並べ、薪代わりの枝をくべていく。荷物の中にあった鉄鍋をかけ、水を沸かしていると、ジェーンが興味津々に見ている。


 ジュリウスはジェーンの頭や顔に、ぐるぐるに巻かれている包帯が気になり、許しを得て取った。下から真っ黒に汚れた顔と髪が出てきたが、別になにか怪我をしているとか、痣があるなど、変わった所はない。


 この時、盗賊がした猿ぐつわには、意味があったことを思い出しさえすれば、用心したはずだ。だが汚れているのが気になって、つい取ってしまった。なぜこんなものを巻いていたのだろうと思いつつ、ジェーンに火の番をまかせ、荷物の中から食糧を取り出した。


 そしてほんの一瞬、目を離した隙に、ジェーンの髪の毛や服にちろちろと火が付き、火だるまになっていた。火吹き棒がなかったため、ジェーンはたき火に顔を近づけ、直接、息を吹きかけていた。そして無造作に火に近づいたため、髪や衣類が燃えてしまったのだ。


 声に出さない悲鳴を上げたジュリウスは、ジェーンの首を猫のようにつかむと、目の前の川に勢いよく投げ込んだ。水はほとんど跳ね返らず、案外、浅かった川底で頭を打ったらしく、ジェーンは気絶した状態でぷかりと浮かんできた。


「……これは……すまない」


 もしかしたらジュリウスと出会ってからの方が、ジェーンは怪我をしているのではないかと不安になり、今さらだが丁寧に水から引き上げようとして、火傷の状態が気になり、また水につけた。


 ジェーンがどこから売られた子どもなのかわからないが、大がかりに捜索されていないということは平民の子どもの可能性が高い。身分も財産もない平民は、その身一つで生きていかないといけない。体が不自由だったり、外見に火傷や痣があったりしたら、それだけで人生は終わったといっても過言ではない。


 深刻に考えたジュリウスは、ジェーンを川の水につけると水をかけだした。火傷はとにかく早急に冷やすのが一番だ。だが真夏とはいえ夜の川の水は冷たい。途中で気がついたジェーンは寒いのだろう。逃げようと必死に暴れている。


「寒いのはわかるが、少し我慢してくれたまえ。痕が残ったら消えないからな」


 風邪をひいてもおかしくないほどの荒行を無理強いし、心を鬼にして水をかけるジュリウスだが、内心ではなんだか格好が付かなくて空しい気分だった。


 気の毒なジェーンを十五分ほど流水にさらしたあと、たき火の所へ戻った。荷物の中から着替えを取りだし、よく拭いたジェーンに着せる。


「両手あげて。はい。ばんざーい」


 がくがく震えているジェーンをたき火の前に座らせると、また必要以上に火に近づこうとした。それをあわてて止めながら聞く。


「もしかして……今まであまり火を扱ったことがないのか? 盗賊のところで覚えたのか?」


 ジェーンが頷いた。ジュリウスは額に手をやり、まるで拝むように夜空を仰いだ。


「なるほど。そういうことか。わかった。前にも火傷したことがあるんだな。盗賊のところで」


 こくこくと頷く。


「つまり…………、あの包帯は。頭や顔にぐるぐる巻きにしていた包帯は、盗賊たちが親切で巻いていたのか」


 年頃の婦人のように、髪をまとめる道具も技術も誰も持っていない。かといって火傷をしたら可哀想だし、売り物にもならなくなる。余っていた包帯でぐるぐる巻きにし、髪をまとめたのは、彼らなりの親切だったようだ。


 ジュリウスはなんだか、身につまされたような気分になった。別に英雄気取りではないが、ちょっとした親切のつもりで子どもを救出したら、次々に怪我を負わせてしまい、盗賊のほうが配慮があったと気づかされてしまったのだ。


 空しい気分で、鉄鍋に改めて水を注ぎ、料理の材料を入れ始めた。


 オーツ麦をコトコト煮込んで柔らかくし、あまったお湯をジェーンに飲ませる。ジェーンはなにをしでかすか、わからない怖さがあるため膝に抱え、火に近づけさせないようにするが、よほどお腹がすいているらしい。


 何度も鍋をのぞこうとし、子ども特有の落ち着きのなさで、足をじたばたさせている。それでいて寒いのだろう。背中をジュリウスにぴったりとくっつけるので、ジェーンの激しい蹴りがもろに足にあたる。


 そんな苦行をじっと耐え、煮込んだ所で、粉末ミルク、バター、糖蜜、塩を加えた。ジェーンはかなり痩せているし、空腹のようだから甘めにした。子どもは冷めるのを待てないので、水を足して少し冷まして、ブリキのカップによそうと完成だ。これで苦行から逃れられるとほっとして、ジェーンに渡そうとしたが、なにか嫌な予感がした。


 そのためカップを強く持ったまま、ジェーンに差し出すと、まるで飲み干すかのように、満杯のカップを傾けたのだ。当然、カップの中身はジェーンの顔にぶちまけられ、こぼれていった。ジュリウスが力ずくでカップの角度を戻すと、顔中お粥まみれのジェーンは泣きながら残りを食べている。


 おそらく極度の空腹から、食欲のほうが勝ってしまって、勢いで食べ物をこぼしてしまったのだろう。こぼしてしまったことに自分でショックを受け、涙をこぼしながら、がつがつと口に入れ、顔中に麦をくっつけている。


 ジュリウスは習い性で、ジェーンの顔から麦を一粒ずつ指で取ると、カップに戻していった。食べ終わり空になったカップを見て、ジェーンはちらちらと鍋の残りに目をやった。ジュリウスも空腹だったが、諦めて残りをすべてジェーンにわけてやる。


 強くほしがったのだから仕方がないだろうと、その時は思ったのだ。顔を拭いてやり、道具を片付けて、火の始末をすると仮眠を取る。


 あと二三時間で夜明けだった。


 うとうとしていると馬の足音が響き、ジュリウスはびくりと体を震わせ目を覚ました。空が真っ暗闇から青色に変わっており、うっすらとだが景色がわかるほど明るくなっている。そっとあたりを伺うと、たいまつを掲げた盗賊二人が周辺を偵察しているようだ。


 ブラック号の手綱を引き寄せ、すぐに逃げられるようジェーンをたぐり寄せた。ところがこんな時に限って、ジェーンが大きなうめき声を上げたのだ。お腹を押さえてうんうんと唸っている。たちまち盗賊たちに見つかり、剣を持ったものと、弓を持った二人組に前後を阻まれた。


 この状態のジェーンを馬に乗せて逃げるわけにもいかず、諦めたジュリウスは、一人盗賊に立ち向かった。


「なんなんだ。お前は。商売敵には見えねえし。役人がこんな危ない橋を渡るとも思えねえし」


 盗賊は激怒し、じろじろとジュリウスを見た。


「この少女をどこからさらったのだ」


「さらったんじゃねえよ。そいつは売られたんだ。だがまだガキだから、もう少し育ててから商品にするか迷ってて……」


 ブラック号の足元で、お腹をおさえているジェーンに、盗賊は目をやった。


「………………お前なあ。いっぺんに飯を食わせでも、したんじゃないのか? ガキは我慢がきかねえ動物なんだから、そんなことしたら腹を痛くしちまうだろう。人買いの俺が言うのもなんだが、もう少し気を遣ってやれよ」


 人身売買を行う非道な連中に、呆れたように気を遣えと怒られ、やりにくいことこの上ない。しかも言われたことは別に間違っていない。欲しがるからつい与えてしまったが、今にして思えば、あんなに痩せた体に確かに食べさせすぎたようだ。もう少し消化の具合を見て、ゆっくりとあげればよかったとどんよりと後悔する。


 まあしかし盗賊たちがジェーンを商品として見ているのなら、これから行われる殺し合いで、この子の身に危険が及ぶことはないということだ。


 さりげなく殺気を隠し話しかけてくる、目の前の盗賊には気を払わず、背後の弓兵に神経を集中する。いつでも抜けるように、そろりと剣に手を伸ばすと、背後から弓の弦音が響いた。


 だがそれよりも前に弓を引き絞る音が聞こえ、ブラック号が反応し警告するようにいなないた。ジュリウスはだらりとした姿勢で立っていた体に力を入れ、背中側に立っていた男の馬の正面に横っ飛びで回り込んだ。それまで立っていた場所に、遅れて矢が突き刺さる。


 弓を構えていた男は、死角に回り込まれ、二の矢の狙いが不確かになり、咄嗟に判断が遅れたようだ。抜いた剣でジュリウスは馬の胸を浅く刺すと、パニックを起こした馬が後ろ足立ちし、前足で激しく空をかいた。男は放り出され、地面に落ちた所で喉を一閃すると、もう一人の盗賊の怒声が響き渡る。


「コノヤロオォ!」


 返り血を浴びないようにさっと下がった所に、もう一人の男が馬に乗り剣を振るってきた。あまり距離がなかったため速さはでていない。姿勢を低くしてなんとか一太刀目をやりすごすが、騎馬兵の威力はさすがだ。


 ジュリウスは河原にあった石を拾うと、情け容赦なく向かってきた馬の顔面にぶつけた。気の毒な馬は短く鳴いて、ジュリウスを目前にしながら向きが右にそれた。つられて横を向いた盗賊の足に剣を突き立てると、血がほとばしった。落馬した男にも止めを刺す。


 ここは街から離れた山の中で、彼らを手当てするものはいないし、道具もない。中途半端に怪我を負わせて放置するよりも、捕まったらその場で縛り首の盗賊たちには、止めを刺すことがせめてもの慈悲だと感じたのだ。


 すっかり明るくなった河原で剣の血を落とし、入念に水気を拭き取る。鞘に戻し、ジェーンの様子を見ると、腹痛が落ち着いたのか、すやすやと眠っていた。


 ブラック号の側には、先ほど胸を刺した馬と、石を当てた馬がいた。傷口を確かめると、触られるのが怖いのか、歯を鳴らしている。非道なジュリウスがいることに不満そうだが、ブラック号という仲間がいることに安心して、挨拶し合っている。このまま街までついてきそうだ。


 そう。ここから街まですぐだ。

 おまけに明るい。


 余裕が出たジュリウスは、また火をおこすと、朝のお茶を作り始めた。濃いめにいれ、昨晩と同じように粉末ミルク、バター、糖蜜、塩に、シナモンパウダーを加えていると、匂いで目が覚めたジェーンが背中から、子ども特有のなんの遠慮もない怪力でしがみついてくる。


 荷物からふかし芋を取り出し、用心してほんのちょびっとの欠片を与えた。


「はい、あーん」


 ジュリウスの指をかじりとらんばかりの勢いで噛みつくと、ほとんど噛まずに飲み込む。そしてすぐに口をぱくりと開けておねだりをしてくる。勢いのまま食べさせて、また腹痛を起こさせても。喉につまらせても。などと悪いことばかりが頭に浮かぶ。


 時間をかけて芋を食べさせ、お茶を飲ませて、体調が悪くならなかったのを確認しつつ、精神的にへとへとになって下山することにした。




 本部に戻ると、安堵した顔のリックに出迎えられた。


「良かった。しばらく行方不明になっていたと聞いて心配していたよ。その子は……」


「ルクルム山の山中に潜んでいた盗賊たちに、捕らえられていました。誘拐され人身売買されそうに」


「へー。ジュリウス君にすごくなついているね」


「……おそらくは、私が彼女の知っている誰かに、似ているのではないかと思われます」


 保護されたジェーンは、ジュリウスの背中から離れず、そこしか安全な場所はないとばかりに力尽くでしがみつくため、息ができるように、つねに喉元をゆるめる羽目になった。


 時間がなくリックの執務室で、中途半端に紙とインク壺を置いて、本件にかかわる書類を書いていると、そんなジェーンがペンを欲しがった。


「もしかして……字が書けるのか?」


 紙に意外にもわかりやすい丁寧な字体で、「アニス・リブソン」と書いた。そこへリックが戻ってくる。


「盗賊の方は人をやって潰しにいったよ。……君はアニスというのか」


 しばらく黙っていたが、難しい顔になったリックはこうつぶやいた。


「行方不明届けに、リブソン家の名前はなかったと思う。となると人身売買は身内の犯行だろうね」



◇◇◇◇◇◇



 アニス・リブソンという氏名の八歳の女児は、旧市街と新市街の両方に大きな住まいを抱える、リブソン商会の一人娘として記録されている。


 しがみつくジェーンを無理矢理引き剥がして、暴れるのを力尽くで柱に縄で縛りつけて、リブソン家に赴くと、そこでアニス・リブソンと名乗る、驚くほどよく似ているが別の女児を紹介された。リブソン家では経営者夫婦が突然の事故で亡くなり、一人残されたアニスが意気消沈しているという。これからは親族が一丸となってアニスを支えていくと、所信表明を聞かされた。


 その後、いろいろ周囲を聞き込むと、リブソン家は経営者夫婦が亡くなって急に人の出入りが激しくなり、商会の方も親族がぞろぞろと出入りするようになり、経営者夫婦を支えていた番頭夫妻が追い出されたという。番頭夫妻がいないと仕事がまったく進まないのに、そのことをいくら親族たちに言っても駄目だとか。


 早速ブラック号を飛ばして番頭のルフタン宅を訪れた。そして一目見て、様々なことに合点がいき、開口一番に大事なことを告げた。


「本物のアニス・リブソンを保護しています」と。


 ルフタン夫妻が本部を訪れた姿を見て、リックに縄をほどいてもらって、ソファの上で小さくなっていたジェーンは、驚いてぴょんと飛び上がるように不安定に下りた。まるで犬のように夫妻めがけて走り出し、勢いのまま部屋の中央で派手に転んでしまった。


 すると今までどんな時もずっと無表情で耐えていたジェーンは、まるで赤ん坊のようにその場で声を上げて大泣きし始めたのだ。


「じいじ。ばあば」


 夫妻はジェーンに駆けより、抱きしめると「無事で良かった」と慰め始めた。信頼している人たちに再会でき、やっと声が出せるようになったようだ。


 経営者夫妻とルフタン夫妻は、協力し合い、支え合ってきた。そこで育ったジェーンは親族よりも、ずっとルフタン夫妻に懐き祖父母代わりにしてきた。ようやく子どもらしい子どもに戻れたようだ。


「似ている」


 横からリックがつぶやくのが聞こえた。ルフタンとジュリウスは、年齢も違うし、容姿が似ているわけではないが、黒髪に黒い瞳で、全体的に地味な装い、地味な見た目が似ており、アニスの安心感を誘ったのだろう。


 リブソン商会についての、ジュリウスの報告を聞いたリックはしばらく考え込んだ。


「経営者夫婦は殺されたのだろうね。親族たちが手を組んでいるのなら、犯罪の証明は難しいな。だがアニスを、子どもだから売ってもばれないだろうと油断してのことなら、なにか証拠を残すようなへまをしているかもしれない」


 そうは言っても親族たちの堂々とした態度。証拠はもう隠滅されたのだろう。


「ジュリウス君はどう思う?」


「リブソン夫妻を殺害して、アニスを親戚のよく似た子どもと交換した。夫妻の遺言状により、アニスに残された財産が狙いでしょう。裁判所に偽のアニスの遺産相続について、異議申し立てをしましょう。本物のアニスは別にいると」


「どちらのアニスが本物か、どうやって証明するんだい?」


「ルフタン夫妻と話しました。たぶん手はあると思います」



◇◇◇◇◇◇



 アニス・リブソンの、遺産相続および後見人の決定について、ラムレイ男爵家のジュリウスから異議申し立てが行われた。リブソン家で保護されているアニスは偽物であり、ジュリウスが保護したジェーンが本物だと。リブソン家の親族たちはこれを否定し、自分たちのアニスが本物だと主張した。


 関係者が集められた裁判では、親族が代わる代わる証言し、家庭教師もそう証言した。アニスの乳母は亡くなっており、証言できない。番頭のルフタン夫妻の、ジェーンがアニスだとする証言は、店の権利を狙っているのだろうと激しく非難された。


 ジェーンとアニスの外見はよく似ており、話を聞いた裁判官も難しい顔をしている。そして証言が出そろったところで、リックが部下に重たそうな荷物をいくつも持たせて乗り込んできた。親族たちが出払う裁判の日を狙って、非合法にリブソン家に侵入し、ジェーンしかしらない隠し場所から持ち出してきたものだ。


「その荷物は?」


 裁判官の問いに、ジュリウスが答える。


「私たちのアニス、……ジェーンの財産です。少しおもしろいものを、ご覧に入れようと思いまして」


 荷物がいれられている箱に押されている焼き印を見た、親族の一人が叫んだ。


「それはリブソン家所有の、宝石コレクションではないか。一体どこから」


「なんのことでしょう。これはすべてジェーンのものです。言いがかりは止していただきたい」


 記録をめくっていた裁判官は、気軽に立ち上がって直接荷物を改めだした。


「これはリブソン家が遺産相続手続きの時に、所在不明と言って、提出できなかったコレクションの大部分ですね。どうしてあなた方が……?」


「ジェーン、つまり本来の持ち主が場所を教えてくれまして。ご親族の方々はどこにあったのかもご存じないようだ」


 わなわなと震えていた親族は、たまりかねて大声を出した。


「どこにあったかなんて関係ありません。リブソン家の財産なのは明らかです。我々のものです」


「アニス殿のものではないのですか?」


「……」


 裁判官は席に戻ると、ジュリウスに話しかけた。


「おもしろいものというのは、なんですか」


「実はジェーンは、宝石の鑑定が得意なのです。ですからここでそれを証明しようと」


「なるほど。それで二人のアニスさんの区別をつけるのですね」


 ジュリウスがちらりと親族たちを見ると、全員自信ありげな顔をしている。偽のアニスは、本物が得意な楽器演奏から、刺繍までこなした。外国語は本物ほど上手くはなかったが、それでも違いを証明できなかった。ましてやジェーンの得意と言われている、宝石鑑定は修練を積んできたのだろう。


「それではこちらの鑑定をお願いします」


 ジュリウスは恭しく、コレクションの中から大きめの本サイズの木箱を取り出し、机の上に置いた。興味を持ったのか、裁判官や他の係官も近づいてくる。


「そちらのアニスさんも、ジェーンもこちらに来て下さい」


 それぞれが鑑定するのではなく、一緒で構わないと言われ、戸惑った様子の偽のアニスが近づいてきた。目の前に置かれたものが鉱物標本であることに戸惑いを隠せないようだ。何度も後ろにいる親族たちに目をやる。


「それではわかった方から、こちらの専門家に正解を囁いて下さい」


 ジェーンはろくに見もせず、身をかがめた専門家にすらすらと囁く。なんども頷いた専門家ははっきりと言った。


「こちらのアニスさん、……ジェーンさんはすべて正解です」


 裁判官は不思議そうにジェーンに尋ねた。


「ほとんど見ないで、正解を言えたのはなぜかな?」


「だってこれは両親が、私に買ってくれた初めての標本ですもの。空で言えますわ」


 偽のアニスの目が泳いでいる。あくまでもアニスそっくりになるよう、知識をたたき込まれただけで、別に本心から鉱物に興味があるわけではない。ましてや宝石の鑑定がなんとかできるようにさせられただけで、鉱物全般の知識なんて持っていなかった。


「アニスは鉱物なんかに興味はない。宝石にくわしいことで有名なのは、知られておるだろう。だから宝石の鑑定ができればいい話だ。さっさと別のコレクションを出したまえ」


 怒りだした親族は、後ろめたさを隠すように大きな声で怒鳴った。別のコレクションが出されれば、偽のアニスにも勝ち目はあった。なぜならコレクションは有名で、内容はある程度知られているからだ。


 ジュリウスはその言葉をじっくりと味わいながら、次の箱を出した。


「それでしたら、コレクションの中でもっとも貴重だと明記されている、こちらの箱を。保険会社の支払いも天文学的数値ですね」


 親族たちはざわざわと声を上げた。遺産のリストの中では、桁違いの保険料だったからだ。だが美しい螺鈿細工が施された箱の中に入っていたのは、汚くて、土に汚れたただの木箱だった。


「このコレクションは、蓋を開けずに、中の石の名をあててください」


「そんな」


 偽のアニスと親族たちは困惑したような顔を浮かべる。リストをチェックしても、中身がさっぱり想像が付かなかったからだ。


 ジェーンはくすくすと笑い出すと、なにごとかを専門家に囁いた。聞いていた専門家も笑い出してしまう。偽のアニスに、ジュリウスは話しかけた。


「コレクションの中で一番高価な物を、跡継ぎが知らないのはありえません。あなたは一体誰なのですか? ……偽のアニスさん」


 その場が静かになり、ジュリウスはそっと木の箱を空けた。中は乱暴に布で区切ってあり、ただの石ころが五個入っていた。


「これは私が五歳の頃」


 ジェーンが淡々と話し出した。


「庭にあった石灰岩を、鉱物標本みたいにしたくて、小さく削ったの。夢中でやったから手先がぼろぼろになったわ。でもお父様もお母様も怒るかと思ったら、すごくほめてくれて、その後に本物の鉱物標本を買ってくれたの。それがさっきのよ。『うちの娘は天才だ』って。『将来博士になるだろう』って。私が初めて作ったこの汚い標本を、『我が家の一番の宝にしよう』って。これはね。リブソン家でもっとも大切な宝物なの。そんなことも知らなかった、あなた方にはわからないでしょうけど」


 親族の内、気の弱いものたちはふらふらとし、床に膝をついた。この場の全員に聞こえるよう、ジュリウスは張りのある声で言った。


「あなた方のアニスさんは、鉱物には興味がないそうですね。事実、わからなかった。でもリブソン家の宝石コレクションで、もっとも高価に設定されているのは、ジェーンが五歳の頃に挑戦した手作りの鉱物標本だ。表面だけなぞって、アニスそっくりの子どもを用意することはできたようですが、ご両親との思い出までは教え込めなかったようですね」


 手作りの鉱物標本をコレクションのトップに据えたのは、ジェーンの両親にどんな計算があってのことだろうとジュリウスは考えていた。

 一見親馬鹿丸出しの行動だが、彼らは生粋の商人なのだ。娘を溺愛しているからといって、意味もなく大枚をはたいたりするとは思えない。

 いつかこのコレクションが、娘をなんらかの形で救ってくれるかもしれないと、計算した上でのことではないか。

 そして例え役に立たなくても、娘の手に自分たちとの思い出を必ず残そうと、足掻いた結果なのかもしれない。子どもを残して死なねばならなかった両親の気持ちを思うと、やるせない気持ちになった。


 裁判官はジェーンが、本物のアニスであるとの正当性を認め、その場で財産の相続手続きと、本人の希望により、後見人をルフタンとジュリウスに決定した。実務はルフタンがすべてを担当するが、巨額の遺産に、幼い後継者という組み合わせでは、貴族の後ろ盾があったほうがいいだろうと判断されたのだ。


 裁判所にいた親族たちはその場で逮捕され、首謀者三名が死刑になった。経営者夫婦の死はあくまでも事故で、殺人ではないと最後まで主張したが、身代わりの子どもの教育は一年も前から始まっており、言い逃れできるものではなかった。




 生活が落ち着いたジェーン……アニスを一月に一度、後見人としてルフタンの家に様子を見に行った。


 いつもアニスは猪のように突進してきては、すさまじい力で抱きついてくる。みぞおちと胴体にかかる重さがなかなかのもので、格闘技の才能があるのではないかと毎回思う。いや、思うだけでなく一度口に出した。


 するといつもにこにこしているルフタンに、力強く肩をつかまれて言われた。


「これ以上、強くしてどうするんですか。責任とって頂けますか」


 そう笑顔ですごまれては黙るしかなかった。確かにそうだ。


 目の前の棚には、二つ目の鉱物標本が飾られており、それを目にする度に、例え両親とは比べられなくても、この家でアニスは愛されているのだなと思い安心する。


 生活が落ち着いたからかアニスは背が少し伸び、ぶつかってくる場所がみぞおちなのは変わらないが、両手がもう少し上の方まで届くようになってきた。成長しているのだ。


 後、十年も経てば、アニスはすっかり大人の女性になり、舌を噛まずに馬に乗れるようになるだろう。燃やさないように髪の毛をまとめて、たき火を扱えるようになるだろうし、お腹がすいたからといって、こぼさずに食事ができるようになるだろう。


 苦労をしたアニスは、将来、商家を背負って立ち、国をまたいで活躍するほどの大人物になるのではないかと、後ろから抱きつかれ首が絞まっていくのを、ぎりぎりとゆるめながらぼんやりと思った。


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