第11章 魏国からの使者
邪馬台国の女王として、卑弥呼は魏の明帝に貢ぎ物を送る。
第1節
卑弥呼が女王に就任してからも、邪馬台国の政権は奴国連合の様相を呈していた。それが、中国では220年に後漢が滅び、後漢の北部の領土を魏国が譲渡された形になった。以前、倭面上国は後漢の楽浪郡と交渉で活路を見出していたが、その後漢との接触もなくなり、倭面上国は邪馬台国に吸収された。そこで、邪馬台国が国家として、対外的にも今まで、伊都国に駐在していた後漢の役人もいなくなったこともあり、倭面上国の残党を取り込んだ形で、楽浪郡との交渉を任せるようになった。それが、この楽浪郡が後漢や魏の委託を受けていた公孫氏だが、楽浪郡を縮小して、帯方郡を作った。邪馬台国が魏国と交渉するために楽浪郡に出向いても、帯方郡で足止めされ、魏国のために邪馬台国から持ち出した献上品を公孫氏が横取りする状態が続いた。237年に、公孫淵の代になって魏国の敵対国、呉国と手を組むようになったが、238年に魏国軍が公孫淵を滅ぼしてしまう。その結果、邪馬台国は魏国に使者を送ることができるようになった。使者として、難升米と都市牛利を送って、卑弥呼は魏の皇帝、曹叡から親魏倭王の金印と三角縁神獣鏡、100枚を与えられた。難升米と都市牛利も倭面上国の生き残りだと思われる。
奴国の大王の居館では、伊都国の長官、爾支の提案で奴国連合の主要なメンバーが集まって来た。そこには、倭面上国を代表して、難升米も参加していた。そして、奴国の大王と卑弥呼が居間の中央に座った。
「今回、集まって頂いたのは、漢の国が滅亡したため、今後に邪馬台国の方針をみなと相談するため 漢の国については、伊都国の長官、ニキから詳しく話してもらう」
「伊都国では、長い間、漢の国の役人が滞在していました それが、今回で伊都国を離れ、祖国に帰ると言って来ました その理由を聞いたところ、漢王朝が滅亡したとのこと それで、魏王朝に変わったため」
その時、難升米が。
「漢王朝が」
「そうです 漢王朝です その役人の曰くには、漢王朝が支配していた楽浪郡は、魏王朝が引き継ぐとのことです」
「では、楽浪郡に行けば、魏との交渉が出来るのですか」
「たぶん」
大王の居館の居間では、どよめきが起こった。それが治まると大王が。
「それで、今後の邪馬台国の対応をみなで話し合いたい どうだ、ナシメはどう思う」
「倭面上国では、百済を通して楽浪郡に行ったことがあります 魏王朝が誕生したとあれば、邪馬台国から何某からの魏の皇帝に朝貢すべきだと思います」
「他に、意見がある者は」
すると、葛城羽喜冴兎命の子、葛城高千那が。
「今、魏国と交渉する段階ではないと思います この数年、伽耶では日照り続きで、雨が少なく、稲の不作が続いています そのせいもあって、新羅が領土拡大を目論んでいます 邪馬台国から兵を増強して、新羅と戦わなければなりません」
「確かに、伽耶は邪馬台国において、重要な土地だ タカチナの言うのもわかる 伽耶に兵を送るとしよう それと同時に、邪馬台国の存在を魏国に認識して頂かないと そこで、ナシメを楽浪郡に送ることにしよう」
第2節
難升米は、早速、那珂の里から船で楽浪郡に出発した。難升米の船は、大同江の河口の南浦の里(朝鮮民主主義人民共和国南浦市)に着いた。ここからは歩いて楽浪郡(平壌付近)に。それが、魏国から委託されている公孫氏の役人から声がかかった。
「あなた達、何処行かれる」
「倭国から来た者ですが、楽浪郡に行きたいのです」
「楽浪郡に行かれるには、まずは、帯方郡に行ってもらわないと行けません」
「帯方郡(大韓民国忠清南道天安市)」
「帯方郡に太守(公孫康)がおられる その太守に楽浪郡に行く旨を伝えて欲しい」
難升米は、役人の言われる通りに、船で逆戻りして、帯方郡に向かった。ここは、慰礼山の麓で、お城があった。難升米達は、その城に入った。その城の門には、兵士が立っていた。
「私ら、倭国から来たものだが、太守に会わしてもらいたい」
「城の中に入りなさい 太守に倭国の要人が来たと伝えます」
太守、公孫康が難升米の前に現れた。
「倭国からはるばるとのこと」
「私たちは、邪馬台国から魏の皇帝に朝貢するため、帯方郡に来ました」
「文帝(曹丕)さまにか、ミカドは、許昌(河南省許昌市)におられる ここからだと遠いので、一度、ミカドに倭国からの朝貢があったことを伝えよう 貢ぎ物はここへ置いとくように こちらからミカドにお渡しする あとは、倭国で待っといてください こちらから使者を送ります」
難升米は、公孫淵がそのように言うので、仕方なく貢ぎ物を渡して、太守の城を出た。そして、慰礼山を眺めながら、牙山の里(大韓民国忠清南道牙山市)の船着場から那珂の里に戻った。そして、須珂の里の大王の居館に入った。
「ナシメ、どうであった」
「それが、楽浪郡に到達できませんでした」
「それで、仕方なく戻って来たのか」
「いや違います 楽浪郡の南に帯方郡があり、そこに行くように言われました」
「帯方郡」
「その帯方郡には、魏の太守がいて、その太守が魏国の皇帝に邪馬台国から朝貢があったことを伝えるとのこと」
「それで、待機もせずに帰って来たのか」
「その太守が曰くには、貢ぎ物もミカドに届けるので、ここに置いて そして、後ほど邪馬台国に使者を送るとのことでした」
「その使者はいつ頃来るのだ」
「それは、分かりません 待つしかないと思います」
公孫淵の言う使者は1年が経っても、2年がやって来ても邪馬台国に現れなかった。その間、邪馬台国では、新羅からの伽耶の侵略に手を妬いていた。
第3節
邪馬台国が成立した頃、朝鮮半島、特に大韓民国の領域内では日本と同じように小国ができ、大間かには馬韓と辰韓と弁韓に別れていた。その辰韓の中で勢力を持っていたのが斯盧国で、503年に辰韓を統一して新羅になる。この斯盧国をここでは、新羅と扱うことにした。日本に近かった弁韓も辰韓と同じように小国があり、その中でも、狗邪韓国が邪馬台国との関係が深かった。斯盧国を新羅と表現したように、狗邪韓国を伽耶とします。伽耶の表現は、任那と同一と定めます。
邪馬台国の時代には、伽耶を起点で新羅の領土に侵略していた時期でした。新羅では、第10代新羅王、奈解尼師今の時代に伽耶(倭国)が201年に講和を求めていたので、それに応じていたが、208年に倭人が国境を犯して来たので、昔利音を配備して追い払ったと言う記録がある。また、209年には、弁韓の浦上八国(倭国の海人系氏族=安曇氏や宗像氏などが占領していた諸国)が伽耶に攻め寄った。その時も、新羅の昔利音と昔于老が伽耶を救った。この記録は、韓の国からの記録で、立場が違うが、邪馬台国が韓の国を支配下に置こうとしていたことは確かです。それから、233年にポハン(慶尚北道浦項市)で新羅軍と邪馬台国軍が激突して、新羅軍の勝利となった。
邪馬台国の兵船が新羅の昔于老に焼き討ちされて、邪馬台国軍が総崩れして敗戦。葛城高千那は、韓の国から須珂の里に帰ってきた。すると、奴国の大王はすでに亡くなり、大王に変わって、卑弥呼の弟、卑弥比古が実権を握っていた。葛城高千那は、卑弥呼に報告するため、卑弥比古が住む居館を訪れた。また、難升米は、邪馬台国の大夫を務めていたので、その居館には卑弥呼と卑弥比古と難升米が同席していた。
「女王、申し訳ありません 新羅の昔于老にやられました それで、兵船はポハンで焼き討ちされて、殆どが沈没しました」
それを聞いた卑弥比古は。
「戦略を立て直さなければなるまい 兵の補強をするか」
「今のところ、補強は無理があると思います 少し様子を伺った方が」
その時、難升米が。
「ここは、魏国と手を結んで」
「以前も、楽浪郡に行ったが朝貢に失敗しているのでは」
「帯方郡の太守が、中を持って文帝に繋いでくれるとの話で、帯方郡から使者を送ることになっていた でも、それっきりになっています もう一度、魏皇帝に朝貢してみたらよろしいかと それと邪馬台国の後ろ盾が魏国となると 新羅も無闇に邪馬台国と戦わないと思われます」
「では、魏の皇帝に朝貢するか その場合、帯方郡が窓口になるのだろう」
「そうだと思います」
「ナシべ、朝貢の準備をすればよい」
難升米は、234年に朝貢団を結成して、帯方郡に向けて、那珂の里を出発した。205年に帯方郡にいったときの太守は、公孫康であったが、今回はその子、公孫淵に代わっていた。魏の皇帝も文帝から明帝(曹叡)に代わっていた。
第4節
難升米達は、帯方郡に着いた。そして、太守である公孫淵と面会した。
「倭国から、よくこられた また、魏のミカドに貢ぎ物を持って来たのか」
「今度ばかりは、魏の皇帝に会わしてください」
公孫淵は、魏の明帝に会わすつもりは全くなく、貢ぎ物を掻払うことだけが頭にあった。
「それが、ミカドは遠征に出ていて、洛陽にはおられないのだ」
「では、この帯方郡で待機します」
「でも、何時洛陽に戻られるか分からない 一度出直してこられたら 貢ぎ物は、荷物になるので置いとかれるがよろしいかと」
「前太守もそのようなことを言われた」
「そうだったか」
「ではこうします 私は、邪馬台国に帰りますが、ツシゴリを帯方郡におらせます それでいいですか」
「それはいいですよ 好きなように ただ、貢ぎ物は置いといてください」
難升米は、公孫淵が信用出来なかった。そのため、都市牛利を帯方郡に残った。
「ツシゴリ、どうもあの太守は疑わしい」
「私もそう思います この帯方郡を私が残って、監視します」
「そうしてくれるか」
237年に公孫淵は、魏に反旗を翻して、楽浪郡を占領して、燕国(春秋・戦国時代ではない)を建国する。公孫氏は、元々が春秋・戦国時代の燕国の出身であった。しかし、魏国は素早く、明帝が司馬懿の軍を帯方郡に向かわせ、公孫淵を捕らえて燕国が滅びた。そして、帯方郡の太守に劉夏を指名した。
帯方郡に滞在していた都市牛利が、邪馬台国に帰ってきた。そして、卑弥呼と卑弥比古と難升米に面会するため、須珂の里の居館に入った。
「ツシゴリ、帯方郡が何かあったのか」
「帯方郡に、魏軍が攻めて来て、あの如何わしい公孫淵が討ち取られた」
それを聞いた難升米は。
「あの悪玉の太守が」
「はい、それで魏から新しい太守が就任しました」
「それでは、魏の皇帝に朝貢できるのか」
「帯方郡の新しい太守にお会いして、邪馬台国が明帝にお会いするため、貢ぎ物を持って参上しますと伝えました」
「女王、どうでしょう 私とツシゴリを魏国に行かせてもらえないでしょうか」
卑弥呼は首肯いた。そして、卑弥比古は、難升米と都市牛利を魏国に行くよう命じた。 難升米と都市牛利は、貢ぎ物(約4.5mの麻の布2反とヒスイの勾玉と朝鮮半島で捕らえた捕虜、男4人と女6人)を船に乗せ、耶珂の里の船着場から出発した。そして、牙山の里に着き、帯方郡の劉夏の城に向かった。
「太守さま、邪馬台国から朝貢によせて頂きました」
「よう、ツシゴリさん」
「今回は、邪馬台国の大夫を連れて来ました」
「ようやく、念願かなって、魏の皇帝に朝貢ができます」
「この間、洛陽に行った際にミカドに邪馬台国の使者が朝貢に来るのでと伝えて置いた」
「それはありがたいことです」
「それで、ミカドもたいそう喜ばれ、こられたら丁重にとのお言葉を頂きました それで、ナシメさんとツシゴリさんには、こちらから張政をおともにして、洛陽まで案内させます」
張政は、塞曹掾史という魏の軍師の役職にあり、邪馬台国が狗奴国と激しく戦った247年に仲介役として、黄色い軍旗を持って登場する。その軍旗を難升米に手渡した逸話が残っている。
第5節
難升米と都市牛利は、長い旅であったが、張政と護衛兵に囲まれ、洛陽に案内された。そして、明帝と会うことができた。その時の難升米の喜びもひとしおではなかったが、明帝も難升米と都市牛利の来朝を歓迎してくれた。
「倭国の遠いところから洛陽までよくこられた」
「邪馬台国の難升米と言います」
「これからは、魏と邪馬台国とは、兄弟国になろう」
「ありがたいお言葉、感謝いたします 魏国がさらなる発展を心から願っています 我が女王から帝に差し上げる貢ぎ物を用意しています」
難升米は、男女の生口と麻の布2反を明帝に献上した。
「邪馬台国の王は、卑弥呼と言われたであろう ここに、女王に親魏倭王の称号を授けよう」
その後、明帝は献上物の代償として、絳地交龍の錦(真っ赤な布地に竜が交差した金糸や色糸などで模様を織り出した絹織物)5反、絳地縐粟罽(ちぢみの粟模様のある毛織の敷物)10枚、蒨絳(深紅色のつむぎ)50反、紺青(濃い群青色の織物)紺青50反、紺紺地句文錦(紺色のカギ模様のついた絹織物)3反、細斑華罽(細かい花模様をまだらにあしらった毛織物)5枚、白絹50反・金8両・五尺の剣を2刀・銅鏡(三角縁神獣鏡)100枚、真珠、鉛丹の各50個を卑弥呼に渡すように難升米と都市牛利に託した。
親魏倭王の金印は、難升米が明帝の代わりに卑弥呼に授けるように、明帝からの指示があった。でも、その金印は見つかっていない。
難升米と都市牛利は、豪華な品々に驚いた。
「ツシゴリ、さすがに魏国だ まばゆい品物ばかり」
「我々の貢ぎ物が恥ずかしいですね」
「今度、朝貢する時は、もっと豪華な貢ぎ物にしなければ」
難升米と都市牛利は、丁重に明帝に挨拶して、劉夏に会うため洛陽から帯方郡に向かった。
太守がいるお城に近づき、護衛してくれた張政に礼をして、城に入った。
「無事、私達の役目を終えました それも太守のお陰です」
「良かったです」
「ミカドから、思いもよらず 豪華な品々を頂戴して、とても恐縮しています」
「これからは、お互いに協力し合いましょう」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「それと、邪馬台国はどの辺にあるのですか 女王卑弥呼さまにお会いするには」
「帯方郡から船で、狗邪韓國にそして、対海国に行き、その後、一大国、末盧国、伊都国そこにこられたら、伊都国の者が案内してくれると思います」
「何かあれば、使者を送ります」
難升米と都市牛利は、劉夏に挨拶を済ませ、須珂の里に帰郷した。
なお、難升米達が洛陽に行って、明帝に面会した時、明帝は34歳の若さだった。しかし、その後、病に犯され、翌年239年1月に明帝は死去した。
第6節
難升米と都市牛利が須珂の里について間もなく、明帝が亡くなり、明帝には子が早死していたので跡継ぎがなく、魏王朝の皇帝は曹操の曾孫にあたる曹芳を養子として、239年1月22日に第三代皇帝となった。そして、邪馬台国の卑弥呼宛に口上を用意し、帯方郡の太守、劉夏に託した。劉夏はその口上を持たせて、240年に邪馬台国に使者を送った。
卑弥呼と卑弥比古の居館に、壱岐島に本拠地を持っていた息長遼瀬依がやって来た。この息長遼瀬依は、物部伊那部と阿木沙都姫の子で物部日向馬の弟にあたり、黄咲美姫が誘拐して、息長安藻の子として育てられた。息長安藻も他界し、壱岐島で鉄器の生産を任されていた。
「リョウセイ、どうかしたのか」
「帯方郡からの使者が、一大国に滞在しています」
「その使者は、ここに来るのか」
「話を聞いてみると、魏国の皇帝から預かった口上書を邪馬台国に届けると」
「女王にその口上書を」
「そのようです」
「それは、まずい」
「何故ですか」
大夫の難升米が発言した。
「私が帯方郡に使者として行ったとき、立派なお城があった それに似合う建物を建てなければならない それには時間がかかる」
「その建物を何処に建てるのですか」
「女王の祈祷場のそばに それと国の都らしい雰囲気も必要だ」
難升米は、明帝から貢ぎ物の代償として頂いた豪華な品物を思い浮かべた。邪馬台国から献上した生口や麻の布に比べて。そのように、邪馬台国の品格を上げなければならないと。
「私が明帝にお会いして、帰りに帯方郡の太守にお礼の挨拶をしたとき、太守が邪馬台国に行くにはどう行けばいいかを聞かれた そこで、一大国から末羅国に行き、その後、伊都国に行くように そして、伊都国の者に邪馬台国を案内してもらえると教えた」
「帯方郡の使者は、伊都国に来るのですか」
「それで、リョウセイ、伊都国で帯方郡の使者を捕まえて、邪馬台国に案内しますと言いなさい」
「私が」
「そうさ、そこで、さっき行った国の都らしい雰囲気の集落を作るまで、違う所を案内して、時間稼ぎをするのだ」
遼瀬依は、どのように時間稼ぎをするかを考えた。遼瀬依も父、息長安蘇と同じように西国から東国まで船で航海をしてきて、各地に知り合いも多かった。
「それでは、伊都国から奴国、不弥国と連れて行き、内海を通って、我が氏族の本拠地、河内まで航海させて、その後、紀水道を通って大海に出て、日向国まで そして、邪馬台国に戻ってきます」
この帯方郡からの使者の運航記録(帯方郡から邪馬台国まで)が、晋国になって魏の出来事を編纂した『三国志』の魏志倭人伝に記載されている。著者、陳寿によると、帯方郡から邪馬台国までを1,200余里と。実際は、そのような距離ではなかったはずです。
第7節
息長遼瀬依は須珂の里から伊都国に行き、帯方郡の使者を待った。使者の船は末羅国に着き、末羅国でも歓迎されて時を過ごし、伊都国に到着した。使者は、後漢が滅びる前にも伊都国で後漢の役人として滞在していた。そんな関係で、知り合いも多く、伊都国の官僚とも親しかった。使者は、伊都国の官僚と昔話をしたりして、交流した後、外敵から守るための軍事的な長、卑奴母離(ひなもり:職務の名称)に声を掛けられた。
「あなた達、邪馬台国に行かれるのですね それでは、案内する人を呼んできます」
この卑奴母離は、北部九州だけで無く、南部九州の日向国にもこの役職名を使われていたようです。また、ヤマト王権時代になっても、中部地方や北陸地方にも存在し、日守神社とか、夷守神社があり、地名では夷守郷が転じて、美守村となっている所には卑奴母離がいたことになる。
伊都国の卑奴母離に呼ばれて、息長遼瀬依が現れた。
「帯方郡から邪馬台国の女王に会われるとのこと 私が案内させていただく、息長遼瀬依です 女王の指示で、邪馬台国の全体を見ていただくように言われています その後、卑弥呼に会っていただきますのでよろしくお願いします」
「そうですか 女王にミカドからの口上書を渡すだけですが、そのように言われるのであれば」
遼瀬依は奴国から不弥国に、その後、斯馬国・巳百支国・伊邪国・都支国・弥奴国・好古都国・不呼国・姐奴国・対蘇国・蘇奴国・呼邑国・華奴蘇奴国・鬼国・為吾国・鬼奴国・邪馬国・躬臣国・巴利国・支惟国・烏奴国・奴国(北部九州の奴国ではない国)を案内し、日向国(魏志倭人伝では投馬国とされている)の那珂の里に着いた。遼瀬依は父、安藻に日向国のことについて、船で物部大綜麻杵命の娘、伊香色謎命を肩野の里から日向国まで乗せて行った話をから聞いていた。そこで、帯方郡からの使者を船に残し、日向国の大王、弥弥(ミミは首長の敬称で、ここでは開化天皇を表す)に会うため、日向国の大王の居館を訪ねた。そこには、伊香色謎命がいて、年少の頃の息長遼瀬依を知っていた。
「リョウセイでは、立派になったね」
「ヒメ、久しぶりです 今日は、邪馬台国の女王に会うために帯方郡からの使者を連れて、邪馬台国に向かう途中で、ヒメに会うために寄りました」
「では、ミミにも会って行く」
「そうします」
伊香色謎命は、開化天皇を呼びに行った。そして、居間に開化天皇が現れた。
「ヒメから、リョウセイのことは聞いた」
「よろしくお願いいたします」
「リョウセイは、息長安藻の子であったな 安藻は」
「父は、亡くなりました」
「そうか 亡くなったか それでリョウセイが跡目を 今でも、邪馬台国と関わっているのだな」
「はい、今回は魏の使者を邪馬台国に案内する役目です」
「邪馬台国の状況は」
「卑弥呼女王と弟君の卑弥比古が仕切っています」
「一度、女王に会いたいものだ そして、何かに力になれば」
「ありがたいお言葉 邪馬台国は、魏国と手を結び、新羅の侵略を防ごうとしています それと、狗奴国からの侵略が」
「狗奴国か 困ったことがあれば、応援すると女王に伝えてください」
息長遼瀬依は、開化天皇とあったことを卑弥呼に報告しようと思った。そして、帯方郡からの使者を邪馬台国に案内するため、須珂の里に向かった。
第8節
息長遼瀬依が須珂の里に使者を連れて来た時には、立派な邪馬台国の都になっていた。そして、女王がいる新築の居館に。そして、卑弥呼が中央に座り、左に卑弥比古、右に難升米が座っていた。その居間に遼瀬依が使者を連れ、対面で座った。
「遠方の帯方郡から、私に会うため、ご苦労さまでした」
「女王にお会いできて光栄です 本日寄せた頂いきまたのは、新たに皇帝に就任されましたミカドからの口上書をお届けに参りました」
そうして、使者はすり足で頭を下げながら、卑弥呼の前まで近づき、口上書を卑弥呼に手渡した。
卑弥呼は、その口上書を開け、目読みして、膝の前にひろげた状態で床に置いた。
「ここに書かれているように、魏国と我が国とは、これからも友好関係にあることを皇帝が示されました 心よりお受けさせて頂きます」
そして、卑弥呼は、卑弥比古と難升米の方を見た。
「魏国の皇帝によろしくお伝えください これからの一時、食事などを用意しておりますので、ごゆっくりとこの奥座敷でお過ごしください」
帯方郡から来た使者は、居間を退席した後、息長遼瀬依は居間に留まった。
「リョウセイ、お役目ご苦労でした」と卑弥呼からの労いのお言葉があった。
「女王、その言葉、心から嬉しく思います 今回の旅で最後に日向国に寄りました そして、ミミにお会いしたところ、ミミは邪馬台国と交流を深め、女王の支えになることを誓われました」
その時、卑弥比古は。
「日向国が 邪馬台国が今抱えている狗奴国の問題にも協力してくれるのか」
「日向国には、大伴一族の武装集団がいます 狗奴国との戦いになった時には、応援部隊が来るのではないでしょうか」
「そうであればいいのだが」
帯方郡からの使者は、須珂の里でゆっくり過ごして、帯方郡に帰った。
息長遼瀬依が卑弥呼に挨拶をして、その場を退席した後、難升米が。
「女王、魏国の明帝が亡くなられたのには、少し驚きました 口上書では、曹芳となっています このミカドはどのような人なのだろう」
「このような口上書を送ってこられるくらいだから、立派な方でしょう とりあえず、朝貢の用意をしなさい」
その後、邪馬台国は魏の新しい皇帝に朝貢するため、243年洛陽に使者を送り、貢ぎ物を曹芳に届けている。
何度か、魏との交渉が会った後、魏の明帝が死去し、邪馬台国も狗奴国との戦争状態になる。




