第9章 女王卑弥呼
邪馬台国の女王に卑弥呼がなった。
第1節
卑弥呼が須玖の里に来てしばらく経った。邪馬台国の運営も奴国の大王の独断上の状態で、組織だったことが出来ないのが現状でした。そして、気候変動による農作物の不作が続き、餓死者が多く出た。倭面上国も例外ではなかった。倭面上国では、餓死者の埋葬が多くなり、現在の吉野ヶ里遺跡の墳丘墓にはかなりの甕棺墓が埋められている。そして、環濠跡には多くの土器が捨てられていた。
倭面上国は、奴国との争いどころではなくなってきた。この状況も奴国連合でも同じでしたが、祈祷師の卑弥呼がいました。卑弥呼の祈祷で、邪馬台国の人達は飢餓を防ぐことが出来ました。邪馬台国の運営にも貢献したのです。
そのような中、奴国の大王は、奴国連合の国々の王を須玖の里に集めました。
「今回集まって頂いたのは、米の不作から、餓死者を出さずにできたのは、卑弥呼のお陰です そこで、邪馬台国の女王になって頂くことになった」
その時、祈祷場から奴国の大王の居館に、卑弥呼が姿を現した。そして、みんなの前で一礼をして、奴国の大王の横に座った。
「稲の不作で、大変だと思う みんなの状況を聞かせて欲しい」
伊都国の王が発言した。
「私の国でも、餓死者が出ています でも、私の国では漢の国の役人が滞在していますので、そこから多少ですが、米を調達しています」
「現在、漢の国では稲作が順調にできているのか」
「漢の国では、農民が黄巾の乱(184年~185年)を起こし、曹操と劉備がその乱を押えたのですが、その結果、曹操と劉備、そして孫権が力を持つようになって、漢の国が衰退しています おまけに、霊帝が病弱になり、曹操が実権を握るようになりました」
霊帝は189年に死去し、献帝が即位しますが、後漢の実権は曹操に移り、それに反発して劉備と孫権が反旗をひるがえし、220年に後漢が滅亡して、曹操の魏と劉備の蜀と孫権の呉に別れ、三国時代が始まる。
「漢の国も大変だ 伊都国の君、今後は、曹操やらの動きを重視しなければならない」
後漢末期には、曹操は劉備や孫権と戦いましたが、220年に死去し、曹操の子、曹丕があとを継いだ。その曹丕は、献帝から後漢を譲渡され、魏を建国する。この献帝の子孫が日本に渡ってきたと言う話があり、東漢氏になったとされる。
その後、蘇我兎羅賀瑪命が。
「倭面上国の現状を報告します 倭面上国は、今回の飢饉でかなりの村人が亡くなり、国自体が衰退しています」
「ウラガメ、そろそろ、倭面上国と和解して、邪馬台国に吸収しようか」
「ちょうど良い時期かもしれませんね」
「邪馬台国も女王を迎え、内外に伝達しなければならない 伊都国の君、漢の国に使者をウラガメ、倭面上国と和解の段取りを」
このようにして、邪馬台国の運営は、卑弥呼女王を頭にしているが、実質的には、奴国の大王が中心となっての連合政権でした。
第2節
安曇厨紀弥は、香澄の里から河内の墨ノ江の里により、何隻かの船を用意し、肩野の里に向かった。
厨紀弥達は、肩野の里の船着場に着いた。船を待機させ、安曇厨紀弥は物部大綜麻杵命の居館に向かった。
「ズキヤ、今日は何の用事だ」
「それが、父上さまが香澄の里から大倭国に移られることになって」
「なに、父上が大倭国に なぜ」
「香澄の里も、天候不順で稲作が不作と聞いています」
「香澄の里でもか」
「それで、良い土地はないかと それで、大倭国の地をお勧めしたところ、大倭国の地に決められました」
「父上は、いつ頃に移られるのか」
「取り敢えず、オオヘソキさまを大倭国に行かせると」
「わしをか」
「オオヘソキさまが大倭国で地盤を作ってから、父上さまが移られるとの話です」
「それでは、めぼしい部下を連れて、大倭国に行くか」
「大和に行かれるまで、船を待機させておきます」
物部大綜麻杵命は、伊那部を呼び出した。
「イナベ、香澄の大王の命令で、大倭国に行くことになった そこで、三輪の里に行ってニタヤに来るように言ってくれないか」
「オオヘソキさま、大倭国に移動されるのであれば、ひとり連れて行きたい人がいます」
「それは、誰だ」
「三輪の里にいる三輪迦麻瀬を連れて行っていいですか」
「それは、イナベに任す」
伊那部は三輪の里に行き、物部二田弥に物部大綜麻杵命の居館に来るように伝え、その足で、三輪迦麻瀬を訪ねた。
「イナベさま、また、倭面上国のことですか 倭面上国もこの飢饉でかなり堪えているみたいです 私もそろそろこの地を離れようかと思っていたところです」
「今回は倭面上国でなく、私らは大倭国に移ることになった」
「大倭国に行かれるのですか」
「それで、リキセさんがよければ、私と一緒に大倭国に行かないかと思って」
「それでは、私も連れて行ってください」
この三輪迦麻瀬は、物部大綜麻杵命が大倭国に移住すると、河内国美努村(現在 大阪府八尾市上之島町南)に落ち着いた。崇神天皇の時代に疫病が流行り、夢の中で大物主神が現れ、「大田田根子(古事記:意富多多泥古命)を探し出して、三輪山の神、大物大主を祀らせよ」とお告げがあった。そこで、物部伊香色雄命が大田田根子を探し出し、神に捧げる物を取り寄せて、疫病が治まった。この大田田根子の祖父が三輪迦麻瀬です。
第3節
兎莉薙と蘇我兎羅賀瑪命は、奴国の大王の居館に着いた。
「倭面上国の兎莉薙と申します 帥慈の代理で、大王に挨拶させて頂きます」
「よくこられた 長年の間、敵対国としてお互いに戦ってきたが、この良き日に、双方が対面できたことを嬉しく思う」
「卑弥呼を女王にして頂いてありがとうございました」
「女王は、私たちを祈祷で助けて頂いたので、女王になって頂いた」
「今回は、女王就任のお礼方々、今後、倭面上国と邪馬台国が交流できるために、帥慈の意識のもと、大王とお会いする機会を得ました」
「卑弥呼女王もおられることだし、双方の交流と言う形ではなく、今後、邪馬台国の一員として」
「ありがたいお言葉、よろしくお願いいたします」
「堅苦しいのは、抜きにしましょう もし、何か要望があるのなら」
「ひとつだけ、お願いしてもよろしいですか」
「何なりと」
「卑弥呼には弟がいまして、その弟を側に付けたいのですが」
「女王、ひとりで祈祷場におられるので、さぞかし寂しいだろう 弟君がおられるのであれば、連れて来て頂いたら」
「ありがとうございます 早速、弟を呼び出します」
この面談で、奴国と倭面上国との和平が成立した。その後、兎莉薙は、卑弥呼の祈祷場に。
「ウチナさん、久しぶりぶりです」
「ヒミキ、不十分していないか」
「皆さま、よくしてくれています」
「それは良かった 今、奴国の大王に会って来たところだ 邪馬台国と和平にするために」
「私も、それを願っていました」
「それと、ヒミヒコをヒミコのそばに置くことを」
「弟が来てくれるの」
「良いだろ」
「うれしい」
西晋の陳寿が書かれた『三国志』の中に、倭国のことを詳しく書かれた「魏志倭人伝」があり、そこに邪馬台国の記事がある。そこには卑弥呼が登場し、邪馬台国の女王になった事が記載されている。その卑弥呼には弟がいて、名前は記載されていないが、その弟が邪馬台国の実権を握って頂いたと。
卑弥呼は、女山の里で170年頃生まれ、15歳で邪馬台国に、188年には邪馬台国の女王になった。そして、192年から194年にまたも、異常気象で稲の不作が続き、飢餓者が続出する。その時にも卑弥呼の祈りにより、邪馬台国を救った。邪馬台国は、208年頃から232年頃まで新羅に侵略している。そして、233年に卑弥呼は新羅に使者を派遣し、和睦の交渉をした。238年に難升米を魏に派遣。親魏倭王の金印と銅鏡100枚を与えられた。そのように、卑弥呼は外交面でも実績を上げている。247年に77歳で死去するまで、邪馬台国の女王として君臨した。
卑弥呼は、魏国との交渉を始め、親魏倭王の称号を魏の皇帝から貰うことになる。




