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11.ノートパソコンとバスタオル

 夜。

 俺が会社を辞めることを花宮に告げた日の、夜。

花宮が作った夕食を食べた後で、俺はノートパソコンに向かい新作のプロットを作成中、花宮は風呂に入っている。

 会社を辞めると俺が言ったとき、花宮はやはり止めたが、俺が別に無職になるつもりではないということを説明すると、「それだったらまあ……いいんですけど……」と納得していなさそうに了承してくれた。

 まあそもそも、別に花宮の了承とか必要ではないのだけれど。

 だから嫁じゃないし、結婚の約束もしていなければ付き合ってすらいない。

 じゃあなんで花宮がそんな不安げなのかというと、まあさすがにもう赤の他人というほど親しくなくもない、ということなのだろう。

 同居人だし。

 女子高生との同居生活なんて、絶対に慣れそうもないけれど、花宮の為だ、大人として大人しく我慢しようじゃないか。

 ……懸念要素はやっぱりあるけど。

 たった一つだけ、俺が恐れていることが、ある。

 それは頑張れ俺と言うしかない問題なので、なら頑張るだけだが、頑張りきれるかどうかがこの問題の問題点だ。

 なんて言葉で遊んでるせいでプロットが全然進んでいない。

 花宮が近くに居てくれると何故だか集中して作品のことを考えられるのだが、花宮の姿が見えないとどうも花宮のことを考えてしまってダメだ。

 まあ、最近いろいろあったしな……。

 主にというか全て、花宮絡みで。

 まあ居候となった以上は上手くやっていくしかないので、難しく考えても仕方ないのだが。

 それでも考えてしまうのが人間の度しがたいところである。

 はい、堂々巡り。

 ディスプレイを見ろ、キーボードを叩け。

 リアルを映せ、ファンタジーを奏でろ。

 頬を叩いて深呼吸。

 よし、いける。

 物語を綴るぞ。

 現実の世界を閉じ、空想の世界を拡げる。

 そして俺の指は、眼前の盤上を走り初めた――ところで。

「あの……」

 俺の世界は、リアルもファンタジーも含めて停止した。

 フリーズしたのはパソコンではなく、俺だ。

 背中全体に広がった柔らかな感触と、シャンプーの甘い香り、そして耳元で聞こえた声。

 花宮の声。

「おま……な、何してんの?」

 俺の首の両脇から、スラッと長い腕が伸び、そして俺の胸の前で手を結んでいる。

 花宮が背後から抱きついてきたのだ。

「私、覚悟は出来てます……」

「は……? へ……?」

 花宮の体温と重み柔らかさに、俺の理想は吹っ飛びそうを通り越して酷く混乱していた。

 それに引き換え花宮は。

「居候させてもらうのに、何もお礼しないわけにはいかないし、でも私、何も持ってないから、だから……」

 落ち着いた声で、

「私のこと、好きにしてください」

 そんなことを言う。

「バカ……」

「へ?」

 気付いた時にはもう遅かった。

 俺は考える前に口を動かし、言葉を発してしまう。

「お前はっ……!」

 花宮の手を解き、振り向き、そして両肩に手を置いたところで後悔する。

「なんで………そんなバカなんだよっ!」

 花宮は、バスタオルを1枚身体に巻いただけの、扇情的な格好だった。

「バカ……ですか?」

「ああ……バカだよ、ホント……。俺が必死に頑張ろうって、お前に変な気を起こさないように頑張ろうって思ってるのに、それをなんでお前が(おびや)かすんだよ!」

 俺は花宮の身体を見ないように、花宮の目を直視した。

「そんなことを、考えてたんですか? ふふ、陽介さんこそ、バカです」

 花宮は微笑んで、俺の手に自分の手を重ねた。

「私は、死のうとしていたんです。陽介さんが居なければ、私はもうこの世には居ないんです。だから、いいんですよ、もう失って怖いものなんて、ないんです。初めてだって……」

「だから、バカ言うなよ……。もう生きるって決めたんだろ? 生きるって決めたなら、自分を傷付けるようなことをするな、自暴自棄なるなよ。もっと自分を大切にしろよ!」

 真面目に説教をした。

 つもりだったのだが、花宮はくすくすと笑った。

「なんか、先生みたいですね、陽介さん」

 せ、先生って……。

「なんででしょうね、私、自分が大切だなんて思ったこと一度もないんです。虐待されているからなんですかね? 自分を丁重に扱おうなんて思えないんですよ。だから陽介さん、遠慮なんてしなくていいんです。少し、(あざ)はありますけど、そんなに醜い身体ではないと思いますよ?」

「分かった……」

「そうですか、じゃあせめてやさしくしてください……」

 バスタオルを捲ろうとする花宮の手を握る。

「違げーよバカ、早まるな」

「はい?」

「お前がお前を大切に出来ないなら、俺がお前を大切にしてやるって言ってんだよ、バカ」

「陽介さん……」

「確かにお前は可愛いし綺麗だし良い身体してるから男としては抱きたいって思うけどっ、でも俺は抱かない」

「半分くらいセクハラですね」

「うるさい。大体俺は……割りとピュアなんだよ。基本的に付き合うまでキスとかNGなの。分かったか?」

 こちらは相変わらず真面目だというのに、花宮はまたしてもくすくすと笑う。

「OKです、分かりました。私の貞操を陽介さんが守ってくれるのでしたら、私も陽介さんの貞操を守ります」

「待て、俺が童貞という前提で話してないか、お前」

「え、違うんですか?」

「残念ながら違くないけど……」

「ふふ、なら良かったです♪」

 ふう、とりあえずこれで良かった。だって花宮が笑ってるし。

「ですが、何もしてあげないのは私の気がすまないので、とりあえずこれで」

 と言って、不意に。

 ちゅっ、と。

 額に口付けをされた。

「ん……満足ですか?」

「ああ、大分な……」

 こいつ、結構胸あるな……。

 と、そんな下卑た感想を胸に秘めていると。

「あれ、でも……」

 花宮が、疑問の声を上げる。

「私が陽介さんの貞操を、陽介さんが私の貞操を守るとすると、私達の初めてってやっぱり……」

 そう言って俺の顔を見て、赤面する。

 いや、未来のことはまだ分からないし、今更照れるなよ。

 そう思いながら、俺は花宮にそっぽを向いた。

 特に、意味なんてない。







 

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