三
「凛!! お前は何てことを聞いてるんだ!!」
移動する車の中で、海崎さんの怒鳴り声が響き渡る。確かに、あれを聞くのはまずかったのではないか、とは僕も思う。いくら、別れ話があったとはいえ、相手は彼氏だったのだ。あんな反応になるに違いなかった。
「うーん、ちょっと予想してた反応とは違うものだったんだよねぇ。」
「……何だと? どういうことだ!!」
「二人とも、河本かんなの胸元って、見た?」
「は?」
河本かんなの胸元、なんて、見ているはずがない。それは、セクハラ以外の何ものでもないし、それに、そんなの見ている余裕なんてない。
だが、海崎さんの顔は赤くなってから、そして、青ざめていった。
「……海崎、何か分からなかった?」
「……いい形してるなって。」
「牢獄に入ってきなさい、ボンクラ。」
「……。」
最悪な刑事である。ボンクラというか、ここまで来ると、人間的にひどい。
「痣よ。」
「痣? それってまさか……。」
「そう。チラリとしか見えなかったけど、痣があったわ。おそらく、DV。ドメスティックバイオレンス。」
凛さんは、わざわざ言い換えて強調した。ドメスティックバイオレンス、家庭内暴力。その言葉が、表す意味。彼女が被害者を殺してしまう可能性は、格段に上がってしまう。
「……最後のを聞いた理由って。」
「そう。愛してるのいう返答は分かってたけど、その後の反応が驚いたの。あれは、本気の涙だったわ。たまにいるのよね、DVを受けても、愛さずにはいられないって、献身的な人が。」
「なるほど、なら、彼女はシロだな。」
「それは……イーブンってとこかしら。宗良君はどう思う?」
「え、僕ですか?」
僕は、河本かんなが泣いていたあの様子を少し思い返してみた。泣いたタイミングや、泣いていた様子を。
どこかに齟齬があったか、もしくは、何かを感じたか、その時を思い出してみる。
「……本当に泣いていたのは事実だと思います。しかし、あの涙、何か違和感を覚えるんですよ。」
「違和感?」
「はい。大切なものに先立たれた悲しみではないような気がします……。」
「うーん、確かに、タイミングは少しズレてるのよねぇ。私も、そこが分からないわ。殺したのであれば、あんな自然には泣けないはずだし……」
凛さんは少し頭を唸らせる。死んだことに対する悲しみ、ではないと、僕は直感する。タイミングで、状況で。だが、あくまで直感だし、何より、何で泣いたのかが分からない。一体、彼女は何を思ったのか。
「お前から見ても、あれは自然だったのか? 凛。」
「えぇ。まぁ、あまり参考にはならないけど、私も自然に見えたわ。まぁ、まだ死亡推定時刻も分からないみたいだし、彼女が殺せたかどうかすら予測出来ないけど。アリバイが生まれた場合、それでおしまいになるから。」
「それもそうか。もうそろそろ、優花から電話が来ると思うのだが……おっ、来たな。」
ちょうど、電話が来たようで、携帯の着信音が鳴る。海崎さんは携帯を持つと、電話に出た。
「おぅ、優花。そっちはどうだ……。何!? 五時だと!?」
「!?」
海崎さんが叫びを上げた。五時、というのは、死亡推定時刻のことであろう。ということは、河本かんなには、アリバイがあることになる。確認しなくては分からない。だが、こちらは死亡推定時刻を言っておらず、また、そんなバレバレの嘘をつくとは思えない。彼女は、シロだ。
「え? 変なこと? 何だ? ……アホか!!」
そう言うと、海崎さんは電話を切り、荒々しく携帯をポケットにしまった。
「どうしたの?」
「どうもこうもあるか!! 変なことって言うから聞いてみたら、被害者の携帯がAVに繋がってただと!?」
「……確かに、それは変ね。」
「は!?」
「宗良君。意味、分かる?」
凛さんは、また、僕に問いかけてきた。確かに、そのおかしさについては、僕もすぐに分かった。海崎さんは、もしかすると、注意力散漫なのだろうか。
「被害者が殺害されたということは、人に会っていたということですよね?」
「あぁ、それがどうした?」
「それで、そんなのと繋がっているなんて、おかしいじゃないですか? 人と会う直前までやっていたのですか? しかも、普通なら、削除しますよね?」
「……あ。」
そう、普通ならば、削除するものである。犯人が、そんな危機的状況ですることに興奮を覚えるような、レアケースな変態であることを除いて、そんなことが起きることはない。
「まぁ、現時点では理由も分からないし、結局、河本かんなのアリバイは出来そうだし。」
「……あぁ。一応、確認をとっておかなくてはならないがな。まぁ、容疑者どうしだと怪しいものだが、逆に言えば、簡単に確認出来るし。」
「それじゃ、早く行きましょう。三人目の容疑者、橋本雄大の所に。」
―――――――――――――――――――――――――
「えぇ、ちょっと俺もびっくりなんですよね。まさか、あいつが殺されるなんて。」
橋本雄大は、大して悲しむ様子もなく、そう言い放った。
橋本雄大は、長身で短髪の、こざっぱりした男だった。どちらかと言えば、スポーツ系のイケメンといったところだろう。
「で、あいつ、いつ死んだの?」
「え? いつとは?」
「ん? 死亡推定時刻って、もう分かってるんじゃないのか?」
彼は、不思議そうに言った。僕らの疑惑の目が、一斉に彼に向けられる。何故、そのようなことを聞くのだろうか。
「何だよ?」
「いえ、どうしてそのようなことを聞くのか、と、思いまして。」
「あぁ、俺さ、推理小説とかドラマと好きでさ、結構、こういうのに憧れてたんだ。俺、疑われてるんだろ?」
「えぇ、まぁ……」
橋本雄大の、あまりの軽さに、僕らは唖然としていた。彼は、自分が怪しまれていると分かっているのに、その状況を楽しんでいた。
何故? 自分が殺して、それに伴うアリバイがあるからか? いや、それとも、単にドラマ的な場面を楽しんでいるだけなのか?
全くもって、その心情を予想することが出来ない。というより、彼は本当に、被害者の同僚なのだろうか。普通、同僚が殺されて、こんな態度を取るのだろうか。
「まぁ、いくつか質問させてもらいます。」
「おぅ、どうぞ。」
「あなたは、昨日、何をしてました?」
「八時くらいに起きて、十時くらいまでランニング。それから家に帰って十二時に昼食。三時くらいから、河本さんと遊んでたかな。」
「そうですか。どこで遊んでいたのです?」
「原宿だな。怪しいと思うなら、聞き込みでもして調べればいい。嘘はついてないんだからさ。」
やはり、この二人の言うことに、齟齬はない。まぁ、打ち合わせれば、そんなものは消えるのだろうが、彼の自信を含めると、嘘をついている可能性は極端に低い。
「では、河本かんなさんとはどういう関係でしたか?」
「友達だよ。それも、彼氏公認のね。あ、一応言っておくけど、夜の関係も全くなかったからな。」
「……そうですか。では、被害者とはどんな感じでいましたか?」
「うーん、智彦とは、そこまで仲がいい訳でもなかったけど、まぁ、一緒に飲みに行くことはあったかな。そう考えると、結構、仲良かったかもしれない。」
「そうですか、ありがとうございました。」
凛さんは、手応えがなかったとでも言うように、あっさりと退いた。確かに、この男に掛ける疑念は、正直言って、あまりない。
怪しすぎるが、あっさりとしすぎなのである。どうも、これは押しても引いてもあまり意味がないと思えてしまうのである。
「あ、死亡推定時刻は?」
橋本雄大が思い出したように問いかけた。どうやら、かなり小説などに引かれていたらしい。
「午後五時頃です。」
「あぁ、ならよかった。一時半とか言われてたら、俺の自信が崩れるところだったよ。」
「崩れるとは?」
「その時間は家にいたんだよ。」
「あぁ、なるほど。」
僕らは、妙に親しげに接してくる容疑者の橋本雄大のもとを後にした。
さて、これで一通りの容疑者のところは回った訳だ。ここから、上手くまとめていかないと。
「おい、どう思う、凛?」
海崎さんが、そう、問いかけた。